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◆第19話

 絶え間なく、ドリアード──エリスの触手が繰り出される。

 俺はそれを剣で弾くだけで精一杯だった。

 右肩を負傷し、利き手でない左腕しか機能していない以上……それが限界だった。


 ──本当に?


「アアアアアアアァアァッ!!」


 そんな邪念を咎めるように、鋭利な先端の触手が、近づいてくる。


「まずったッ──!」


 そうだ。

 俺が、迷っているからだ。

 どういう訳か、ドリアードがエリスである以上……俺は、どうすればいいか、分からないんだ。

 まるで走馬燈のように、後悔が駆け巡る。


「勇者さま……っ!」


 しかし……死ぬことが許されていないような、奇跡。

 こんな俺の盾となるように、モネが前に立ち──片翼で触手の弾丸を受け止める。


「グゥっ!!」


 数本の触手が、翼を貫通し──血が辺りを舞踏する。


「勇者……さま……、ワタシはどのような選択も、魔族として──いえ、ワタシとして……受け入れます」


 ただ、それでも。モネもエリスのように、自分の信念に忠実だ。

 俺は……俺は。

 誰にもない、そんな信念があるだろうか。


 なんとか、エーテルの鍵を握る。

 しかし、迷いを断ち切れない俺に、エーテルの鍵は反応を示さない。

 すぐに、四方八方から、触手が襲い掛かる。


 死が、近づいてくる。


 ダメだ。もう、どうしようもない。


 だって、俺は──。


 エリスを傷つけたいと、思えないから。


「それが……勇者様の選択──ならば、ワタシも。ワタシも、心優しきエルフの彼女に、託します。勇者様の優しさと、共に──」


 それを、モネも察したのだろう。

 勇敢な死に顔を刻んで、体の力を抜いた。

 そんな時だった。


 風の調と共に。


 俺の運命を決定づける鉄槌が、やってくる。


「──白なら、いいんだろ」


 そんな声と共に。

 それは、俺の目の前にヒラリと舞い落ちる。


 パンツだ。純白の、パンツだ。


 それはすぐに、鮮血に染められる。


 死期を悟った俺の感度は抜群だった。


 心を超えた、その先。人間じゃない、勇者じゃない、俺だけの本能だ。


 舞い踊る俺の鼻血が、触手を塵芥に変えていった──。


「勇者の分際で、わたし以外にコロされることは許さないぞ」


 それを理解して、やっと、パンツの主の声が耳に鮮明に届いた。


「リコ……」


 どうして、拘束されていたはずの彼女がここにきて、俺を助けたのかは分からない。

 しかし……。


「だから、アイツはわたしの敵とみなす。このわたしが一緒に戦ってやろう」


 何故だかそう言うリコは、凛然としているように見えて。

 とても、頼もしかった。


◆◇◆


 わたしはおしっこをした後、小屋を出た。


(これからどうしよう)


 とにもかくにも、一度作戦を立て直したほうがいいだろう。最近、無駄に下位の魔族が暴れているようだから、部下にも色々協力してもらったほうがいいかもしれない。

 そんなことを考えていると……。


(勇者の生命力が、飢渇していく)


 なんでだろう。東の森に遠目に見える魔物はデカイが、やはり力はそれほど感じない。だが、あいつのことだ、なんかやらかしたのだろう。


(わたしの手で勇者を殺すのが、名誉復権の一番の近道だと思ったんだけど)


 仕方ない。アイツはもう死にそうだ。別の方法を考えよう。


「…………もう、迷わない」


 自分に言い聞かせるように呟いて、西の森の方角へ、一歩踏み出す。エーテルの鍵のおかげで魔力は少しばかし回復した。選択の幅は増えるだろう。

 そんな時……後ろから小さな足音がした。


「──貴方を手にかけられなかったこと、それが正しかったのか、私にはわかりませぬ」


 振り向くと、クルトさん──クルトがいた。ラマレーンを消したのがわたしだとも知らず、聖女になる特訓を課してくれた愚かなニンゲンだ。


「それも、ラマレーンの思想か」


 冷涼と、わたしは返す。


「……ラマレーン様は、生物の和平を志しておられます。リコ様にも……同じ匂いが感じられましたが、私の勘違いでしたな」


「え……わたしに──」


 一瞬、戸惑わされたが、すぐにはっとなる。


「だ、だまされないぞ。確かに、お前らに絆されたとこはある、それは認める。だけど、魔が差しただけだ」


「……左様ですか。ただ、リコ様、これだけは申し上げておきます。召喚魔法といった聖なる魔法は、清廉な心の持ち主でなければ、使えないことを」


「そんなことは……分かってる」


 だからこそ、このような命(めい)を与えられたのだろうし。

 わたしは体を翻して、歩き始める。しかしすぐに、足が止まる。


「……勇者はもうじき死ぬ。逃げた方がいい」


 そして、気づけばそう口にしていた。


「……それでも私は、勇者様を信じておりますから。それに、ラマレーン様が戻ってくるまで、私がこの村を守らなければいけません」


「そうか。ヘンなこと言った」


 そう言いながら、なにか違和感を覚えたが……そんな邪念を振り払って再び歩みを進めた。

 もう二度と、この村に訪れることはないだろう。


 そして、謎の魔物が暴れてるという森の反対の西の森に立ち入る。すると何故だか、郷愁めいた匂いが村のほうからした気がした。それはさらに、前からもして……。


「リコさま……っ!」


「お前は……」


 その正体は、前から走ってきた獣人シルヴィのものだった。彼女はわたしの目の前で立ち止まって、はぁはぁと乱れた息を整える。


「よかった……はぁ……はぁ……完全に、リコ様のことさっきまで忘れてて……」


「忘れるな! お前らニンゲンが恐れる魔王だぞわたしは!」


「あーいや、リョーもいるから、ダイジョブだろうなって、そーいう意味で」


「勇者などいなくてもわたしだけで余裕だあんなよわっちいの!」


「あれ? でも、こっちに避難しにきたんじゃないの?」


「なめるな! というかお前はバカか? 絶好のチャンスだから、逃げ出したんだ」


「……? やっぱり逃げてきたんでしょ? あのヤバそうなヤツから」


「お前らがわたしを捕らえていた小屋からだ!」


「あーそういえばそうだったね!」


「反応軽いな! 魔王を拘束していた自覚ないのか!」


「うーん……アタシは、アタシが信じたいものを信じるから。だからリコ様の印象、変わってないんだよね」


「なっ……本当に、調子が狂うな、お前らと話していると……」


 上辺のわたししか見ていないくせに、なんなんだ。


「そう? 初めてこの村に来たときのリコ様と、何一つ変わってないと思うけどね、アタシは」


「そんなこと……」


「でも、そだね。魔族と人間は手を取り合えるし、愛し合える──ママとパパが教えてくれたことだから、ただ、アタシがそう思ってるだけかも」


「……お前には、魔族の血も流れている。だけど、お前のような混血は魔族にウトましく思われてる。それでも、自分を信じる?」


「モチロン! それを捨てたら、アタシはアタシじゃなくなるって思うから!」


「……っ!」


 太陽のような眩しい笑顔をする獣人シルヴィ。肩身の狭い生活を強いられていたこいつが、どうして。それはまったくもって、分からないけど、でも……決してブレない信念みたいなのを感じる。


「……今ここで、わたしにコロされても、お前はそう思っていられる?」


「え? あはは、リコ様はそんなことしないよ」


「わたしは、勇者をコロそうとしたんだぞ。ラマレーンを消したのも、わたしなんだぞ?」


「それでもっ」


 表情一つ、彼女は崩さない。

 そして……。


「アタシは、どんなセイサンな現実でも、目をそむけたくないから。過去を、ウソにしたくないから」


「お前……」


 バカバカしい。そう、思うのに……不思議と胸打たれる。

 現実を受け入れられないヤツが、下流域で傷をなめあっていると思ったが、そんなことはないのかもしれない。こいつらは、どこまでも、愚かに美しく、希望を胸に抱いているのか。


(わたしは……)


 あぁ、そうか、わたしは──。

 何故かは分からないが、そんなヤツらが集うあの村が、居心地よかったのかもしれない。


「……お前はさっさと戻れ」


「え、それじゃあリコ様は……?」


「聖女としての務めを果たしにいく。最後にもう一度だけ」


「リコ様──わかった!」


 シルヴィは「気を付けて!」と言って、去っていった。わたしもくるりと体を翻し、村の方へ向く。


(魔王らしくないと思うけど、まあ、いい。わたしは──)


 わたしなりの、魔王を志す。

 だから、認める。

 わたしは、ほうき星村を──守りたい。


 そんな、ちょっぴり甘い魔王こそが、わたしらしいのだろう。

 だからこそ──。


「アイツはわたしの敵とみなす。一緒に戦ってやろう」


 あいつの元にたどり着いたわたしは……わたしがこの手でコロすため、村を守るため──勇者にそう言った。

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