絶え間なく、ドリアード──エリスの触手が繰り出される。
俺はそれを剣で弾くだけで精一杯だった。
右肩を負傷し、利き手でない左腕しか機能していない以上……それが限界だった。
──本当に?
「アアアアアアアァアァッ!!」
そんな邪念を咎めるように、鋭利な先端の触手が、近づいてくる。
「まずったッ──!」
そうだ。
俺が、迷っているからだ。
どういう訳か、ドリアードがエリスである以上……俺は、どうすればいいか、分からないんだ。
まるで走馬燈のように、後悔が駆け巡る。
「勇者さま……っ!」
しかし……死ぬことが許されていないような、奇跡。
こんな俺の盾となるように、モネが前に立ち──片翼で触手の弾丸を受け止める。
「グゥっ!!」
数本の触手が、翼を貫通し──血が辺りを舞踏する。
「勇者……さま……、ワタシはどのような選択も、魔族として──いえ、ワタシとして……受け入れます」
ただ、それでも。モネもエリスのように、自分の信念に忠実だ。
俺は……俺は。
誰にもない、そんな信念があるだろうか。
なんとか、エーテルの鍵を握る。
しかし、迷いを断ち切れない俺に、エーテルの鍵は反応を示さない。
すぐに、四方八方から、触手が襲い掛かる。
死が、近づいてくる。
ダメだ。もう、どうしようもない。
だって、俺は──。
エリスを傷つけたいと、思えないから。
「それが……勇者様の選択──ならば、ワタシも。ワタシも、心優しきエルフの彼女に、託します。勇者様の優しさと、共に──」
それを、モネも察したのだろう。
勇敢な死に顔を刻んで、体の力を抜いた。
そんな時だった。
風の調と共に。
俺の運命を決定づける鉄槌が、やってくる。
「──白なら、いいんだろ」
そんな声と共に。
それは、俺の目の前にヒラリと舞い落ちる。
パンツだ。純白の、パンツだ。
それはすぐに、鮮血に染められる。
死期を悟った俺の感度は抜群だった。
心を超えた、その先。人間じゃない、勇者じゃない、俺だけの本能だ。
舞い踊る俺の鼻血が、触手を塵芥に変えていった──。
「勇者の分際で、わたし以外にコロされることは許さないぞ」
それを理解して、やっと、パンツの主の声が耳に鮮明に届いた。
「リコ……」
どうして、拘束されていたはずの彼女がここにきて、俺を助けたのかは分からない。
しかし……。
「だから、アイツはわたしの敵とみなす。このわたしが一緒に戦ってやろう」
何故だかそう言うリコは、凛然としているように見えて。
とても、頼もしかった。
◆◇◆
わたしはおしっこをした後、小屋を出た。
(これからどうしよう)
とにもかくにも、一度作戦を立て直したほうがいいだろう。最近、無駄に下位の魔族が暴れているようだから、部下にも色々協力してもらったほうがいいかもしれない。
そんなことを考えていると……。
(勇者の生命力が、飢渇していく)
なんでだろう。東の森に遠目に見える魔物はデカイが、やはり力はそれほど感じない。だが、あいつのことだ、なんかやらかしたのだろう。
(わたしの手で勇者を殺すのが、名誉復権の一番の近道だと思ったんだけど)
仕方ない。アイツはもう死にそうだ。別の方法を考えよう。
「…………もう、迷わない」
自分に言い聞かせるように呟いて、西の森の方角へ、一歩踏み出す。エーテルの鍵のおかげで魔力は少しばかし回復した。選択の幅は増えるだろう。
そんな時……後ろから小さな足音がした。
「──貴方を手にかけられなかったこと、それが正しかったのか、私にはわかりませぬ」
振り向くと、クルトさん──クルトがいた。ラマレーンを消したのがわたしだとも知らず、聖女になる特訓を課してくれた愚かなニンゲンだ。
「それも、ラマレーンの思想か」
冷涼と、わたしは返す。
「……ラマレーン様は、生物の和平を志しておられます。リコ様にも……同じ匂いが感じられましたが、私の勘違いでしたな」
「え……わたしに──」
一瞬、戸惑わされたが、すぐにはっとなる。
「だ、だまされないぞ。確かに、お前らに絆されたとこはある、それは認める。だけど、魔が差しただけだ」
「……左様ですか。ただ、リコ様、これだけは申し上げておきます。召喚魔法といった聖なる魔法は、清廉な心の持ち主でなければ、使えないことを」
「そんなことは……分かってる」
だからこそ、このような命(めい)を与えられたのだろうし。
わたしは体を翻して、歩き始める。しかしすぐに、足が止まる。
「……勇者はもうじき死ぬ。逃げた方がいい」
そして、気づけばそう口にしていた。
「……それでも私は、勇者様を信じておりますから。それに、ラマレーン様が戻ってくるまで、私がこの村を守らなければいけません」
「そうか。ヘンなこと言った」
そう言いながら、なにか違和感を覚えたが……そんな邪念を振り払って再び歩みを進めた。
もう二度と、この村に訪れることはないだろう。
そして、謎の魔物が暴れてるという森の反対の西の森に立ち入る。すると何故だか、郷愁めいた匂いが村のほうからした気がした。それはさらに、前からもして……。
「リコさま……っ!」
「お前は……」
その正体は、前から走ってきた獣人シルヴィのものだった。彼女はわたしの目の前で立ち止まって、はぁはぁと乱れた息を整える。
「よかった……はぁ……はぁ……完全に、リコ様のことさっきまで忘れてて……」
「忘れるな! お前らニンゲンが恐れる魔王だぞわたしは!」
「あーいや、リョーもいるから、ダイジョブだろうなって、そーいう意味で」
「勇者などいなくてもわたしだけで余裕だあんなよわっちいの!」
「あれ? でも、こっちに避難しにきたんじゃないの?」
「なめるな! というかお前はバカか? 絶好のチャンスだから、逃げ出したんだ」
「……? やっぱり逃げてきたんでしょ? あのヤバそうなヤツから」
「お前らがわたしを捕らえていた小屋からだ!」
「あーそういえばそうだったね!」
「反応軽いな! 魔王を拘束していた自覚ないのか!」
「うーん……アタシは、アタシが信じたいものを信じるから。だからリコ様の印象、変わってないんだよね」
「なっ……本当に、調子が狂うな、お前らと話していると……」
上辺のわたししか見ていないくせに、なんなんだ。
「そう? 初めてこの村に来たときのリコ様と、何一つ変わってないと思うけどね、アタシは」
「そんなこと……」
「でも、そだね。魔族と人間は手を取り合えるし、愛し合える──ママとパパが教えてくれたことだから、ただ、アタシがそう思ってるだけかも」
「……お前には、魔族の血も流れている。だけど、お前のような混血は魔族にウトましく思われてる。それでも、自分を信じる?」
「モチロン! それを捨てたら、アタシはアタシじゃなくなるって思うから!」
「……っ!」
太陽のような眩しい笑顔をする獣人シルヴィ。肩身の狭い生活を強いられていたこいつが、どうして。それはまったくもって、分からないけど、でも……決してブレない信念みたいなのを感じる。
「……今ここで、わたしにコロされても、お前はそう思っていられる?」
「え? あはは、リコ様はそんなことしないよ」
「わたしは、勇者をコロそうとしたんだぞ。ラマレーンを消したのも、わたしなんだぞ?」
「それでもっ」
表情一つ、彼女は崩さない。
そして……。
「アタシは、どんなセイサンな現実でも、目をそむけたくないから。過去を、ウソにしたくないから」
「お前……」
バカバカしい。そう、思うのに……不思議と胸打たれる。
現実を受け入れられないヤツが、下流域で傷をなめあっていると思ったが、そんなことはないのかもしれない。こいつらは、どこまでも、愚かに美しく、希望を胸に抱いているのか。
(わたしは……)
あぁ、そうか、わたしは──。
何故かは分からないが、そんなヤツらが集うあの村が、居心地よかったのかもしれない。
「……お前はさっさと戻れ」
「え、それじゃあリコ様は……?」
「聖女としての務めを果たしにいく。最後にもう一度だけ」
「リコ様──わかった!」
シルヴィは「気を付けて!」と言って、去っていった。わたしもくるりと体を翻し、村の方へ向く。
(魔王らしくないと思うけど、まあ、いい。わたしは──)
わたしなりの、魔王を志す。
だから、認める。
わたしは、ほうき星村を──守りたい。
そんな、ちょっぴり甘い魔王こそが、わたしらしいのだろう。
だからこそ──。
「アイツはわたしの敵とみなす。一緒に戦ってやろう」
あいつの元にたどり着いたわたしは……わたしがこの手でコロすため、村を守るため──勇者にそう言った。