リコの襲撃から、数日が経った。魔王であると発覚したあいつは──村にある空き小屋に幽閉されることとなった。俺はその空き小屋に入る。
「遅いぞバカタレ。お腹がペコぺコでわたしはオコだ」
「オコ」
いつもの調子で、リコが俺を出迎える。ベッドの脚と手錠で繋がれ拘束されているが、元気なこった。
シルヴィから貰った朝食のパンとスープの皿を、床に置いて……リコの体をマジマジと見つめる。
「何ジロジロ見ている。早くわたしにご飯を食べさせる」
「いや……」
人類の平和を脅かす魔王だとバレてもこうして平常運転でいるのもそうだが──それ以上に、こいつの見た目に違和感を覚える。もちろん、ツノが生えているのもそうだが……こいつの体、この前の夜のあのあと、縮んだのだ。もはや小学生くらいの身長まで。
「お前、まだこの見た目のこと言うか。お前のせいでもあるんだぞ、あのときわたしの魔力は摩耗したのだから」
よく分からないが、ということらしいのだ。魔力を使い果たして、この姿になったのだとか。よく分からないが。
「まあいい。パンとスープ、どっち最初食べたい?」
「パンがいいっ」
「……そうか」
態度は変わっていないはずだが、どうにもガキに見える。これで魔王──自称だが──魔王というのだから、異世界は分からないものだ。
「口を開けろ」
「あーーーん」
大きく開けた口に、パンをいれてやる。餌付けしているみたいだ。
ただ俺は、どうにもあの夜から──こいつの一挙手一投足に、時折不快感を覚える。それが勇者の本能なのか。
「はむ……はむっ……、おいちい……っ!」
「おいちい」
「うん、一心不乱になってお前の指まで噛み千切りそうなくらいおいちい!」
「それはやめろな!」
肺活量も人間離れしてたし、マジで噛み千切られるだろう。
リコなら本当にやってきそうで不安がっていたが──そんなことはされなかった。一瞬でパンをペロリとたいらげて、毒まで食らうように、俺の指を舐めとった。
「お前は犬か」
「イヌ……?」
この世界に犬は居ないらしい。
リコは本当にペットのように、再び口を開け、待っている。俺はスープをスプーンですくって、口元に持っていった。すると笑みを浮かべて、パクリとスプーンを咥える。ちゅうちゅうと音を立てて、飲んでいった。俺はその姿を、微笑ましくも、やはり不愉快で、目を細めて見ていた。
「何変な顔してる?」
それに気づいたリコが、首を傾げてそう訊いてきた。
「いや、子供にしか見えなくてな」
「おい! まだ言うか! 絶滅させるぞ!」
「魔王が言うと冗談に聞こえないからやめろな」
しかし、どうなのだろう。リコは結局、どのような結論を導き出したのか。こうして最低限の拘束に留められているのも、この村でこいつが築いてきた信頼だろうしな。たとえそれが、嘘であったとしても。
「それで、わたしの処遇はどうなる」
そんなことを考えていると、ちょうどリコも同じ様に思ったようで、そう問うてきた。まだスープは残っているが、真剣な表情をしていたから、俺は皿を床に置いた。
「さあな。俺は特に何も言われてない」
「ぷぷ、お前、勇者なのに。このはみ出しもんッ」
「やっぱ処刑だったかもしれん」
「なっ……やはり指を噛み千切っておけばよかった」
実際のところ、神父であるクルトさんも決めあぐねているようだった。話を聞く感じ、例の行方不明になっているラマレーンの意向が大事かどうとかで。
「逆に、お前はどうなんだよ」
「……勘違いするな。わたしは魔王だ。この前は取り乱したが、魔力が回復したら世界を掌握する!」
「じゃあ倒しとくか」
俺は背負っている鞘に手を当てる。
「お、おい待て。わたしをコロシたところで、なんの意味もない。何故ならわたしは、四天王の中でも最弱ッ!」
「自分で言うセリフじゃないだろそれ。ってかお前魔王だろ。魔王ってのは4人もいるのか?」
「は? 居る訳ないだろ。お前はバカか?」
「お前が四天王って言ったからな!」
「わたしは、裏切り者の手によって力を封印されたからな。だから、今本気を出しても四天王の足元にも及ばない、ということだ。そんなことも分からないのか」
「分かるかよ。ってか四天王より弱いのかよ。じゃあ結局立ち位置なんだよお前」
「言うなれば、魔王だったが──今は魔王の卵に戻った、というところか」
「じゃあ結局魔王じゃねぇのなお前!」
「だから今は、だ! ちょっと裏切られて力を失って、イジワルされて城を追い出されただけだ! だからパパ、城のみんなを見返すため、勇者をコロスことにしたんだ!」
「なんかもはや可哀想になってきたぞ……」
俺も勇者の資質があるとは思えないが、こいつも魔王の資質は無さそうに思える。いや、冷静にそうか。いくら勇者を召喚して暗殺する目的だったとはいえ、魔王がのほほんとこんな場所で暮らしていなかっただろう。というかそもそも、勇者を召喚する聖霊やら聖女やらを殺してしまえばよかったのだ。本当に、特別な事情があったということか。
だがしかし……。
「……その、ラマレーンとかいう聖女が行方不明になっているのは、お前のせいか?」
「あぁ、そうだ。わたしの話術で騙してやってな!」
「……なるほど」
こいつにそんな舌鋒があるとは思えないが、一応この村に溶け込んでいる訳だから、上手くはいっていたのだろう。
「まあ、なんでもいい。俺も、これからの方向性がまだ定まっている訳ではないからな」
「悠長だな。わたしはもう、二度と過ちを犯さないぞ。必ず、お前を、下流域を制圧するぞ」
「嘘でもそんなつもりは無いって言えばいいのにな」
「ふふっ、わたしをコロセば、わたしの部下がここに来る。ゴブリンやオークなんかよりも、ずっと強い上位の魔族が」
「……そうなれば、俺が倒すさ。なにせ、俺がお前を倒すということは、俺がそういう選択をしたということだからな」
「……どういう意味?」
「さあな。……っと、スープ、冷めちまうぞ。早く食え」
「確かに。うん、そうする」
あーんと、口を開けるリコ。魔族とやらの脅威を忘れそうになるくらい、いい笑顔をしている。
しかし──俺には。
(……やはり、内なる俺が、染みついた勇者のDNAみたいなものが、こいつを嫌っている)
この笑顔が──ひどく、不気味に見えて仕方ないのだ。
(俺が完全に勇者として生きる道を選択したとき、俺はきっと、俺じゃなくなるだろうな)
まるでエーテルの鍵の操り人形となるように、アイデンティティを喪い、この世界でもそのようにして存在意義を見出すだろう。俺の過去が、内なる勇者の使命が、それほどまでに根を張っている。
「おいちいっ」
子供のように、純真無垢な笑顔を浮かべるリコに対して──俺は、そんな感情を押し殺すのだった。
それからさらに、数日が経った。何度か魔族の襲撃を受けたが、まあ、なんとかなった。というか、俺もどうやら力を付けているようだ。これもエーテルの鍵の力なのか、魔族を倒す意志が強くなるほど、俺の力は解放されていく。
そのことを、未だ処遇が決められていないリコに話した。
ちなみに、クルトさんはこいつから話を聞いたらしいが、嘘か真か、ラマレーンの居場所は知らないの一点張りだったらしい。
「ふぅ、満腹だ」
朝食を食べ干したリコは満足げにそう言った。口元に食べかすが残っていたので、俺はティッシュで拭ってやった。
「……っ」
額から汗が零れる。どうにもエーテルの鍵の力が強くなるほど、こいつへの憎悪も強まっていった。これも勇者の本能なのか。そしてそれは、こいつが何より魔族だという証拠なのだろう。
「何、わたしを見つめている。……お前の気持ちには応えられないぞ」
「は? 勘違いするな。誰がお前みたいなチンチクリン」
「チンチク──それは卑猥な言葉か?」
「何言ってんだお前」
実のところ、こうして、軽口を叩くのも結構しんどくなってきている。
「まさか、このわたしがニンゲンに惚れられるとはな」
「だから勘違いするな」
「しかし、こういうのは誠意を込めて答えてやるべきだとわたしは思う」
「相変わらず人の話聞かないのな」
「わたしはお前と交際できない。ごめんください」
「お前本当に俺としゃべってるか!? あとごめんくださいってなんだよ。もてなされたいのか?」
「せめてわたしの手でコロシてやるから、それで許すこと」
「愛憎劇かよ」
「あ、おしっこしたい。お前、可及的速やかに手枷外す」
「ホント自由度高いのなお前。言っとくが囚われの身だからな」
「ふふふっ」
「褒めてないぞ」
俺は手錠を外してやる。そして、リコと共に立ち上がる。刑務官が囚人を見張るがごとく、トイレに行くところを後ろからついていく。
正直なところ、一応は魔王だから万が一を考えて俺が面倒を見ることになっているが、こういうのは少し申し訳なく思う。一応年頃の女の子っぽいし。しかも、今はこの見た目だし。
(いや魔族だからメス、なのか……?)
そこらへん、どういう呼称なのだろう。
「なあ、お前ってメスなのか?」
「なにそれセクハラ?」
「悪い、言葉が足りて無かったな。魔族の性別って、どうなってる」
「え、男か女。ニンゲンと同じ」
「そうか。いや、深い意味はない」
どうにも、亜人──と言えばいいのだろうか。魔族には、人間に近しい見た目の種族が多いから、気になっていた。いわば、人間とチンパンジーの遺伝子が近しくあるように。魔族と人間のDNAもそれほど差異が無いのではないかと気になっていた。
「けっ、まさか魔王のわたしが勇者とツレションだなんて、笑いもんだぜ!」
「キャラどうした急に。ってか魔族界隈にもツレションって言葉あんだな」
というかそもそもこの世界にもあるのかよ。
「知らない。今わたしが作った」
「だとしたらお前は才能あるよ」
いや別にツレションを最初に考えた人にリスペクトを送りたいかと言われたら、そうでもないが。俺も割かしこいつと適当に会話してんだな。
「ってかツレションじゃないだろ。俺はそういうとき、トイレの扉の前で待ってるだろ」
「ツレ……ション……? なんだ、それは……?」
「お前が言ったことだよな! 誰かを連れ立って小便に行く、でツレションだろ!?」
「お前……それ、言ってて恥ずかしくないのか……?」
「今日はいつにも増してノリで喋ってんなお前!」
「ノリ……?」
「あぁそれは通じなくてもおかしくなさそうなのがムカつくな!」
ツレションのやり取りももしかしたら俺の夢かもしれない。もはや、そんな気すらしてきた。異世界に順応するのは難しい。
そんなやり取りをしていると、トイレまで辿り着く。
そして、そんな時──小屋の扉が開いて、モネが走ってやってきた。顔は青ざめ、取り乱しているのが見て分かる。
「どうしたモネ、魔族か?」
「は、はい──ですが、いつものとは、違います」
彼女はそこで生唾を飲んで、言葉を続ける。
「勇者様が初めて村にきたときのインキュバス──いえ、この間のリコ様よりもずっと、ずっと──魔力を感じる魔物が、東の森からこちらへ向かってきます」