「大人しく、わたしに殺される……! このわたし──魔王、リコリス・ネヴァンモアにッ!」
魔王──確かにこいつは、そう言った。俺の心の臓がある位置に突きつけられた杖に力が増し、さらなる重圧がエーテルの鍵に加わる。
「……っ、魔王、お前を倒せば、俺の仕事は終わりってことか?」
リコの力は、それほどのものではない。俺はエーテルの鍵を上に引き、杖を弾いた。するとリコはバランスを崩し、千鳥足になりながら、後ずさる。俺も体勢を立て直し──向き合う。
「お前なんかに、わたしが倒せるものか! このわたしが、お前を召喚したんだぞ!」
「それはそれ」
「なんだその具体性のない返答は!」
「お前がいつも言ってるやつだぞ?」
「それはそれ!!」
「早速出てる!」
決して、今までの言動全てが嘘には思えない。そもそも、恐れる存在である魔王にすら見えない。
しかし──リコの目には、強い信念のようなものが宿っているように伺えた。溢れんばかりの殺気も、その信念に関係しているのかもしれない。
「好きと嫌いは紙一重だというが、まさにその通りなのだな。俺はな、リコ、お前が好きなのかと思った」
「…………っ、……………………………………………………………………………………………………………………………………………………わたしをなめるな! 魔王はそのような戯言で、心を揺さぶられない!」
「ラグえぐかったけどな」
「うるさいだまれ! 告白は初めてだから、仕方がない!」
「魔族にもそういう文化あるんだな」
変人奇人っぷりは相も変わらず。しかし、リコは本気で俺を殺そうとしている。逆立てた杖を再び、俺の心臓部に伸ばしてくる。俺はそれを、軽やかに弾く。しかしリコは余裕な様子で、胸を張る。
「ふっふっふ、なら、いい。わたしの本気を見せてやろうっ!」
「バトルマンガの敵キャラみたいなことを言うな」
再び、リコが向かってくる。無軌道に杖を突き出し──俺は弾く。
「お前、守ってばかり。わたしを舐めるな!」
「別になめていないさ。ただ……そうだな。さっきも言った通り、俺は勇者に興味などない。だからお前が魔王だろうと、戦う理由はない」
「そ、そんなことは、あり得ない。世界掌握を試みる魔王を邪魔立てする存在が、勇者だ。お前はわたしを、憎悪する。わたしはお前を、憎悪する。そういう存在なんだ、わたしたちは……! そうでないと、いけないんだ……!」
「なるほどな」
やっと、合点がいった気がする。出会ったときから、リコを忌み嫌うこの特別な感情も、俺が勇者であるからなのか。まるでDNAに刷り込まれているように──俺はこいつが憎い。ハーレムのためではあるが、戦うと決めてからその感情は、みるみると膨れ上がっている。
「お前を殺して、わたしは……っ、魔王に”戻ら”なくてはならないんだ、わたしは優しくなんか、甘くなんか、ないっ! そうで、なければ……っ」
リコも、そんな本能からくる潜在的な感情だけを武器にしているようにしか見えなかった。
「リコにどんな事情があるかは知らんが、お前も魔王とやらに向いてないと思うぞ」
「なに……?」
「色々と、俺も幸運に助けられたとはいえ──お前、他にいくらでも俺を殺すチャンスあっただろ。俺と二人でバカしてた時間とかな。だがそれが、お前の逃げだったんじゃないか? お前も、魔王としての使命から逃げてたんじゃないのか?」
「違う、そんなことは……ないっ、落とし穴掘ったり、看板にイタズラしたりしたのは、わたしなんだぞ……!」
「それだけ聞くと子供っぽいな」
「あー! ホントにお前はムカつくやつだ! もう一度さっきの台詞言ってみろ!」
「だから──いやどれだよ! 結構会話進んだぞ!」
「子供っぽいって言ったことだ! わたしは子供じゃない!」
「それかよ! 魔王に向いてない~とかのくだりじゃないのかよ!」
「ぐぬぬぬッ、お前はわたしをオコにさせた!」
「オコ」
「ふっふっふ、それなら、いい。わたしの本気を見せてやろう!」
「さっきも聞いたぞそれ」
それは、リコのいつもの調子かと思ったが──リコを白光の粒子(パーティクル)が包み込む。それは、月明かりを飲み込むような、絢爛な光だった。
しかし、すぐに──禍々しい闇の粒子に成り代わる。リコにしては、彼女のいう魔王を象徴しているようだった。そう思うとすぐに、明滅しながら、粒子は拡散する。
「これがわたしの──真の姿」
粒子が霧散し、姿を現したリコは──頭に2本のツノが生えている。それは決して、人間の姿ではなかった。
しかし──それ以外は、なんの変わりもなかった。顔も、声も、体格も、リコのまんまだった。
「……魔王って割に、地味な変身だな」
「ツノ生えてる。背も2cmくらい伸びてる。そもそも、これだって、力を出しきれてないッ!」
リコは、今度は杖を剣のようにして振りかぶり──振り下ろす。俺は、先程と動作を変えずに迎え撃つ──。
「……っ!」
それは、思わぬ衝撃だった。まさに、剣戟──エーテルの鍵と杖が交差し、激しく火花をまき散らす。手が痺れるほどの、重厚感が走る。人間離れした身体能力になっていることは間違いなさそうだった。
「ふっ、エーテルの鍵とは、勇者が懐疑した”虚構”を祓い、”真理”を導き出す力がある。わたしがお前を簡単に殺さなかったのは、お前にエーテルの鍵を使わせ、わたしの封印された”本当”の力を呼び戻してもらう必要があったから。今のわたしは、ニンゲンに仮装する魔法だけでも、かなりの魔力を消耗するからっ」
「めっちゃ解説してくれるのな……!」
「だって普通に勝てそうだからな!」
「嬉しそうで何よりだ……ッ!」
カキンッ──つばぜり合いになっていたエーテルの鍵が、杖に弾き飛ばされる。バランスを崩し、倒れそうになるが──なんとか足腰に力を入れて持ちこたえる。手首が痺れ、じんじんと痛む。そのリコの華奢な腕からは到底想像できない力が、エーテルの鍵によって発現してしまったらしい。
気づけば、エーテルの鍵が白く発光していた。そしてリコの体も──同じように発光している。ますます、リコの封印された?という力が解放されているのだろうか。
「虚構を真理に──か」
俺も、そのエーテルの鍵の力とは裏腹に、自分に嘘ばかりついてきた。
ただ、こいつは、どうなのだろう。
「リコ──お前の言動は、どこまで本当だったんだ?」
「……なに?」
「俺に対する殺意は本物だろう。だが、他のヤツらに対してはどうだ。シルヴィやモネは、お前を慕っているようだったぞ」
「そんなの……わたしの演技に騙されてるだけだ。お前をコロシたら、みんなもコロス。下流域の住民のような、傷を舐め合ってる平和ボケしてるやつらは、わたしはキライだ」
「そうか。だとしたら、俺はお前を倒すしかないな」
俺はエーテルの鍵を構える。しかしそれは……それも、俺の虚勢だった。未だに腕は痺れ、力が入らない。これ以上リコに力を解放されたなら、確実に負ける。そんな俺の心に比例するように、エーテルの鍵を纏う光が弱くなる。
地面を蹴って、リコが向かってくる。大きく杖を振りかぶりながら。
「リコ、俺は今まで自分に嘘をついた分、これからは信じてみることにするさ」
「なに、ワケ分かんないこと……っ!」
杖が、振り下ろされる。ものすごい速度だ。俺はただ受け止めようと待ち構える。
そう、それは──リコの本心本意を。
「俺は俺を信じる。リコは──俺以外には優しいヤツだってことをな」
「はっ、なんだよっ、それ……! わたしは魔王だ! ニンゲンも、ニンゲンと愛を育む愚かな混血も、ニンゲンに絆される下位の魔族も……わたしは、大キライだッッ!」
熱の籠った声音をあげながら、エーテルの鍵と杖がぶつかり合う。鈍い金属音と共に、感覚を失いつつある腕に、重さが広がっていく。
それが、リコの本心ということだ。
だからこそ。
虚が暴かれ、現実が色づく。
「どう……して……っっ」
エーテルの鍵から、リコの体から、纏っていた光が夜空へ舞っていく。徐々に、リコの腕から力が失われていく。
「やはり、お前が嫌いなのは俺だけか。エーテルの鍵に暴かれちまったな」
「違う! わたしは、この村のヤツらなんて……っ! それに、なんで……、なんで、そんな方法なんかに……っ! 勇者であろう者が、自分を卑下してまで、懐疑を示すことだったのか……!?」
「確かにダサいかもな。だが、俺にはお似合いなことだ。俺は他人の言いなりの人生だったんだ。自分の意思なんて、どうでもよかった。他人に嫌われるのは、怖いからな!」
「なんだよ、それッッ!」
「しかし今は違う。そうだな──たとえば、好きな相手の頼み事なら、見返りなど求めずに心の底から率先して協力したいと思うだろ? だから恋人を沢山作り、ハーレムを完成させれば、俺のアイデンティティは活かされ、人生は彩り豊かになることだろう!」
「信じられない……っ! お前のそんな愚鈍な思惑に、このわたしが……っ!」
「それは違うぞリコ。お前が心の底から、この村の俺以外の存在を忌み嫌っていたとしたら、エーテルの鍵は通用しなかっただろ」
「わたしは──……っっ」
悔しそうに、唇を噛み締めるリコ。戦意喪失したように、杖を地面に落とした。そして、膝から崩れ落ちる。俺は静かに近寄っていく。
「わたしは、魔王として、魔族として……間違えたのか。この村は……不思議と、居心地は悪くなかった……。みんな、優しくしてくれた……。たとえそれが、聖霊の代わりの聖女としてでも……」
「……俺も、そうかもしれない。勇者だから、俺によくしてくれるのかもしれない。だが、いいじゃないか。みんなが俺達に対してどう思うかじゃなくて、俺達がみんなを好きでいればな」
「……綺麗事。戯言」
「そうかもしれないな」
「だけど、今のわたしには言い返せない……本当に……どうして、わたしは……」
リコは項垂れる。戦意喪失したように、ただ地面を見つめる。俺はぽんっと、リコの頭に手を乗せた。何故だか──それは、分からない。
ただ一つ、分かったのは。
勇者でない、俺個人としては、こいつのことが嫌いではないということだ──。