教会の外に出る。時間帯もあり、元々外に出ていた人は少ないのだろう。外に居た人も、すぐに家屋に向かい、避難はすぐに完了していく。しかし……魔族はばらけていき、俺達の方へ、そして家屋に向かっていった。
「ゴブリンとオークの群生──オークも下位の魔族だけど、お前が鼻血を出せなきゃ終わり」
「じゃあ早く純白のパンツを持ってこい! そして俺に見せるんだ! でなければ俺は興奮しない!」
「お前死ぬほど失礼! それに無理だ! パ、パンツも風に飛ばされてどこかへ行ってしまった……白いのはあれしかない!」
「お前どんだけ飛ばされてんだよ! 1日でブラとパンツ両方いかれるか普通!」
「わたしの家は風通りがいいんだ!」
「今どうでもいい情報すぎる!」
「とにかく、お前がなんとかして──あッ……っ」
ぶんっ──と風を切る音。その方向に視線をやると、小さな斧が飛んできていた。そしてその奥、華奢な緑色の体──今朝見た、ゴブリンがいた。
「くっ……!」
直撃する距離にいたリコ──杖で斧をなんとか弾き飛ばす。それに気を取られていると──それまた緑色の体の、俺の身長の1.5倍くらい大きい魔物が近づいてきた。リコの言葉から、そいつがオークだろう。ゴツイ四角の顔で、精悍な目つきに、二本大きい牙が生えている。オークは地面を蹴り、軽々しく持っていた鉄製の槍を振り回しながら、こちらに向かってきた。
「こんなとこで、使いたくなかったが……っ」
俺は胸ポケットに手を入れ、リコのブラジャーを取り出す。そして──オークの顔めがけて思いっきり投げた。
「あ! あれわたしの! なんでお前が持っている!」
「知っているか、リコ」
「は……なにが?」
「ブラジャーは──シックスセンスを奪う」
「い、意味が分からない!」
俺はリコの言葉を無視して、オークに視線をやる。
ゆらりゆらりと蝶のように舞うようにして飛んでいったブラがオークの顔に命中した!
「ぐおぉおおぉお」
視界を奪われたオークは唸るような声をあげながら、足が止まる。
「ふっ、こんなようにな」
「おー──いやお前がわたしのブラジャーを持っている理由は!!」
俺は無視をする。俺にとって都合が悪いからだ。
して、ここからどうする? 魔族に勇者の血が有効なのは先の経験から分かるが、多くの血を流すには、やはり鼻血しかない。しかし、リコの水色のパンツじゃ鼻血は出ない……!
隣から「答えろ!」とリコが騒ぎ立てている。どうしてこんなときでもマイペースなヤツなんだ!
(くそ……どうする?)
額から汗が滴り落ちる。ジリジリと、ゴブリンとオークが距離を詰めてくる。辺りを見渡すと、すぐそこまで迫られている民家もあった。
ついに俺の幸運も、ここで終わるのか……?
(俺はただ──ハーレムを作りたいだけなのに!)
いいじゃないか、親の言いなりで幕を閉じた前世だ、これくらいの理想を思い描くことは。
(それなのに、どうして……)
本当に、どうしてだろう。
再び、周囲を見渡す。
気になって、胸が痛んで、仕方ないのだ。
叫び声が聞こえる。そいつらは窓から、「勇者様!」と俺に助けを求める。
それは自分の身を按ずるより、俺の心を蝕む。
「勇者さま……っ」
気づけば、モネが近くにやってきていた。
「モネ、どうして……お前、戦えるのか?」
「いえ、残念ながら……ハーピーの翼は血液のようなもの、その血液は魔力そのもののようなもの……今のワタシは、戦えません。だけど、体だけは人間よりも、が、頑丈ですから……せめて、勇者様の盾となれるかもしれません」
「モネ……」
そうやって、俺に期待する。理想を押し付ける。”自分の息子”だからと、”勇者”だからと。そんな欺瞞な肩書が、俺そのものの価値のように扱われる。
モネが俺とリコの前に立ち、翼を広げる。古傷が痛むのか、恐怖からか、片方の羽がピクピクと震えている。
「リョーー! アタシ、ゼッタイ、信じてるから!!」
遠くから、声が聞こえた。目をやると、窓から顔を出すシルヴィが見えた。あいつも、”勇者”である俺に期待する一人だ。
(クソみたいな運命だ……前世と何も変わらない……全部、アメノの言う通り……ッ)
そしてそれは。
あぁ、そうだ。それは、俺自身が変わっていないからだ。それだって、アメノの言う通り、俺の過去が、今の俺を形成しているからだ。人格に、ミッシングリンクは起きない。一歩一歩着実に成長を遂げ、子供から大人になっていくのが人間ってヤツだ。
「嫌だと言えばよかった」
俺は、体の力を抜く。
「……お前?」
隣で困惑を顔に貼り付けているリコ。俺は今、どんな顔をしているのだろう。
「だが言えなかった」
勉強をする意味が分からないと言えば、父親に見放され、俺が生きている意味を見失いそうで怖かったから。
そう、怖かっただけなのだ。自衛で自由を手放してきた。
「それはこうして異世界に来た今でも、俺に強く根付いている」
俺は変わったと思い込んだ。
勇者になるつもりはないと、リコとクルトさんに言った。しかし、シルヴィやモネ、エルフのエリスの信念や本懐が、胸を打った。
「だが、それももうおしまいだ」
アメノに言われた罰などどうでもいい。生命が自ら命を絶つことが神にとって不義理だとしても。そんなこと知ったこっちゃない。どこに、俺が背負う理由があるというのだ。
「俺は──お前らのために勇者になんてなってやらない」
「なっ……お前!」
「勇者……様……?」
リコとモネが愕然と俺の顔を見る。リコは怒りも滲んでいた。
そんな俺達を、チャンスかと思ったかのように、ゴブリンとオークが囲う。まさに、袋の鼠だ。
「俺は決して、できた人間じゃない。こんな俺になったのは、親のせいにしたくなるくらいにはな。だが──」
四方八方から、ゴブリンがとびかかってくる。オークが槍を伸ばしてくる。
俺は……背中に手をやり、エーテルの鍵を握り締める。
「俺の意志で、勇者になってやる。そしてそれは断じてお前らの為じゃない」
手に力を籠め──思いきりエーテルの鍵を抜く。勇者にしか抜けないと謳われる、伝説の剣を抜くように、自分の力を信じ込んで。
持つのもやっとだったエーテルの鍵が、軽やかに俺の手中に収まる。共鳴するように手に馴染み、俺の体の一部かのように軽やかだ。
風を切り裂くような一閃を宙に薙ぐ──ゴブリンやオークは粉塵となり、土塊に化す。
「目覚めたのか……お前は、勇者に……っ!」
少しして、状況を理解したようで、リコがそう言う。心なしか、嬉しそうだ。
「いや知らん。ただ、自分の欲望に忠実になったらこうなっていた」
「欲望に忠実……?」
しかし、すぐにその顔は曇った。だが、俺は今更リコの前でいい恰好などするつもりはない。
「今言ったのが俺の本音だ。俺は勇者、魔族の討伐などに興味はない」
「ど、どういう意味……?」
「俺が戦うのは、そう──それは……」
俺は胸を張り、リコにビシっと指を立てる。そして、言葉を続ける。
「俺が戦うのは、そう──それは……ハーレムをつくるため──モテるためだ! 勇者の使命とやらはその手段にしてやろうと思う! 勇者というネームバリューなしで恋愛を育みたかったが、まあきっかけくらいはあってもいいだろう!」
「えぇ……」
リコはドン引きしていた。俺は気にせず、モネに視線をやる。
「だからモネ、お前も勇者でない、本当の俺を見て──好きになってくれ!」
「え……よく分かりませんが、分かりました……?」
絶対分かっていなさそうだが、まあいいだろう。
俺は剣を持ち直し、周囲の状況を確認する。仲間を殺されたからなのか、残りの魔物のほとんどがこちらに近づいてくるが、未だ民家に向かっているヤツもいた。俺は地面を蹴る。
「……お前が、本当に勇者──そう、なのか……」
落胆か、驚嘆か、もしくは別の感情か。そんな読み取れないリコの声をバックに、俺は民家を襲おうとするゴブリンの元へ向かった。
足止めをするように、群がってくるゴブリンとオーク。しかし、走りながらたった一撃を加えるだけで、ヤツらの体は灰になる。本当に俺自身が強くなったと錯覚するくらいに、簡単だった。俺は次々と、屠っていく。それはまさに流れ作業のように、単調だった。
(別にいいさ。俺が誰かのいいなりでも)
そんな、余計なことを考える余裕があるくらいには。
そして気づけば魔物もほとんど居なくなっていた。最後のオークを倒す。
しかし──。
俺に向けられる殺意は潰えていなかった。
(俺自ら、マリオネットになることを選ぶのなら──それは俺の自由意志だ。こういう運命も、自分の足で歩くのなら、彩りが出るってものだろう?)
その殺意を向ける相手にも言うように、俺は胸中で思う。
背後──悍ましい殺気が、足音と共に近づいてくる。
(なるほど。この感情は、そういうことだったのか)
まるで勇者の役目を果たすために、潜在的に刷り込まれているような意識。
振り向くことなくエーテルの鍵をすぐさま背に回す。
すると──カキンと金属音が鳴り、重圧がエーテルの鍵に乗る。
「まさか、そこまで嫌われているとは思わなかったぞ」
俺は静かに首を回す。切っ先のように月光に照らされ光る、杖の先端。
そして──筆舌に尽くし難いほどに、悲しげで、怒りに満ちたリコの顔が目に映った。気づけば、人間とは思えない、2本のツノを頭に生えている。
殺気の正体──リコが俺を殺そうとしたのだ。
さらに。
便宜上でも、勇者になって、分かった事がある。
リコに対するこの感情は決して、恋愛感情などではなく──”魔族”である彼女への、明々白々な嫌悪感だ。
俺はこいつのことが、ずっと、嫌いだったのだろう──。