村に戻ってきたときには、既に夕日は落ち、藍色の空に成り代わっていた。汲んだ水が入った瓢箪を、酒場の前に居たリコに渡すと「お前遅い」と杖で頭を叩かれた。しかし、俺が道に迷ったせいなので、今回は甘んじて受け入ることにした。
そうして、すぐに酒場に立ち入り……リコと共に木製の丸テーブルを囲み、約束したシルヴィの料理を待っていた。
「シルヴィに好かれているんだな、お前。山菜を一緒にとりにいったらしいな」
「あぁ。告白の予約をした仲だ」
「なにそれ」
そんな話をしていると──噂をすればなんとやらか。両手に皿を持った、真っ白なエプロン姿のシルヴィがやってきた。
「お待たせ、リョー! 朝一緒にとったキノコのスープ! これがアタシのスペシャリテ!」
軽快な足取り、軽快な声を奏でながら近づいてくるシルヴィ。危なっかしいな、と思っていると──。
「キャッ!!」
彼女は本当に、何かに躓いて豪快に転んだ。皿も豪快に宙に舞い、スペシャリテと言ったスープを全身に浴びる。
「あちちっ──や、やってしまったーーーーーーー! もう二度と作れないくらいの傑作だったのにィ!」
体を起こしたシルヴィは今にも泣きそうな勢いだった。そんな彼女のエプロンが、スープに濡れ、透けていき……俺はそっちに意識を持っていかれる。波紋が広がるように、さらに透けていき……白いエプロンを貫通し、ピンク色のブラジャーが浮かび上がってきた。それはとても、エロかった。
「お前……ホンモノなんだな」
リコはドン引きしていた。これは……返す言葉もなかった。俺は我に返り、シルヴィの元へ駆け寄る。すぐに、リコも続いた。
「なんで何もないところで転んで……」
修道服からハンカチを取り出し、そう言いながらリコはシルヴィの体を拭いていく。
「わ、分かんない──あー……ホント、ウマく作れたのに──ぺろ」
口元のスープをシルヴィは舌で舐めとる。すると……苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「……どうしたんだ?」
俺がそう聞くと──シルヴィは、目をパチクリとさせる。
そして……。
「こ、これ……たぶん毒キノコ入ってた……」
まさに衝撃の事実を口にした。
「お、おい! 大丈夫なのか!?」
「え? う、うん。そりゃ、アタシ獣人だし」
「だから獣人すげえな! 毒もいけんのかよ!」
「そ、それより……事故とはいえ、よ、よかったよ。だって、こうなってなかったら、リョーが食べてたってことだから……これ、人間が食べたら、確実に死ぬやつ……」
「ま、まじか」
そう考えれば、結果オーライだが。むしろ、シルヴィに問題がないなら透けた下着を見れてラッキーまである。
(また、これか……)
しかし、俺の胸の中は釈然としなかった。
その後、シルヴィが新しく料理を作ってくれ、舌つづみを打ったが──脳内は、別のことにすぐ支配されそうになった。
そうして食事をして、すぐさま俺は教会に戻った。教会の長机に寝転がりながら、思案する。
(あの毒入りのスープ──あれがもし、偶然でないとしたら、どうする?)
そう思ったのには、根拠がある。
ここに来てから、俺の幸運には不運が同居し……逆も然り。俺の不運には幸運が同居してきた。
(ラッキースケベの展開が訪れたとき、俺は絶対に死にかける)
たとえば、エルフ族と出会ったときのこと。あのとき俺は、エルフの水浴びのエッチな現場と遭遇した。しかし、そのせいで殺されかけた。
(そして、逆だ。俺が死にかけたとき、ラッキースケベに救われる)
意味の分からないくらい深い落とし穴に落ちるのを、突如風に飛んできたリコのブラジャーに視界を遮られ、運よく回避した。
(さらに、毒入りスープだ)
シルヴィがこぼしてなければ、俺はスープを飲んで死んでいたことだろう。しかし、そのお陰でスープでシルヴィの服が透け、エッチな姿を目に焼き付けることができた。
(色々重なりすぎている)
あくまで、可能性に過ぎないが──これもアメノのいう罰に含まれていたら、厄介なこと極まりない。俺は普通にハーレムを作りたいだけなのに……。
そんなことを考えている中──教会の扉の軋む音が聞こえる。夜も更けていたことで、身体がピクリと震えた。
しかし……。
「え、なんでお前こんなとこにいるの?」
目をやると、入ってきたのはリコで、俺はほっと胸を撫で下ろした。
「ここが誰かさんが俺に用意した寝床だからな」
「そうなんだ」
なんの悪気もなくそう言って、コツコツと歩いてくる。そして、俺の近くまでくると、「こんな薄い毛布しか与えられなくて可哀想」と言った。
「それも心の冷たい誰かさんにそれしか用意してもらえなかったからな」
「それはすごいねっ」
「お前は皮肉が通じないのかそもそも会話が通じないのかどっちなんだ?」
こいつには腹が立つも、俺はリコと話していると、胸が締め付けられるような感覚に陥る。一度も経験したことのない感覚だ。これもラッキースケベに関係しているのかもしれない。でなければ、俺はこいつとソリが合わないのに、一度キスをしただけで好きになる愚か者だ。俺は恋愛というものを、心と心で通い合わせるべきだと考えているのに。
「お前に話がある」
「ホントマイペースだよなリコって」
「ウケる」
「やっぱり会話が通じないんだなお前は」
というか、俺と事務的な会話以外、する気など毛頭ないのだろう。
「お前の鼻血で、魔族を倒せるでしょ」
「まあ、そうっぽいな」
「お前には、お前の鼻血で……この村を、守って欲しい。わたしには……何もできそうにないから……」
そう言うリコの表情は──どこか悔し気だった。
しかし……。
俺の前でそんな顔をするのが、正直なところ、演技臭くもある。
「らしくもないな。お前なら、自分で何とかできるって思いこんでそうだが」
「クソ! こっちが下手に出てやりゃ貴様ァ!」
「えぇ……もうちょい頑張れよ、演技」
「わたしは強い! これから、もっと強くなる! だからお前の力など借りたくもない! けど今……ここに来る下級の魔族にすら手が出ないなんて、わたしのコケンに関わる!」
「それが本音か。お前、分かりやすい性格なんだから最初からそうしとけよ」
こいつが魔族に対して何か強い思い入れがあるのは本当だろう。インキュバスが襲撃してきたとき、妙な反応をしていた気がする。
「正直に答える。お前の鼻血のトリガーは──わたしの下着か?」
「……それは、答えないと駄目か?」
「当たり前。お前が戦うためなら、わたしも協力してやる」
「え、マジか? つまり、リコのパンツを俺にくれるということか?」
「そ、そこまでするか! せめて下着を見せる程度! もしお前にわたしの下着を所持されるようなことがあったら、お前を殺してわたしも死ぬ!」
「なるほど」
実際、こいつのブラジャーを持っているのだが。今見せてもいいが、もう少しあっためてやろう。決して、返したくない訳ではない。
「ただ、下着を見せるということだけでも、わたしにとって屈辱で恥辱で一生の不覚で死ぬよりツライ拷問」
「そこまで言われると俺も傷つくな」
「当たり前だバカもの。そもそもそういうのは、伴侶にしか見せてはダメなんだ」
「貞操観念だけは聖女っぽいなお前。だが俺も、恋愛とは心と心が結ばれるべき高尚なものだと思うぞ」
「ふっ、お前にそんな相手が現れるものかっ」
「それはこっちの台詞だッ」
とはいえ、実際リコの方がモテそうなのが悔しいところだ。
「そんなことはどうでもいい。……お前は勇者であることを自覚しているだけでいいんだから」
「それは……」
俺はリコから視線をずらし、地面にやる。みんなに言われる使命は面倒で、同時に俺を悲しい気持ちにもする。
そうだ。こいつは、俺が勇者だから関わってくるだけだ。他の連中もそうだろうしな。この村の人間は確かに優しいが、初対面の俺にここまでよくしてくれるのは、勇者という肩書があるからだろう。
「……俺にはエーテルの鍵が使えない」
だが、面倒が勝つ。俺はそれを逃げ道にする。
「でもお前には鼻血がある。言ったでしょ、わたしは協力するって。恥を忍んでね」
リコはそう言って。ピンとつま先だって──俺の肩に手を乗せ、ぽんっと叩いた。不覚にもきゅんとした。ドキっとした。
そして──。
彼女は修道服を両手でつまみ、ふわっと上に持ち上げた。露わになる、水色の下着。ブラジャーと同じ色だ。なるほど。本日のセットということだろう。
「リコお前……」
「な、何も言うな。こ、これは修行だ。恥も見聞も捨てて、わたしがお前に下着を見せるための……っ」
顔を見ると、ステンドグラスから差し込む月明かりに仄かに赤く染まった頬が照らされていた。
可愛いとか、エロいとか、色々と形容するような言葉はある気がするが──俺は、美しいと思った。自分の目的のために、ここまでできるリコのことが。
だが、俺は……。
「……ダメだリコ。全然興奮しない」
こいつのパンツには何も感じなかった。
「は──な、なんで!?」
「俺が興奮するのは、白のパンツなんだ」
俺のその性癖は殺されたことで目覚めたもの。故に、俺を殺したパンツと同じ色でなければ発芽しないということだ!
「そんなの理不尽! 出せ! お前の! 熱いの、早く出せ!」
「無理なもんは無理だ。それより、早く下ろしてくれ」
「なっ──お前ムカつく! わたしにこんなことさせておいて……っ!」
「リコが勝手にやったことだろ……。いやな、俺に一つ仮説があるんだ。バカらしく聞こえると思うが、俺がエッチな目に遭うと、悲劇が起きるという──」
そんな俺の言葉を遮断し。
外から物音と、叫び声が鳴り響いた。すぐにそれは、轟音に、絶叫に変わっていく。そして、断末魔となった声から複数聞こえたのは、「魔族だ!」との声。
「フラグ回収早い!」
俺は咄嗟に、地面に置いてあった鞘に押し込まれたエーテルの鍵を背負う。リコは杖を持ち直し、入口に体を向ける。そしてすぐさま、走っていくのだった。