俺の脳味噌が緩やかに活動を再開してまず初めに思ったのは──頭の感触が、心地いいこと。それはまるで、フカフカの枕で寝ているような。
しかし、目を開けると……。
「起きやがった」
リコと目が合い、その爽快感は露に消えた。だが、俺が起きるまでこうしてリコに膝枕をされていたのも事実らしい。
「リコ、ありが──」
俺は礼をしようとするも、その言葉は鈍い音と鈍痛に掻き消された。リコがすっと立ち上がり、頭を固い何かにぶつけたのだ。体を起こし、すぐにそれが木製の長椅子だと理解する。
「いて……リコ、本当にお前は容赦ないのな」
「逆にわたしがお前に気を遣う意味がある……?」
「あるよな! お前が俺を召喚したんだろ!?」
まぁ、人選的な意味では俺はアメノに選ばれたのかもしれないが。
「それはそれ。これはこれ」
「お前ホント都合いいのな」
「見習いだから」
「見習いって言葉付け加えれば何言ってもいいと思うなよ」
「お前と早く会話を終わらせたいという意味が込められている」
「ひでぇな……あと、お前じゃなくて深谷 遼って名前で呼んでくれ。異世界じゃ異質な名前かもしれんが、好きに呼んでいいから」
「お前」
「それすらも聞いてくれないのかお前は」
それに対する返しは無く、会話が途切れる。リコは本当に、俺のことが嫌いみたいだ。それなら、俺としても無駄に仲良くすることはないだろう。
ただ、それでも。
「ありがとうな」
礼はしっかりと伝えておきたかった。
「…………なにが?」
「膝枕──……いや、看病、してくれたんだろ?」
「…………聖女としての義務」
こちらに視線を合わせることなく、リコは小さく呟くように言った。まぁ、及第点だろう。受け取ってくれればいい。
空間に静寂が広がり、俺は辺りを見渡す。まず気づいたのは──自分が布製の服を着ていること。誰かが着替えさせてくれたらしい。
そしてここはどうやら、内装的に教会のようだった。俺が座っている木でできた長椅子、奥の方に祭壇があり、神々しさを放つステンドグラスからは日の光が差し込んでいる。リコと俺以外誰もおらず、あてもなくコツコツと地面を鳴らしながら歩くリコの足音しかない。
「俺は勇者なのか」
結局、俺はリコに話しかける。
「インキュバスは、普通の人間の血では倒せない。けど……エーテルの鍵は、お前に共鳴していない」
その話題は聖女にも関することだからだろう。こちらに体を翻して、リコは答えてくれる。
「勇者は勇者だが、覚醒していない……みたいなことか?」
「さぁ。でも、お前はそんなこと気にする必要──」
何かを言いかけたリコの言葉が途切れる。
「どうした?」
「……何でもない。わたしは所詮、見習い聖女だから」
「まぁ何でもいいが。……そういえば」
ふと、俺は思う。そのことを尋ねようと、言葉を続ける。
「お前、見習いだというが、何故見習いのお前が勇者の召喚を?」
「本来の聖女は行方不明になっている」
「行方不明ねぇ……」
「でも、お前が気にすることじゃない。お前は勇者になれるはずないから」
「だからお前が俺を召喚したんだからなっ」
「それはそれ」
「お前それ万能な言葉だと思うなよ」
しかし、行方不明か。俺としても、その本当の聖女が見つかり、そいつに改めて勇者を召喚してもらう方がいい。勇者という肩書は格好いいが、勇者でなくてもハーレムは作れるはずだからな。俺はもう、誰かに強制される運命にはうんざりだ。アメノの言うように、自由に生きると決めたのだから。
そんなことを考えていると、軋む音と共に、入口から光が入りこむ。すぐに、先の神父が姿を現す。
「おぉ、目が覚めましたかな、勇者様」
「あぁ。まぁ、ただの貧血ではあったからな」
「ほほう、あの血を使った魔法には、やはり相応の代償がおありで」
「あぁ、その通りだ」
俺はふっと鼻を鳴らして、格好をつけて答えた。そんな俺を、リコは目を細め、眉根を寄せて見ていた。流石にこいつのパンツを見て鼻血を出したことはバレているよな。というか、いつの間にかこいつ、俺に対して敬語じゃなくなってる気がする。
「自らの血液を魔力に変遷させ、魔族に対抗しうることができるのは、勇者様である何よりの証。リコ様、よくぞ勇者を召喚してくださいました」
神父の言葉に、こくりと頷くリコ。あまり嬉しくはなさそうに伺えた。
「座標ミスったとかで湖で溺れてたらしいけどな」
「そうなんだ、可愛そうに」
「お前のせいだお前の」
「うちはうち、よそはよそ」
「ついに返しも適当になったな」
相も変わらず誠意の感じない聖女だ。そんな俺達を見て、神父は笑った。
「ほっほっほ、なんとも仲睦まじいご様子」
彼にはそう見えているらしい。俺にだけ冷たいと思っていたが、案外、これがリコの通常運転なのかもしれない。
「も、もう……そ、そんなことありません、クルトさん……」
リコは頬を赤らめて、俺と話すときより声をワントーン高くして言った。やはり、そんなことはないのかもしれない。
「お前、そんな顔できるのな」
「うん、相手見て態度決めてるから。お前か、それ以外の人間で」
「酷い特別扱いだな!」
第一印象からよくなかったっぽいが、インキュバスパンツ事件で完全に嫌われてしまったらしい。流石に美少女にここまで嫌われるのは、いい気はしない。
「ほっほっほ、まさかリコ様が他者にここまで心を開くとは」
が、神父──クルトさんとか呼ばれていたか。彼にとっては、かえって、こんなリコが、珍しいようだ。
「……クルトさん、そろそろ本題に。一応、勇者にこの世界の説明を」
それに不快感を示すように一度溜息をついたリコ。居住まいを正して、そう投げかける。
「あぁ、申し訳ございません、そうですね──」
一瞬で、空気が張り詰め、真剣な表情を刻むクルトさん。
俺は静かに、耳を傾けるのだった──。
この異世界において、一から十、何も分からない俺は度々口を挟むことになる。
まず、俺が召喚されたこの地域は、『龍墜の地』というらしい。なんでも、巨大な龍が墜落して、形成されたという伝説があるらしいのだと。そして、『龍墜の地』は狭長で、両側を山に囲われている河谷であることから、『河谷地』とも呼ばれているとか。
その伝承だけで、俺が生きてきた世界の常識とは、かけ離れていることを知った。
「──で、ここが龍墜の地の下層にある、下流域ということか」
ゆえに、俺は定期的に話を遮って、その仔細を訊くことになっていた。
「そう。下流域──わたしたちが住んでいるほうき星村には、お前も知っての通り、ほうき星の妖精が住んでいる。少し離れれば、フェアリーなどの幻想種が住んでいる集落がある。主にそういった生物が暮らしているのが、下流域」
「そのほうき星の妖精ってのは、結局どういう存在なんだ?」
「宇宙に存在するほうき星からやってきて、地上の生物の様々な願いを聞き届ける」
「願いを?」
「うん。たとえば、このほうき星では流星群がよく見えて……願いごとをすると叶えてくれる──と、いわれている。あくまで、言い伝え程度だけど」
「なるほどな」
俺らが流れ星に願いごとをするのと同じ感覚だろう。まぁあっちで妖精なんて存在は見るはずもないが。俺が納得すると、リコは言葉を続ける。
「つまり、下流域には、人間はあまりいない。人間の王国は、中流域にある。ただ──」
「ただ?」
「ただ、下流域は、様々な事情で人間の王国に住めなくなった人の受け皿でもあるの。いい意味でも、悪い意味でも」
「……貧困に喘ぐ者や、犯罪者か?」
「うん。察しがいいじゃん、お前の分際で」
「お前ホント口悪いのな」
「ふふふっ」
「褒めてないぞ」
しかし、受け皿か。俺の住んでたとこでは一般的ではなかったが、ある意味スラム街的な役割を持つ場所も、下流域にはあるのかもしれない。
「あとは、人間に危機が瀕したとき──妖精といった幻想種の力を借りて、たとえば勇者を召喚するため、聖女の適正がある者が下流域を訪れたり」
「つまりそれが俺で──危機というのが、魔王ってやつの存在か」
「そう──高貴たる魔王様を討伐しようと謀るため、お前のような勇者を召喚した」
「俺のことはいいが、聖女なら勇者の存在自体は敬ったほうがいいと思うぞ」
いや、俺も勇者の使命を放棄しようとしているのだから、そんなこと言う権利はないか。
「さっきお前が奇跡的にインキュバスを倒したように、世界征服を目指す魔族から世界を守るのが勇者の役目」
「世界征服ねぇ……」
俺は頭を掻きながら呟くように言う。なんだか世界征服も、漫画やドラマなんかじゃ聞いててワクワクするが、実際に聞くとちゃっちく聞こえる。まったくもって、興味など持てなかった。
「魔族はこれからも、中流域、下流域に進軍を繰り返していくことでしょう。勇者様、どうか私達を、救ってください……」
そんな俺に、クルトさんは頭を下げる。それには胸がズキンと痛む。
しかし──。
「俺は──」
告げなくてはならない。
そんなこと、俺にはどうでもいい、と。
「俺は……わるいが、魔族……ましてや魔王と戦おうなんて、思っていない」
そう告げると、クルトさんとリコは、泡を食ったような反応を示す。
「お前……自分の立場が、分かっているの?」
食ってかかるように、リコは俺に近づいて、眉を顰める。
「生憎、見習い聖女に召喚された見習い勇者なもんでな」
「お前……っっ」
「その行方不明になっているという、有能な聖女を探し出して、本物の勇者を召喚してもらうといいさ」
「……それはわたしへの、侮辱……っ?」
「そうじゃない──いやそもそも、お前こそ散々俺を侮辱してきたよな」
「わたしはいいの!」
「とうとう子供の言い訳じゃねぇか!」
睨み合い、バチバチと火花を燃やす俺達。どこまでも、相性が悪いなと感じる。
「リコ様、どうか落ち着いて」
間に入るクルトさん。俺の気持ちを汲んでくれたのか、リコにまぁまぁと両手を広げる。
「ふっ、そういうことだリコ。クルトさんはよく分かっている」
「えぇ。勇者様は、エーテルの鍵が使えなかったことで、責任を感じておられるのです」
「そうそう──いや違うな」
「安心してください。召喚されたばかりで、力を上手く発揮できていないのでしょう。勇者様がエーテルの鍵を使えるようになるまで、私らは全力でサポートいたしますから」
「………………」
俺は言葉を失った。また俺は、勝手に期待されるのか。二度目の人生も、彩りを与えることを許されないのか。
「べーっ」
そして何より、リコが煽り立てるように、俺に舌を出しているのに腹が立った。「諦めて勇者の責務を果たせバーカ」、そんなことを言わんとする憎たらしい表情をしている。
「諦めて勇者の責務を果たせバーカ」
口にもされた。自分も見習いの癖して、本当に生意気な聖女だ。
俺はそれからも勇者になるのを拒むも──クルトさんに変な方向に捻じ曲げられて、期待を背負わされるのだった。
ベクトルは違えど、それはまったくもって、俺の生前と状況は変わっていない気がした。