目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
◆第3話

 じりじりと、そのバケモノはさらに距離を詰める。


「大人しく生気を吸わせるのよぉ」


 そのバケモノ、どうやら人の言葉を話せるようだ。……それなら異世界でありながら、俺が聖女と言葉を交わせるのもおかしいかもしれないが、一旦はいいだろう。


「はぁ……はぁ……魔族……っ」


 息を切らしながら、目の前の聖女は言った。その言葉に反応し、バケモノが振り返る。そいつ、正面から見ると、顔は人間だった。ピンク色のショートヘアーをしており──結構可愛い。背中に小さな黒い翼、細長い黒い尻尾が生えていることを除けば、身体も人間に近い。露出度は多く、黒い胸当て、腰下から伸びている黒いタイツのようなもの以外ほぼ肌色だ。


「あれー? おかしいわぁ、勇者らしき気配を感じたのだけど……でも、貴方達も初めて感じる生気してるわねぇ、魔族にだってここまで強いの中々いないわよっ」


 ねっとりとした声で、そいつは言った。狙いを俺達にするように、こちらに近づいてくる。

 とはいえ、俺に何ができるのか分からない。なにか術を尋ねようと、聖女の肩に手を乗せると──彼女は肩を大きく震わせていた。横から顔を見ると、唇を噛み締めている。


「リコ様! お戻りになられましたか! そ、それに、その方がもしや!!」


 そんな時、先程まで魔物に詰め寄られていた人が叫んだ。神父の格好をしている。

 その声にハッとして、聖女──おそらくリコが彼女の名だろう──リコは、持っていた杖を魔物に向けた。


「抵抗するのかしらん? 無駄だと思うけどねぇ。だって貴方、生気は感じても、魔力は全然感じないんだからっ」


 しかし、魔物がひるむ様子はない。どんどん、こちらに距離を近づけている。


「誰が……お前ごときに……っ!」


 リコは、声に怒りを滲ませる。

 そして、杖の先が、ピカって光ったかと思うと──。

 光の玉が、魔物に向かっていく。


「魔法──」


 俺は小さく呟く。そう、形容していいだろう。

 その光の玉は風前の灯火のように小さく……子供が投げたボールのように、遅かった。

ただ、だからこそ、威圧感があるようにも見える。

 そして光の玉がこつんと、魔物に当たる。

 すると──。

 どれだけ経っても、何も起きなかった。魔物は何事もなかったかのように、距離を詰めてくる。


「……は?」


「はぁ……はぁ……やっぱり、今のわたしじゃ……」


 全力をぶつけたように、リコは息を切らしていた。


「……おいリコとやら。まさかお前、弱いのか?」


「お前失礼。……まだ、見習いだから……」


「さっきからやたらと見習いを免罪符にしてるな! なら、どうする! このままじゃ生気とやらを吸われるんだろ!?」


 俺はどこか、聖女という役職を過信していたのかもしれない。なんとなく、ゲームとかだと強そうだし──いや、こういうのも、俺の中にある偏見や常識が生み出した偶像か。

 身の危険を感じ、額から冷や汗が垂れる。


「貴方を勇者様と信じ、これを授けます!」


 そんな時、何かがこちらに投げられた。リコの名を呼んだ神父からだった。それは俺の近くの地面に落ちると、重厚感を示すように、鈍い音を立てた。


「剣……?」


 俺は地面に屈みながら、その剣のようなものを眺める。全体が銅らしきもので覆われているが、ほとんどが錆びついている。拾おうとするが──両手で持つのがやっとなくらい、重かった。


「それは、エーテルの鍵」


 やっとのことで両手で持って立ち上がると、リコは言った。


「エーテルの鍵……?」


「お前が本当に勇者だというのなら──使いこなせるはず」


「なるほど──ってか召喚したのはお前だ。仮に俺が勇者じゃないなら、お前は何を召喚したんだよ」


「……ヘンタイ」


 こいつ──まぁ、色々思うところはあるが、今は目の前だ。俺は一歩出て、魔物と対峙する。


「おもしろいわぁ。貴方から特別な力は感じないけれど──もし勇者に殺されるのなら、本望よぉ」


 この魔物の方が変態だと思った。

 俺は足腰に力を入れて、剣を握りしめる。この重量感──持ってるのがやっとだ。それこそ格好いい勇者らしく、振り回せるビジョンなど見えない。


「どうしたのぉ? 足が震えているよぉ?」


 魔物がそう言いながら、さらに距離を詰めてくる。気づけば、この剣を伸ばせば届く距離まできていた。しかし、突きつけることも、大きく振りかぶることもできない。


「いいのかお前。このままじゃ、勇者どころか、わたしの唇を奪っただけのヘンタイで終わる……」


「だからその俺を召喚したのはお前だからなっ」


 しかも俺は唇を奪われた方だ。こいつのミスで湖に落とされなければ、人工呼吸は必要なかっただろ。


「……やはり、勇者ではないようねぇ」


 さらに距離を近づけた魔物は、顔全面に、あからさまにガッカリとした表情を刻んだ。


「く……そ……ッ!」


 こんなところで、終われない。自由に生きると決めたのに、まだハーレムどころか、変人聖女に振り回されただけだ。

 全神経を、腕に集中させる。すると、剣が──静かに、上にあがっていく。それだけ、腕の筋肉が悲鳴をあげた。

 魔物との距離は既に至近距離──吐息が触れそうだ。俺は叫びながら──腕を振り下ろす。

 しかし……。


「んふっ、ニンゲン風情が扱うエーテルの鍵は、ナマクラにすぎない。そう、勇者でなければ、ね」


 俺が全身全霊をかけて振るった剣は、簡単に無効化された。女の子のような、しなやかな指で受け止められている。


「あーでも、貴方、本当に生気で漲っているわぁ。美味しそうよぉ、今すぐ食べてあげるわぁ」


 魔物にそう言われると、何故だか嫌な感じはしなかった。

「……お前、やっぱり、ヘンタイ」


 鼻の下でも伸びていたのか、斜め後ろのリコの視線が突き刺さる。だが、いい。俺は今、この魔物に食べられてもいい。


「……インキュバスに生気を吸われた人間は、文字通り生きる気力を吸いつくされて廃人も同然になるのに」


「それを先に言え!!」


 時すでに遅し。万事休す。

 魔物──インキュバス?の顔が、俺の顔に近づいてくる。簡単に剣も奪われ、地面に投げ捨てられた。

 背筋が凍る感覚がする。リコの言葉通り廃人になれば──ハーレムは築けない。

 村にも、緊張感が走っているようだ。俺に剣──エーテルの鍵とやらを渡してくれた神父が、遠目に絶望しているような表情をしている。

 ほうき星の妖精が、不安そうにあちこちを無軌道に旋回している。


「んふっ」


 インキュバスが、艶やかな声を漏らしたかと思うと──すぐに唇を塞がれた。


(生気を……っ、吸われる……っ)


 本能的に、俺はそう思う。

 そんな時──一陣の風が吹いた。激しく旋回する、妖精が引き起こしたものに思えた。

 すると……横目に、それはなんとも絶景が広がった。リコの修道服がわさっと巻き上がり──ピンク色の下着が、顔を出した。


(これは……)


 俺は思う。


 リコのパンツ──俺を窒息死させたパンツに似ている。


 するとあの時の感覚が、全身に広がる。


 俺は決して、リコとかいう変人聖女が言うような変態ではない。


 だが、俺は死して尚──いや、死を経験したからなのか。


 今、ぷるんとした唇に触れているよりも、断固として、とてつもない興奮をリコのパンツに感じている。


 パンツで死した俺に──パンツに対する特殊な性癖が──芽生えていた。


 全身の血液が滾る。熱く沸騰するように、体を駆け巡る。


 なるほど。この感覚は……。


 俺は決して、変態などではない。恋愛などにうつつを抜かすこともなく、勉学だけに、父親だけに従ってきた。


 そんな俺でも、知らなかった。


 人は興奮すると──本当に、鼻血が出ることを。


「ふっ──ぎゃぁあああぁああ! 何故、どうしてなのん!?」


 俺の吹きだした鼻血を浴びたインキュバスが、慌てて距離を取る。苦痛に満ちた表情を刻みながら……。


「まさか、勇者の血──本当に、貴方は、勇者なのぉ!?」


 よく分からないが、俺の血がどうやら弱点らしい。


「ふっ、その通りだ。最初から狙いは、これだったということだ」


 未だ鼻血をまき散らせながら、俺は鼻を鳴らした。さらに血液が飛び散る。


「えぇ……」


 隣のリコはドン引きしていた。だが、こいつのパンツのお陰で助かった。俺は心の中で礼を言う。


「なる……ほど、流石は勇者ねぇ……、あぁ、でも……本望よぉ……」


 インキュバスの体に異変が生じる。全身の至るところが灰に変わり、地面に落ちていく。それはまるで体が溶けるようだった。

 そして、それから数十秒も経たないうちに……インキュバスの体は全て灰となり、地面に消えていった。

 一応は……一難は去ったようだ。


「……やっぱりヘンタイ。わたしの下着を見て、気持ち悪い顔してた。鼻から血を吹いたのも、もしかして……」


 リコは修道服を両手で抑えながら、俺を睨んでいた。リコのパンツのお陰で倒せたというのに何を気にしているのか──というのは流石に驕りか。

 そんな中、まばらな足音が近づいてきた。エーテルの鍵を俺に渡した神父らしき人を先頭に、多くの村人が集まってきた。


「やはり、貴方様が、勇者……!」


 神父は俺の方まで来て早々、敬虔な信徒のように、ひれ伏す勢いで膝を折った。すぐ後ろの村民達も、それに続く。


「ふっ、そうだ」


 鼻血は止まらないが、こんな経験初めてで、気持ち良かった。俺は鼻で笑い、胸を張る。そんな俺に対して、リコはため息をついたが……まぁいいだろう。


(これで俺の好感度は急上昇。村民の女性は全員俺に──)


 こじらせているのは分かりつつも、素直に期待してしまう。

 そんな、不遜な妄想が頭をよぎった瞬間──。


「あ……あれ……?」


 眩暈がして、視界が揺れた。焦点が定まらず、景色が霞む。

 なるほど。

 これは──未だ止まらぬ鼻血による、貧血だ。

 俺がそう、理解した瞬間──意識が途絶えた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?