結局のところ。
父に施されたエリート教育など、意味を為さなかったらしい。
幼い頃から、医学を叩きこまれた。ならば、どうして──死者であるはずの俺が五体満足で生きているのだろう。
幼い頃から、生物学を叩きこまれた。ならば、どうして──目の前に未知なる生物が立っているのだろう。
「イヒッ、キミの死に方ダサいかも~」
何も無い白の世界で、目の前のそいつは喋った。人型であることは確かで、150cmくらいの、赤いミドルヘアーの女の子のようだが──おでこの辺りにツノが生えている。緑色のシッポが生えている。ぱっと見で形容するなら、女ドラゴン……いや、ドラゴン娘?
いや、それより。
「……何故、君は裸なんだ」
その人に似た変な生き物は一糸纏わぬ姿だった。俺は素直に問うてみる。
「なんでって、キミ、ヘンかも。そりゃ、神様だからに決まってるかも~」
「神……? 神は百歩譲っていいとして、何故、神が全裸と決まっている?」
「いやいや、マンガとかゲームとかいう創作物で、ヒトが勝手に神の服装コーディネートしてるだけでしょ? 神、みたことないくせに」
「……」
「神は服など着ないかも」
「…………」
確かにそれはそうだった。何故だか俺の頭の中の神とは、人間の見た目をした美少年や美少女だが──目の前のこいつも美少女ではあるのだが、置いておいて。それは、俺の経験と理想が入り混じった虚像でしかない。
故に、神の実体とは全裸の美少女、であってもおかしくないのだろう。
……本当におかしくないのか?
「ひとまず、全裸の件はいいだろう」
だが俺は納得して頷いた。別に悪い景色でもないしな。彼女、貧乳に属する胸ではあるが、健全な男子としては、目の保養だ。むしろ、貧乳は俺の琴線を刺激している気がする。
「普通疑うなら神の存在自体かも」
「百歩譲っただけで、疑ってはいるさ。ただ──俺は、死して尚、こうして蘇生したことで、諦念してもいる。俺の生きてきた世界など、常識や知識といった偏見でできていたことをな」
父親に強制されてやっていた勉学とは、一体なんだったのだろう。
「なるほど。キミ、少しはおもしろいかも。だから、異世界に行くことも受け入れた」
「あぁ──え、いや、待て。異世界? それは飛躍しすぎだな」
「え──はぁ……やっぱり話の分からないヤツかも」
「いや俺が悪いのか……?」
神はいわゆるジト目というやつで俺を見つめている。それから少しして、気怠そうに咳払いをしてから、言葉を紡いでいく。
「キミが諦念した──ううん、まどろっこしいのはやめるかも。キミが父親のマリオネットとして生涯を遂げた世界とは、文明も文化も異なる世界。キミには、そこに転生して、世界の変遷を目指して欲しいかも」
「世界の変遷?」
「そうかも。生物とは、環境に適応しようと、進化する。あるいはそれは、生存競争で優位に立とうとするために。そして、生存競争に優位に立った生物こそが、世界を創り上げていく」
「いわゆる進化論だな。神の口から聞けるとは思わなかったが」
「その進化の価値観はあくまでキミの世界基準かも。神が創造した世界には、様々な、ありとあらゆる可能性があるかも」
「なるほど」
「ただ──」
「ただ?」
俺がそう訊き返すと……。
「キミらヒトはなんという生物じゃバカタレ! かも!」
ゴツっと、頭を拳でぶん殴られていた。
「な、何故殴る⁉」
「いいかも? ”自死”を選択する生物はキミらだけ! 確かに、生物とは、絶対に死ぬ。それくらいは、何故だか分かるかも?」
「え……生命の源であるDNAが傷つくのが避けられないから……か」
「それで?」
「……あぁ、傷ついたDNAは、子孫に引き継がれる。その子孫が、仮に、受け継いだDNAと更に交配をすれば──さらに傷は蓄積される。つまり、種の存続が危ぶまれるということだ。故に、長い時間生命活動を行ったDNAは──死ななければならない。種が生きるために、死ぬんだ」
3歳くらいの時に親父に読まされた生命科学の本で学んだことを、俺はそのまま言った。 すると……。
「何故それが分かってるのに自分から死ぬのかもーーー!!」
「ぐぉっ!」
今度は神から飛び膝蹴りを喰らった。神も飛び膝蹴りをするらしい。俺は咳き込みながら、蹴られた腹を押さえる。
「げほっ! げほっ! 待て……なんだこれは……」
「キミらヒトが、遺伝子に瑕疵の無い状態で”自死”を選ぶバカモノだからかも!」
「ま、待て待て! 俺は自ら死など選んでないぞ! むしろ自殺しようとした女の子を助けようとして、不慮の事故で死んだんだぞ⁉」
「何を! あぁ……俺は──ラッキースケベで殺される……ふっ、それも悪くないか……などと思っていたではないかも! クソダサイかも!」
「いいだろうが別に! ダサいことを否定するつもりはないが、死ぬ間際に何を思おうが!」
「神に逆らうなかも! 三枚おろしにして地獄に落とすぞコラ!」
「怖いなおい!」
神が人間を創造したのならば、神も人間らしい……なんて言葉があるが、とにかく横暴な存在ではあるらしい。ビシっと立てられた指を向けられる。
「そこで! クソダサイ死に方で、生命を、生物の進化を冒涜したキミには、異世界で償って貰うかも!」
「償うって……」
俺は、パンツに殺されただけなのに。
「そりゃそうかも! 優秀な遺伝子の分際でセックスもせずキミは死に晒したんだから!」
「褒めてるのか貶してるのか分からないな、それ」
優秀な遺伝子、か。しかしそれこそ、父に遺伝子操作されたようなものだ。勉学においては人より秀でているが、父の言いなりになって、やっていただけなのだからな。
「だから異世界に行って──そこも、進化を履き違えた生物が生存競争を勝ち抜いこうとしてるかも。文化や文明はキミの世界と違えど、ヒトと同じように」
「……償うといっても、その異世界とやらで、俺は何をすればいい。世界の変遷、とか言っていたが」
俺がそう言うと、神はニヤリと口角をあげて。
「ミッシングリンクを──阻止するかも」
卑しさが同居する笑顔で、そう言った。
「ミッシングリンク……」
その意味は、知っている。俺の世界の言葉と、一致するかは不明だが。
「まあ、世界の変遷といっても、難しく考える必要はないかも。キミの好きなように、生きるかも」
「自由……?」
「生物は、自由のために、生きる。そして、更なる種の自由のために、死ぬ。だからキミの生きたいように、生きるかも」
「償うにしては、安すぎる気もするな」
「じゃあ、キミはあの世界で──自由に生きたかも?」
そう言われて、俺は言葉を失った。確かに、それはそうだ。
自分の意思で、自由に生きること──それも案外、難しいことなのではないだろうか。
「自由、か。なるほど」
月並みに言えば、レールに沿った人生を歩んできた。
毎日遅くまで塾に通い、無気力に勉強して、無味乾燥な学校生活を送ってきた。異世界ではあれど……第二の人生をそこで、自己中心的に生きるというのも悪くない。
神様が、それが人間の──生物のあるべき姿だと言うのなら。
「目標は、定まったかも? それならすぐに、転生させるかも」
「あぁ、俺は──」
俺は、眦を決して。
「異世界でハーレムを作って生きる! 死んではしまったが……あのとき女の子の体を、パンツの感触を、匂いを初めて感じ──俺は、最高に興奮した」
そう、豪語した。
「…………きっしょ」
「ストレートな悪口やめろ! 俺の好きなように生きていいと言ったのはお前だ!」
「まあいいかも。きしょいけど。じゃあ──」
神が、俺に距離を詰める。身長差は20cmほどあるものの、吐息が重なり合うほどに。
そして。
「盟約──キミに生命の代弁者の役を与える。濫觴なる生命となり、死の螺旋を阻害せしミッシングリンクの開闢を、
呪文めいたものを、口にすると──ピンとつま先立って、自らの唇を、俺の唇に押し当てた。柔らかな感触が、唇から全身に伝播する。この口付けに、なんの意味があるのか──それを思案する時間すら奪うように、それは激しさを、熱を増した。
いつしか、粘膜が触れあっていた。いつしか、温かい液体が流し込まれていた。
そして──。
「……っっ!」
俺は、身体の内から燃え上がるような熱さを感じた。そのタイミングで、神──アメノは俺から距離を取った。
熱い、とにかく熱い。今にでも、気を失いそうだ。
それから俺が覚えているのは……。
「イヒッ、生命に死を齎すこととなった”性”で、世界に変革を起こせるのか。キミに賭けるかもっ」
妖艶に唇を拭う、アメノの姿だけだった──。