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第三十二話 二人の初対面

 ——百合子が本を読み始めてから三十分くらい過ぎた頃。


 物語は、いよいよ終盤へ佳境に入ろうとしたところだった。

 だが……。


「……と、今日は時間だからここまで。続きは来週の日曜日、今日と同じこの時間にお話するわね。それまでお楽しみに~!」

「えぇ~もう終わり?」


 キリのいいところだからと思った百合子は本をパタンッと閉じ、この日の読み聞かせは終わった。

 オマケに時間もちょうど良い頃合い。

 なぜなら、この後に子供達は部屋でエリスと工作やお絵描きをする予定だ。

 しかし……。


「えぇ~! せっかくいいところなのにぃ!」

「でも、時間だからここまでなの。ごめんね」

「百合子お姉ちゃん、お話もっと聞きたい!」


 まだ足りなさそうにしているせいで、少し駄々をこねている。

 それを見た百合子は、気持ちは嬉しく思うも苦笑いするしかない。

 だが、時間という規則に逆らうことは出来ない。


「だったら、また部屋で読んでー!」

「ダーメ、続きは来週よ」


 子供達が続きを催促するのは、今後の展開に仄めかす終わり方をして気になる部分だった。

 そのせいで、子供にとってはウズウズした気持ちになって我慢出来ない状態でいるのだろう。


「それにこの後、エリス先生が一緒にお絵描きとか色々相手にしてくれるわよ」

「でも、お姉ちゃんはこの後どうするの?」

「今日はまだ帰らないよね?」


 どうしても遊び足りないと感じた子供は、百合子に午後の予定を尋ねる。

 それくらい、子供にとっては百合子のことを慕っているのだ。


「午前中だと、これから他の用事がちょっとあるから済ませに行くの」

「そうなの?」

「うん」

「なんの用事?」


(あ、えと、どうしようか……? 用事聞かれちゃったけど、誤魔化すしか……)


 子供に内容を聞かれたが、人に会うとはいえど気軽に話せない。

 ウィルとの約束は決してやましいことではないが、神父や恩師、客以外で初めて会う男性だ。

 オマケに百合子の予想する彼の身分は極めて高い人であると思い、慎重にしていかなければならない。


「それはちょっと、ね……」

「じゃあ、まだ帰らない?」

「帰らないよね?」


 百合子は、今回の用事に関しては敢えて濁すことにした。

 だが、ここから離れるのか気になっている子供達は質問を変えた。


「うん、まだ帰らないよ。それに午後からは文字のお稽古もあるし、また会えるから大丈夫よ」

「わかったぁ! じゃあ、お昼終わったらお習字の時間にね!」

「約束だよ」

「うん! 約束ね」


 午後の手習いを楽しみに子供達は中庭から一度、部屋の中へゾロゾロと連ねて移動する。

 子供達が納得してくれたことで、百合子は一安心。


(さぁ、私もウィル様に早くお会いしないと。きっと待たせてしまっているに違いないわ)


 その合間に、座っていた椅子を傍にあるガーデンテーブルのところへ元に戻しにいく。

 そして百合子も、対面をする為に待ってもらっているウィルの方へ向かおうとすると……。


「アレ? あっちに誰かいる」 

「ねぇねぇ、もしかして異国のお兄さん? どうしたの?」

「えっ、あっ……」

「なんで、ここにいるの?」


 残っていた子供数人も部屋へ移動しているはずだが、なぜかウィルの方へ寄って声を掛けていた。

 あまり見慣れない異国の人なのに、怖さ知らず無邪気で彼のことを興味津々に見つめている。


「なんでって……」

「ここで立っているなら、僕らと一緒に部屋で遊ぼーよ!」

「そうだよ、楽しいことしよう!」

「い、いや、俺は、この後……」


 ウィルは、子供に何と説明すればいいのか困惑している。

 それどころか、一緒に部屋でお遊戯相手にしようと催促をしているではないか。

 中には、彼の手や服の裾をグイッと引っ張ろうとしていた。

 しかし、ウィルはその子供達をどう扱っていいのか困っている様子でなかなか対処が出来ず。

 相手は見知らなぬ子供だから、むやみに厳しい言葉を与えたり傷つけてしまったら大問題だ。


「すみません、お待たせしました……って、コラコラ、お兄さんを困らせちゃダメよ!」

「えぇー!」

「百合子お姉ちゃんの用事って、このお兄さんとなの?」

「そうだね……って、違う違う! 今はそういうことじゃなくて……」


 予定のことを聞かれて肯定したが、百合子は子供達に囲まれたウィルを助けようと試みる。

 彼の困惑している姿に慌てて、すぐに別の場所へ行くよう誘導を促す。


——チリンチリン!


「ほら、ベルも鳴ってるしエリス先生が呼んでいるから! みんなは大人しく部屋の中に入ろうね」

「「はぁい」」


 子供達は渋々だが、ここは彼女の言うことを素直に聞いてひとまず去っていった。

 なんとか無事成功して安堵する百合子だが、まだ油断は出来ないままだ。

 彼を待たせてしまったことや子供達の対処に困らせてしまった理由で、必死に謝る。


「もっ、申し訳ございません、私が、子供達をちゃんと誘導しておけば良かったのですが……」

「あ、いや……大丈夫だ……。気にしてないから」

「でも、ウィル様にご迷惑をかけたのは」

「そんなことは、ない。それに、彼らはまだ子供だ。俺もつい……咄嗟のことだったから、少し……驚いただけだ」

「そうですか……。あっ、怪我とかは?」

「無い。とりあえず……助かった」


 中低音の声で話すウィルは、百合子の謝罪を咎めていた。

 やはり女性との目線はまともに向けられず、頬から赤みのあって恥ずかしがり屋の表情が出ている。

 顔を伏せたままでなんとも言えないぎこちない話し方だが、なんとか冷静に伝えられた。


(芯のある声なのに、物腰はすごく柔らかい人だわ……)


 百合子はこの居心地のある声で、一瞬だけ聞き染まりそうになった。

 今はぎこちない口調の彼だが、ネイティブでもゆっくりとした発音である。

 そのテンポくらいなら、百合子は彼の発言を聞き取ることが出来そうだ。

 百合子の少し入ったカタコトなブレス語でも話せそうな会話で、安心感に包み込まれていく。


「あっ! あの、私……手紙の指示通りに横へ参りますね」


 しかし、ボーッとしているわけにもいかず我に返った。

 百合子は前夜に彼からもらった手紙を思い出し、そのまま壁際へ移動する。

 それを見たウィルも、彼女に行動させてしまったことに対して逆に申し訳なくなったのか謝った。


「う、うむ……。こういう感じの会話で済まない。俺の為に……なんか、間隔を空けて並ぶ形になったのは……」

「い、いえ。ウィル様がこの方がいいと仰るのなら、私は全然構いませんので。気にしないでください」


 百合子とウィルは、建物の壁に背中をもたれ向けた状態で横に並んでいる。

 二人の間隔はそう遠からずだが、腕を伸ばせるぐらいの距離はあるだろう。

 視察の合間に思案した作戦の一つだ。

 ウィルがあらかじめ、彼女への手紙にそう指示したものである。

 その方が、彼にとって一番落ち着いて話すことができると思っているからと策を立てていた。


 ——しかし……。


(こういう時……私から話しかけた方がいいのかなぁ?)

(あぁ、いざ話すとなると……どうすればいいのか悩む。俺から話し始めた方がいいんだろうか?)


 問題はここからで二人とも、考えていることは全く同じことだった。

 それは、どちらが先に話を切り出すべきなのかというを。

 お互い遠慮し合っているせいで無言の会話が収束するまで極めて難しい。

 時間が掛かるまま、顔を合わせることはともかく視線まで逸らした状態だ。


(うーん、どうしよう……)

(うぅ、どうすれば……)


 数分経っても、なおまだ切り出せないまま過ぎていく。

 百合子は両手の指先でもじもじする仕草で、ウィルも両腕を組みながら次の一手を考えている。

 未だ顔を背けつつ頬を赤く染め、心の中でウズウズとしたむず痒い気持ちや悶々とつかえが取れない二人だ。


(やっぱり、ここは私から……)

(……ここはもう、アレの力で振り切るしかない、よな)


 またしても、先に切り出そうとした百合子とウィルは同じタイミングで意を決して……。


「あっ、あの……!」

「……!」


——百合子がウィルに呼び掛けようと試みた途端。


(え?)


 彼の勇気のある行動に予想はしていなかったからか、百合子は声に出さないものの驚きを隠せなかった。


——この瞬間に起きた彼の行動が、これから訪れる二人の運命を動かしていく予感である。

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