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第二十九話 ウィルの初対面前夜


 ——横海市、外交大使館内。


 その週に東皇都の視察から帰って二日経った日が、初対面前夜。

 この日も普段と変わりなく業務から始まり、夕飯までいつものように滞りもなく無事終えている。

しかし……。


(あぁ、いよいよ……ユリコと会う日が迫ってきた……)


 顎に右手で添え、左手には腰を当てながらソワソワしている男性が一人。

 何か葛藤しているような雰囲気がただならないほど出ている。


(あぁ、待ち遠しいような。でも迎えてほしくない気もするが……どっちだと突っ込まれそうだな)


 もちろん、その人物は言うまでもなくウィルのことだ。

 他の従事者はそれぞれの邸宅へ既に帰している。

 ジェフは厨房で夕飯の後片付けをしている為、部屋の中にいるのは彼本人だけ。

 一人でいるということは、誰の目から見られることなく自由に自問自答が出来る時間と空間だ。


(はぁ~、どうしたものか……。大の大人なのに、考えてしまうほど胃がキリキリして苦しくなる……)


 だが、ウィルは今もまだ部屋の中で溜め息つきながら右往左往と彷徨き、何かと落ち着かない様子だ。

 それもそのはず、百合子と初めて顔を合わせる日が泣いても笑っても次の日にやってくる。

 百合子との面会に漕ぎ着けるまでの作戦はもうここまでやって来ている以上、後が引けない。

 彼女にどんな顔をして会話へ持ち込んでいくのか、未だ悩みながら頭を抱えっぱなし。

 身体でも動かして他所へ紛らわさないと、彼の焦りがますます募るばかり。


(一応、手紙には俺からこうしてほしいとダメ元で要望は書いたが……)


 念の為、視察から帰る前日に百合子へ手紙を先に送っていた。

 未だ彼の心にのしかかっている正直な気持ちや理由も添えている。


(いや、既に書いたんだからどうだっていい! と思いたいけど、彼女がそれを読んだら……俺のこと、幻滅するだろうか……)


 先日、東皇都の領事館で鏡を見ながら当日に行われるであろう、仮のシチュエーションとして練習を行なった。

 しかし、どんなに練習を重ねていたとしても、いざ本番となれば起こり得るかもしれない想定外のことで緊張に弱い。

 いや、それ以前の問題として、彼女と会って真正面に顔を向き合って話すことが出来るのかどうかだ。

 それすら怪しいと感じ始めている。


(やっぱり書かない方が正解だったのだろうか……。いや、前もって書いてないと、ユリコと会っても櫛すら返さないまま逃げてしまいそうになるから……。流石に、今更彼女との約束を破るわけにはいかない)


 それを書いたことが今頃になって、正しい選択肢を出来たのか疑念に揺らいでいた。

 必ずしもこれが正しいかどうかなんて、自分でもわからないからあまり深く考えるなと胸の内に言い聞かせている。

 だが、答えを求めるが故に限界もある。


(この痛みが和らぐ方法は何かないのか? これから大事なことが起こるというのに、このままでは肝心な時に何も出来ないのは流石に苦しい……。ジェフにハーブティーを頼んで俺の話を聞いてほしいが……)


 ジェフが調合して淹れる特製ハーブティーは、ウィルをはじめ周りの人からリラックス効果が絶大で医者要らずとベタ褒めな評判だ。

 だが、今回に限って事情が違う。

 ひとまず、ウィルは執事に紅茶を頼んだ後、そのことについての会話を想像してみることに……。


「ジェフ」

「はい、何でしょう?」


 会う前に百合子への手紙に関して、自分の心の中を書いたことを話しているシーンだ。

 ジェフに紅茶を淹れてもらっている間出来事が、こんな風になるだろうとウィルの目には映っている。


(俺がこんな質問したら、ジェフはこう答えそうだなぁ……)


「俺はこう思ったから手紙に書いて出したんだが……。彼女は、どう思うだろうか?」

「えぇ~坊ちゃん。そんなことを書いたんですか?」


 ジェフの揶揄う目で茶化しながら、更にこんな答えまで出ることも。


「そういうところは、まだまだ子供ですねぇ。紳士というのはですねぇ……」


(……と言って、またバカにされそうだな)


 そんな思惑にウィルは、はぁっとため息一つ。

 百合子は、きっと優しいからクスッと笑ってくれるだろうと思いたい。

 彼女本人じゃないのはともかく、ジェフに聞いても意味ないと感じた。


(いや、主人に向かってそんなことをしないとは思いたいが……。それ以前にジェフの説法も長く聞かされるだろうな……。あぁ、どうすりゃいいんだ?)


 だが、今回ばかりは人に頼らず自分自身の力でなんとか解決を納めたい。

 そんな気持ちで精一杯になる。

 明日という日が迫ってくる中、冷静になれず少しでも焦っている自分をどうやって収めようかと思案中だ。


「ん……俺、さっき思っていた中で何かいいものがあったような」


 思いつくまであともう一歩というところだが、なかなか出てこない。


(あっ! そういや、アレが……)


 考えているうちにやっと思い出したのか、彼の元へスッと何かが降りてきたみたいだ。

 ウィルは、机の引き出しからシルク布に包まれた例のモノを取り出す。


——「百合柄の櫛」。


 二人の関係を紡ぐキッカケになったもの。

 ウィルはこの大事な品を拾わなかったら、この先もただただ仕事をこなすだけの日々になっていたのかもしれなかった。

 百合子との文通すら出来なかったのだろう。

 彼にとっても、いつの間にか大切な存在になっていた。


(それがあったからこそ、俺が彼女とキッカケを繋げられる一歩だったな……)


 彼女と文通を通じていくうちに、心の内から変化が表れ始めている。

 彼が何かの壁に当たってどんな苦しくとも、手紙を読むにつれて少しづつ表情が柔らかくなり和んでいく姿が見られていくように。


(この櫛も、いよいよお別れか……)


 ウィルの心扉がやっと開き始めつつも、苦笑いをしながらお別れの言葉をそっと呟いた。


「ようやく、キミの持ち主の元へ帰ることが出来るなぁ」


(しかし……いざ離れるとなれば少し寂しい気もするが、一番はユリコの笑顔を取り戻すこと。だからいつまで持っていても意味がない……俺はそう思う)


 あの日に落とした櫛は、彼女が最も大切にしているもの。

 ウィルの元から離れてしまうのは、どこか惜しい気持ちが残って胸が痛むぐらい複雑だ。

 だが、ずっと彼自身が所持しているよりも、持ち主である百合子に返した方がより幸せだとウィルはそう感じている。


(なぁ……、最後に俺の願いを聞いてくれないか? 持ち主の元へ必ず返すから、ほんの僅かだけでもいい。どうか……せめて、俺に彼女と話せる力を貸してくれ)


 櫛を見つめながら、お別れの手向けを……と最後の願いに両手で挟むよう添えて念じ語りかけた。

 百合子との初対面に対する成功と共に、この先もずっと二人の歩調に合わせた未来の永続を祈るように……。

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