——閉店前の夕方頃、代筆屋「白鳥」で仕事中の百合子は……。
裏の作業場で、男性客から注文してくれた代筆の仕事をこなしている。
注文票には名前や口頭で書いてほしい文章を記載してあり、それを元に写しながら手紙を完成させることだった。
どんなことを書いてほしいのか内容を把握しようと目を通していると、男性客が何を行おうとしていることが一つ分かった。
(あら? この方は、女性に何かのお誘いをしたいのかしら……?)
百合子が代筆を承った文章の内容は、どうやら気になる女性への逢瀬の申し込みだった。
少し前に注文を聞いていた従業員が近くにいたので呼び止め、話を聞いてから要約をすると……。
「あぁ、あの男性のお客さんだね。なんか流行りのお菓子を売っている出店で出会った売りっ子さんに、一目惚れしちゃったんだってさ。話しかけたかったらしいけど、人気のある女の子だから声を掛けるタイミングが掴めなかったみたい」
受け取ってほしい相手は、男性なら誰もが認める生粋のお嬢さんと評判を受けている人のことだ。
巷で流行っているというのが、男女問わず人気のある「ワファー」という異国から伝わった名前のお菓子。
小麦粉・砂糖・卵を混ぜ合わせ、格子柄の鉄板型で薄焼きにした食べ物だという。
男性客は商品の受け渡しと同時にお金を払う時を狙い、その機会を掴んで手紙も一緒に渡す作戦らしい。
だが、欠点があって当然この店に訪れるぐらい明確なもの。
他人からも認めるぐらい、男性客の字が壊滅的に下手で読みづらいという理由から代筆を頼んだと。
(そっかぁ。人気があるということは……お客様の気になっている人は、きっとそのお店の看板娘である可能性があるわねぇ)
男性客のキリッとした自信満々気な字を書くのが良いと判断した百合子は、小筆であろうとも大胆な字捌きを見せる。
特に、漢字は男らしさが出るしっかりとした書体が、女性にウケが出やすいらしい。
広げるとハガキぐらいの大きさだが、紙を折って隠しつつも受け取りやすさを考えながら字のバランスを上手く整えて筆を運んでいく。
(よし、出来たー!)
百合子は字の運びや文章の間隔など、それぞれ取れたバランスの出来具合に満足し、この日の注文分でもらった代筆は全て終えた。
んーっと、手を組みながら腕を頭上より更に上げる。
ポキポキと骨を鳴らしてしまうも、首を肩の左右交互に傾けて気の張った凝りをほぐす。
完了した依頼の注文票、書き上がった手紙や番号札を纏めて書類棚にしまう。
その中、男性から手紙を受け取る女性の姿を想像するうちに、羨ましくも思っていた。
(あぁ、男性からのお誘いかぁ……、いいなぁ。私もいつか、そういう日が来ることがあるといいんだけど……なかなかねぇ)
そんな夢を持って想像をするのは良かったが、何故か隣にいる相手の男性がまだ会っていない「あの人」の姿。
オマケに、承っていた代筆の手紙を書いた影響によって先日送った彼への手紙を思い返してしまった。
(あっ、思い出しちゃった……。そういえば最近送ったウィル様への手紙で、最後にあの文章を書いたのはいいんだけど……。私、ちょっと大胆なことを書きすぎちゃったかしら? それとも、確認は念の為に行なったものの……。はっ! もしかしたら、文法を間違えてしまっているから読み違ったとか……?)
ウィルに出した手紙の中身を振り返っている中、あたふたと気が動転してしまう。
一緒にオススメの本を探して欲しいと筆にしたことをかなり気にしてしまったが、今更どうすることも出来ない。
まるで、あの男性のように自分から逢瀬を申し込んでいるのでは……と、恥ずかしく頬を赤くする。
(そんなことないと思いたい。あくまでも、今はウィル様とお会いするのは櫛のお返しをしてもらうだけの予定であって……。単に面白い本を紹介してくれたらと書いたけれど、勘違いされちゃったら……)
もしかしたら、本当に催促する書き方を間違ってしまったのかと百合子はヒヤヒヤしている。
赤くした頬から更に顔全体へ伝わり、熱が冷めない。
なるべく「大丈夫だよ」と言い聞かせ、両手で風を起こそうと仰ぎながら落ち着かせる。
(けれど手紙だけじゃなく、ウィル様と会う時も手紙で会話が出来たのと同じように、話せられる日が来たら……どんな感じの会話になるんだろう)
櫛を返してもらえる日、それ以外にも何かのキッカケに会える日が来ること。
いつか、彼の傍に並んで日常の動きや鼓動を楽しめることが出来たらと願いながら、返信を待つのである。
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——数日後。
いつものように主人の出勤時間を知らせようと、ジェフが部屋を訪れ入る。
「坊ちゃん、失礼します」
「あ、ジェフ! ちょうど良かった。コレを……」
ジェフが部屋の中に入る頃には、着替えなど既に身支度を終えていたウィルの姿があった。
そして、彼から差し出されてきたのは一通の封筒。
もちろん、その手紙は百合子への返事を書いたものだ。
イニシャルである「W」の筆記文字や耽美なデザインが入った青色のシーリングスタンプを丁寧に施している。
「おや? 坊ちゃん、手紙はもう完成されたのですか?」
「あぁ、そうだ。昨日の夜にな。今回もよろしく頼んだ」
ウィルの顔を見た限りでは普段通り涼しげなものだが、主人の心の表情がいつもと違うと感じたジェフ。
表面では見せないものの、きっと柔らく穏やかな微笑みといった感情が読み取れる。
「かしこまりました。では早速、届けに行って参ります」
手紙を預かり受け取ったジェフは部屋を退出し、出掛ける支度を行う。
(このまま順当になると良いけどな……。もうひと息乗り越えたら、ここの視察の任務も終える時が来る。それまでに早急に片付けないとな)
ウィルの任務完了日が、どうやら予定よりも少し早まる可能性が出てきたそうだ。
本来なら会議などで一ヶ月は猶予に超える時も多かったが、スムーズに行えたことが一番の効果あったのだろう。
(今回の手紙……、彼女は喜んでくれるだろうか? 俺のやれることは出来たが、今はそれぐらいしか無いから……)
彼にとっては自分なりに力作を作ったつもりであるが、自信はあるとは言えない。
部屋の窓の外から、ジェフの乗馬で駆けていく姿をそっと見守っている。
このまま彼女との繋がりを保っていけるようにと願いながら、手紙の行方と一緒に……。