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第二十二話 ウィルの些細な幸せ その三

 ——都内、ブリストリアス帝国領事・東皇支館。


(薄い紙に挟んで、本で重しを掛けて暫く……だな)


 朝に庭園で拾った桜の花弁を押し花に仕立てるよう、ウィルは作業を行っていた。

 これは、次の工程で使用する為の事前準備である。

 その工程は、今度出かける視察の時に利用するものだ。


(下準備は出来た。今日は思ったよりも早めに済ませられたし、こうしてゆっくり過ごせるのはいい気分だ)


 ウィルは毎度ながら他国から来た色々な担当官僚が集まり行われる外交会議だが、普段は結論が夜になっても決まらないことが多い。

 そのせいで話し合いをする度、時間が長引くことにウンザリするのがお決まりだった。

 しかし、今年は事情が違う。

 彼には、早く終わらせたい理由がある。

 やはり一番大きいのはウィルの私情に関わることで、楽しみにしていた彼女から貰った手紙の続きを読む為に……。


「さてと……。確か、ユリコの趣味が読書とのことだったところからだな」


 ボソッと独り言を呟きながら再び封筒から出した便箋を広げ、未読ので終わった箇所の文章から続きを読み通し始める。


 ——……(前略)。

私の心の内では、ブレス語で書かれた小説をもっと拝読したいと常々思っております。

けれど他の本を沢山読みたいとはいえ、どれが読みやすいなど選び切れないので迷っているのが現状で……。

誤って難しい内容に読めなくなり困ってしまうのが、今の私の悩みです。

いつかウィル様とご一緒に、オススメの本を探したり教えていただけたら嬉しいなぁと。

また、貴方様のお返事を待っています。


伏原 百合子



(……)


 手紙を読み終えたウィルは、ほんの一瞬だけ思考をフリーズしてしまった。

 もう一度、その続きの部分で着目する中……。


(……? ん……? 俺……、間違ってない、よな?)


 解釈を間違えていないか、その怪しい部分だけ改めて読み直す。

 しかし、どう読み取っても彼女が会いたいと誘っているかのような表現に思わず顔を覆いたくなってしまう。


(こ、コレ……。まさかだが、お、俺とデートしたい……なんてことは、無いよなぁ……。流石に、今すぐにしてほしいとは書いてないと思いたい。焦るな、一旦落ち着こう。冷静に考えろ)


 このままだと、ウィルの読み方を勘違いしてしまいそうになり困惑を覚える。

 なんとか冷静さを取り戻し、彼女の立場になって考えてみることに。

 そうしていると、彼なりの推測として立てた仮定が一つ浮かび上がった。


(んー……、これは俺も似たような悩みかもしれない。確かに考えてみれば彼女の立場になってみると、ブレス語の原本に読み慣れていないから我が国が使う言葉の表現も難しいのだろう)


 ウィル自身も、実際は瑞穂国で使う仁和語が堪能というわけではない。

 他人が話している会話の聞き取りや読解力は、一応、ある程度理解出来ている。

 しかし、使う側になるとカタゴトな話し方や書き方になる為、ジェフに通訳してもらうことも。


「とはいえ、俺も最近、小説を読むのご無沙汰しているからなぁ……。どうしたものか。彼女にとって、何が一番興味を持ってくれそうかだなぁ……」


 百合子にオススメ出来る本があるか、屋敷内に置いてある本棚の中を浮かびながら模索する。

 図鑑以外の本となると歴史書や冒険記など、彼の所持している冊子の数は、数十を余裕に超えている。

 そうなると、屋敷へ帰ってから確かめた方が早そうだ。

だが、本選びの解決策も一緒に考えている内に……。


 ——コンコンコン!


「……ッ! ビックリした……。はぁ、どうぞ」

「失礼しま……あっ、坊ちゃ……。えっと、如何されま……した?」


 ノックした後、部屋に入ると主人の機嫌の悪さがチラッと見入ってしまった。

 タジタジするジェフに、ウィルは何ともないといった表面上でそっけなく応える。


「いや、ジェフが急にノックの音鳴らしてきたから……なぁ‥…」


(坊ちゃん、それは流石に無理があるのでは?)


 主人が嘘をついているとわかっていても、タイミングの悪さのせいでぎこちがなかった。

 気を取り直し、ジェフは今朝に頼まれたことを報告する。


「あ、そうそう坊ちゃん。例の件ですが、手配を完了致しました」

「あぁ、あの件だな。ご苦労。で? そこへ訪問出来る日はいつになった?」

「えっとですね、なるべく早めにとお願いしたところ、明後日に空きがあるとのことでしたのでその日に予定を入れております」

「わかった。では、その通りに組んで予定を進める」

「はい、お願いします」


 訪問する日程の報告を終えるジェフは、ふと彼の作業机を見て気がついた。

 これから仕上げに入るであろう、庭園でスケッチした桜の線画が描かれた葉書ぐらいの大きさのカードが置かれている。

 作業中であるのはともかく、そろそろ一人で集中したいのだということを。


「ひとまず用件は今の分だけでございます……。では、私はこれにて」

「あぁ、自分の作業へ下がっていい」


 用を済ませたジェフは、静かに部屋を立ち去って行った。

 また新たに一歩計画が進められたことで、ウィルの内心からホッとひと息つく。


(それにしても、手紙の中でユリコのことを少しでも知れるのは、なんか嬉しい気持ちだ)


 今後も少しづつ交わしていけば、また見たことのない新しい表情も垣間見れると楽しみにしている。

 同時に、彼女との手紙を交わすことや発見を見つけることが心を踊っている感覚を覚えていく。


「よし、あとは記憶が薄くならない内に今日描いたイラストの色をつけて、乾いたら文を書くとしよう」


 色をつける絵の具は、もう既に決まってあり用意もしている。

 どれも瑞穂国でしか手に入ることはなく、異国では馴染みのない彩もあって趣があるものだ。


(瑞穂国では『顔彩』という水彩画に使う絵の具みたいなもので、色を描くらしいな)


 初めて触れる絵画用道具だが、ウィルは水彩絵の具と同じように桜の色を作る為に紅と白を水につけた筆で取る。

 硝子容器に入った水へ筆の毛を再度つけ、白い陶器の豆皿で溶き混ぜ合わせる。

 少しでも、あの白に近く薄い桜の花色を本物に近づける為に何度も調合を繰り返し行う。

 納得した色を作り上げ、休息の時に書き上げた桜へ写し、まるで生き写すよう花に息を吹き込む。


「おっ、一番良い色を映し出せた。あとは乾燥させて、明日には文を書けるようになるといいな」


 仕上げた絵画はインクを乾かす為、別の作業机の上に置き、風に飛ばされないようペーパーウェイトを乗せる。

 淡く穏やかな笑みを浮かべ、百合子への返信を書く文章を楽しみにしながら待つのである。

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