--百合子の手紙が届けられた翌日。
店の開店時刻になり、引き戸を開け始める。
店内に仕舞っていた暖簾を掛けに、百合子が行くと……。
「いらっしゃいませ、おはようござい……え?」
「どうも、おはようございます。百合子様」
朝の開店と同時に、お店の前で一人の男性が待っていた。
もちろん、その男性というのは先日訪れたジェフのことだ。
「えぇ⁉︎ どうしてジェフ様が?」
「どうしてって、もちろん、あの件しかありませんよ」
朝早くから白鳥へ来るのは予想外の予定だが、恐らくあの手紙に関して何か報告があるのだろうと、百合子は思った。
すぐさま、ジェフに確認をしてみると……。
「あの」
「何でしょう?」
「昨日、ウィル様に手紙をお渡しすることは出来たのでしょうか?」
「それが……」
百合子の確認に対して、何故か俯き加減に残念そうな声で細くぼやきを言うジェフ。
その表情を見た彼女は、どんな表情をすればいいのか戸惑っている。
そんな表情を見せたのも束の間。
「なぁーんてのは冗談ですよ。ちゃんとお渡しをしましたし、喜んでくださってましたよ」
(……へぁぁ~)
彼のちょっとしたドッキリだが、百合子は本気に捉えすぎてあまりにも腰が抜けそうになるぐらいビビってしまった。
「もぉ~、ビックリしましたよぉ……。お、驚かさないでくださいませ。どうなってしまうのかと思うと怖くなりますから」
「いやぁ、これは失礼しました」
ハッハッハーッと笑いながら驚かすジェフに対し、困惑と涙の表情が入り混じるようにほっぺをぷっくり膨らませている。
(あぁ、ウィル様に喜んでいただけたのは良かったぁ……。でも、以前は持って来れるかどうかって曖昧に仰っていたのに、今日はどうしてこんなに早くなんでしょう?)
冗談を言い交わった彼だが、こんなに開店早々から来店することに百合子は疑問を感じた。
昨日の時点で視察に参加すると聞いていたとはいえ、手紙の返事を一日で解決することなんて出来るのだろうか? と。
「あっ、外でお話をするのもアレなので。どうぞ、中へ」
「そんなに長居は出来ませんが、ここは百合子様の言葉に甘えて失礼します」
百合子は、ひとまずジェフを店内へ通して受付の座敷へ。
外の声が聞こえていたのか、他の従業員がお茶と軽い茶菓子用意をしてくれていた。
この日の茶菓子は、薄紅色と白の金平糖。
お陰で百合子はスムーズに運び、彼の元へ提供をする。
「おや、お茶にお菓子まで頂けるなんて」
「いえいえ。それにしても、朝一からご来店されるとは驚きましたが……」
「申し訳ございません。早速、本題に入るのですが手短に話をしますね」
「はい、是非お聞きしたいです」
お茶をひと口飲んだ後、ジェフは昨夜の出来事の中でウィルとの会話を簡単に説明し始める。
「昨日、百合子様のお手紙をお渡しした直後、ウィル様がすぐに返事を書くから手紙を渡せという命を仰られまして」
「あら、そうだったのですね」
(あぁ、これはもしかしたら私が変に急かしてしまったせいで、そうさせちゃったのかも……)
主人から受けた命令の影響でジェフが行動する気遣いに、百合子の表情ではニコニコと作り笑いする。
しかし、本心の中は尋常ではなく、汗がダダ漏れに流れるぐらいのタジタジな心境だ。
「あぁ、そうそう、肝心な物を忘れないよう先に渡しておかないとですね」
思い出すかのよう、ジェフの右手は燕尾服の内ポケットへ何やらゴソゴソと取り出す。
内ポケットから物が少しづつ見え始め、百合子へ手渡されたのは一通の白い封筒。
表には百合子の名前、裏にはウィルの名前と封口に青いシーリングスタンプで薔薇の紋様が浮き彫りになっている。
「はい、こちらをどうぞ」
「えっ、あっ、はい」
「先程、説明した通りの結果でございます」
「……ありがとう、ございます?」
百合子は先程の説明からイマイチ理解が出来ず、戸惑いながら素直に手紙を受け取った。
サッと渡された分、答え方が正しかったのか全くわからない彼女に、ジェフは少しだけ補足を入れる。
「つまり、今日は百合子様へお届けに参りました。こちらが、ウィル様からお預かりしている手紙でございます」
(……)
ウィルからの直筆の手紙を受け取るまでの段取りは、ひとまず順当で良かった。
しかし、疑いが全く晴れない為、実物を見て嘘か真かを確認し始める。
封筒を表裏の面を交互に、百合子は何度も何度も見ながら繰り返し行い、ようやく彼の説明を理解した。
「えーと、つまり……。こっ、これが本当にウィル様からの?」
「左様でございます。正真正銘、主人から返信を……」
「えぇーー!」
百合子は最後まで話を聞かずに、つい遮って叫んでしまった。
なるべく声量を落とすようことだけ我慢は出来たものの、心の叫びがつい口から声を大にして吐き出してしまいそうになる。
(は、早い⁉︎ 何という恐ろしい速さで……。私の時は二日ぐらいはかけて悩みながら試行錯誤して書いたはずなのに、たったの一日、いえ、昨夜の内にですって?)
こんなに返事が早く届けられてくることに目が飛び出そうな程、予想外な彼の行動力で驚きを隠せず。
だが、受け取った封筒の後ろに書かれた差出人の名前を改めてじっくり確認する。
紛れもなく、ウィル本人が万年筆で書かれていた直筆のフルネーム。
「あっ、これが、ウィル様の……。ご本人の直筆……なんですね」
百合子の胸の中から一瞬、トクンっとトキメキを奏でる音が少しでも聞こえてきそうだ。
本人が書いた名前の文字を初めて目の当たりにすると心が躍りそうなドキドキ感。
そこに、これから見るであろう返事の内容から走る緊張も複雑に入り混じる。
(ウィル様から、どんな回答を書かれているのかしら……? 早く読んでみたい……)
「ふふっ、私の言う通りでしたね」
「え、えぇ。まぁ……ジェフ様の仰る通りでした」
宣言通りに約束を果たしたことに、百合子は彼等のことを少しでも疑ったことに申し訳なく感じている。
けれど、ジェフはその感情に察したのか、主人の行なった手紙を送る姿勢を思い出しながら語った。
「本当に疑って、申し訳ありません」
「いえ、謝ることではないですよ。ウィル様は百合子様の為なら……。たとえ相手が異国人だとしても、一人の人間として誠実に約束を果たす紳士ですから」
(……!)
「こうして手紙をお渡し出来たのも、主人が百合子様の気を思っての行動から来たものですよ」
「わ、私のことを、思ってですか?」
「えぇ。女性と話すのはどんなに苦手でも、優しく真面目さから自然と出る純粋が本来の持ち主なので根は良いお方です」
(大事な物がまだ返せないのに、ウィル様はこういうことが起こるとわかっていた上で、私が不安に思っていたのも見えていたなんて……。だから、私を安心させるためにこんなことまで……)
ほんの苦笑いを浮かべるもウィルからの手紙が来たことが、彼女の心を少しでも動かしていた。
こんなにも嬉しく思うようになれる幸せを噛み締めた、初めての経験。
百合子の瞳から一縷の雫が流しそうになるも、その想いを大事そうに手紙を胸元へ抱える。
彼女の喜ぶ姿を傍で見るジェフは、優しくそっと微笑んだ。
「もし、百合子様がよろしければの話ですが……」
「えぇ、何でしょう?」
遠くの方へ視線を向けたジェフは、二人の将来のことを見つめていた。
普段は見られないであろう微笑ましい表情の主人と、横に並んで淑やかに寄り添う百合子の姿……。
ジェフは、その幸せへ辿って欲しいと願いながらこう伝える。
「視察中のことですが、大体二、三日もしくは週に一度、主人と百合子様との手紙の受け渡し役として、私、ジェフがこちらへ訪れます。万が一、私がどうしても来れないときは、今、外で待っている代理役も立てておきます」
「……はい」
「なので、これから少しでも主人との仲を持ち続けていただけることが出来たら、主人の望み……いえ、私の願いとしても幸いなものです。私にとって幸せになってほしい大切なお方ですから」
(ウィル様との仲を……私と?)
ウィルとの絆を繋ぐ力の可能性の不思議さを、百合子は託された手紙から伝わってくる気がしてチラッと覗く。
主人の希望に百合子との距離が少しでも縮められるよう想いがあって、ジェフは彼女に何かを託そうと。
しかし、それを知ることが出来るのはもっと先の話、実際に彼等が出会ってからになるのだろう。
ジェフには二人の将来に映るビジョンを見据えている、或いは確信を持てそうなことを伝えようとしていた。
「それに、貴方様ならきっと主人の心を……」
最後まで発言をするのかと思ったら、途中でポケットから懐中時計を取り出し蓋を開けて時間を見ている。
どうやら予定していたよりも少し過ぎてしまったことで、かなり慌てていた。
「あぁ、いけませんね! もうこんな時間でしたか。申し訳ありませんが、既に出発しているウィル様を待たせるわけにはいきませんので」
「い、いえ。こちらこそ、返事を急かすようなことをしてしま……」
百合子も謝ろうとする中、ジェフは早口な口調で別れの挨拶で済ませ、素早く馬に乗って駆け足で後を去っていく。
「気にすることはございません。では、また後日、手紙を引き取りに伺います!」
「はい、わかりました。そちらもお気をつけてー!」
(ジェフ様、最後に何か言いたいことがありそうな気もしたのですが……また次の機会に聞けそうかしら?)
百合子は軽いお辞儀をして見送ったものの、既に距離が離れてしまい姿の跡形もなくあっという間に消えた。
最後まで聞けなかったジェフの伝えたい台詞のことだけ、心残りを感じるのであった。