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第十六話 百合子の直筆


(はぁ~……、なんとか体裁を保てたか……)


 ウィルは、緊迫した状況から解き離れてひと息吹く。

 だが、この日はいつもと違う。

 楽しみにしているものがあると思うと、また別である。

 そう、何よりも期待していたのは、百合子が書いてくれたあの手紙のことだ。

 張り詰めていた緊張からようやく解け終わり、平常心に戻ったところでトレーから取り出す。

 仕事の休憩代わりとして、文を読むことにした。


(ほぅ? 封筒は無地のものだが……、紙質はいいもの使ってそうだな)


 洋紙の肌触りを親指と人差し指で封筒の端を挟み、擦り合わせて感触を確かめている。

 劣化されているものだと少しのザラつきが分かるが、百合子が使った封筒はツルッとした触り心地がいい。


(裏面は……おっ、シーリングスタンプで丁寧に施されてる。柄は彼女らしい百合の紋章だな。仕事が「代筆屋」という職業病なのか、プライベートまでそういうところもちゃんとしているのは意外だ)


 差出人が書かれた封筒の方を向けてシーリングスタンプを丁寧に取り剥がし、一枚の便箋を取り出す。


(あぁ、いよいよ中身が読めるな……。さて、どんな内容を書いているのかなっと。ん?)


 折られていた便箋を広げて読もうとした途端、ウィルは少し驚いてしまった。


(これは、俺の予想をしていたものと全然違ったな。こんなに書けるなんて、私の故郷でもなかなかいないのに……)


 スペルはともかく文法の誤りは、今のところ見かけない。

 だが、彼女が書いた肝心の手紙の内容はというと……。


 拝啓 ウィル・エドワード様


初めまして。私、伏原百合子と申します。

先日は、私の櫛を拾って頂きありがとうございました。

もしかしたらなのですが、当時ウィル様に肩をぶつけてしまったでしょうか?

そうでしたら、その節は誠に申し訳ございませんでした。

実はあの時、私も仕事が多忙でして、急いで店に戻る為に慌ててしまった故でございます。

貴方様のお付き人という方から、私の櫛を拾ってくださったとお聞きして文に認めた次第です。

お預かりしている櫛は私にとって大切な品ですので、日を改め、機会を設けてお礼と受け取りにお会いしたいです。

都合の日や時間がございましたら、お知らせをしていただけると嬉しいです。

ウィル様からの返事をいただけることを、心よりお待ちしております。


伏原百合子



 至って簡素的で尚且つ、誰でも書くようなありきたりのお礼状としかいえないものだった。

 しかし、ウィルが関心を持った部分はそこではなかった。

 百合子が書くブレス語の文字の書体に惚れるほど、とてつもなく美しい。

 まるで、彼女の魂が宿っているような滑らかさと柔らかさが兼ね揃えている。


(綺麗な文字である上に、ブレス語をこんなにもスラスラと書けるとは……。瑞穂国の人間にしては本当に見事なものだ!)


 彼女の字や文章をもっと見たいと、ウィルの願望欲がより高まっている。

 だが、手紙を受け取ると同時にこれから起こる悲しい現実も然り。

 近い内に、預かっている櫛を彼女の元へ返さないといけない時がやってくること。

更に、ウィルには難点がある。


(彼女と会って品を返す時は、ちゃんと俺自身の手で返してやりたいが……いざ会ってみて、上手く渡すことが出来るのだろうか?)


 女性の前では話せないウィルにとっては、顔を近くして合わせるのが一番難儀な課題である。

 初対面の女性とはいえ、どんなに性格や見た目が大人しい人物でも、目を合わすことさえ怖いと感じてしまう。

 ウィルは、なんとしてもこの難題を乗り越えたい一心。

 それよりも百合子との仲を、もっと親密になってみたい想いが膨れている。


(しかし、明日から一ヶ月ぐらいを目処に離れてしまうのだが、その間に何か出来そうな妙案はあるのか……?)


 返事を書く前に、視察する合間の一ヶ月間で何かの行動を駆使して出来そうなものを少し考える。


(あっ、そうだ! この際、会話慣らしに彼女とお互い文通を出し合ったら……。これは良い案を思いついたぞ! 当日、あんまり顔を合わせられなかったとしても、文章で会話をして繋ぐことが出来たら……)


 そうと決まったウィルは、木製の仕事机の横下にある引き出しからレターを取り出した。

 洋墨インク壺に彼がよく使っている羽ペンの先をつけ、さぁ今から手紙を書くと行動移すも、なぜか一文字目すら書けずに筆が進まない。


(俺も、そろそろ文を書くとしよう。さて、出だしは何を書こうか? ……って、まさか、当の俺がそんなことを言うなんてことはないよな)


 百合子が経験したことを、今度はウィルにも降り掛かっていた。

 さっさと書き終わらせられると余裕を持っていたのに、全く「い」の字どころか、紙にペン先すらついていない。

 違いは、百合子は三日の期限を設けたことに対し、ウィルはたったの今の内に仕上げないといけないことだ。

 明日の朝一にはジェフの元へ渡さないとウィルの出発にも間に合わない為、より過酷な日程。


(よく考えてみたら、俺がそう無茶な依頼したのが発端だったな。何かの天罰を受けた気分だ。彼女もきっと俺と同じように、何を書くか迷いながら手紙を綴ったのだろう。まぁ、良い。元は俺がそういうことをさせてしまったのだから、キチンとその気持ちを汲んで味わうとしよう)


 振り返った後、ウィルは苦笑いをしつつも百合子の大事な櫛の返還も含め、これからのことを彼女へメッセージを綴っていくのである。

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