--夕刻、同市内・外交大使館。
ウィルは部屋内の窓際で、ソワソワして右往左往とウロウロと早歩きしている。
周りに誰もいない一人の時になれるよう、この日を心待ちにして望んでいるからだ。
(やっと、この日が来た……。早くどんなものかを読んでみたいものだ)
今日は約束通りに、手紙をウィルの元へ届けてくれる日。
彼女から預かった手紙を持っているジェフの帰りを待っている最中だ。
残っている書類を処理すべき仕事をなるべく終わらせたいものだが、気が気でなく集中力が欠ける。
(あぁーー! もう、これ以上の集中が持たねぇ……! ジェフ! 一刻でもいいから、早く帰って来い!)
ジェフには百合子のお店に寄る以外に他の抜けられない予定がある上、帰りが早くても夜の刻だ。
表面上では無を徹しているが、ウィルの心の中は待機するのにも待ちくたびれイラつきに掻き乱されていた。
オマケに、東皇都をはじめとした少し離れた地域への視察の予定が明日から入っている。
そのため、今夜中に返事を書いてから明日届けるにしても、実際に本人と会えるのは視察が終わって都合がついてからの話。
しかし、今のウィルにとっては、百合子からの手紙が何よりも一番待ち遠しい。
(うぅ……。どうしたものか……)
彼の胃腸から、段々痛み始めてきた。
緊張から来る原因ではあるが、我慢もしていたこともあって抑えるのにも限度が達しそうになっている。
(なんだか、いつもの俺じゃねぇ……。落ち着け! もっと冷静になれよ、自分!)
ウィルは再び仕事に専念する為、とりあえず自分の席に着くことに。
まだ館内に残っている仕事仲間の一部が来ても、なるべく表情を出さないよう心掛ける。
--そして、ようやく夜刻になった頃……。
コンコンコンッ!
(……はて? 反応がない?)
扉にノックをするも、主人が応答しないことにジェフは少し首を傾ける。
勝手に入室をすると失礼に当たるので、念の為にもう一度試みるも……。
「坊ちゃん? ジェフですが……。私の声、聞こえてますか?」
シーーーーン…………。
「坊ちゃん、聞いてますか? 返事してくださいませ!」
再度呼び掛けても、扉越しにも聞こえるはずのウィルの声が全く発しない。
二、三回声を掛けたら、何かしらのリアクションが発生するのに、この日みたいに何も発しない方が極めて珍しい。
(んー……、どうしたものでしょうかねぇ。顧みずに無言で仕事をしているのならですが……)
「坊ちゃん、反応が受けられないので失礼ですが、そのまま入りますよ」
ここままだと埒が明かないと思い始め、仕方なくジェフは前置きの言葉を告げる。
主人の居る部屋に扉を勝手に開けて入り帰宅の挨拶を交わすも、顔を見て驚きを隠せなかった。
「ただいま、戻りました。坊ちゃ……」
しかし、当の主人はまだ仕事が終わりきれなかった……。
いや、もしくは気を紛らわす為にもずっと書類の仕事をやり続けているとしか見えない。
オマケに、作業をしているウィルの表情を覗いただけで既に現れている。
(あぁ、なるほど……。これじゃあ、いくら呼びかけても意味がなさそうでしたね)
ウィルの筆走りのスピードと表情の「ひ」の文字もカケラもない無の顔に、ジェフは納得した。
ひとまず部屋へ入室することに成功したので主人の傍まで寄り、再び声を掛ける。
「あの……、坊ちゃん! ウィル様!」
「んあ?」
「はぁ、やっと反応しましたか」
「あぁ、おかえり……。済まないなぁ、待ちくたびれすぎて音すら全く気付きもしなかった」
「えぇ~……」
(坊ちゃんの言ってることは本当でしょうけど、半分偽りもあるような気が……)
真偽の疑いの目になるジェフに、ウィルは何事もなかったかようにサラッと言い退けている。
「それから……」
「はい」
「今日もご苦労」
「ありがとうございます、本日も任務を全ういたしました」
淡々としたいつもの会話で話す主人にホッとするジェフ。
しかし、本題はここからのこと。
「それで、ジェフ。例の約束のものは? ちゃんと手元に持ち帰っているだろうな?」
「もちろん、ありますとも。ちゃんと御本人様から直接受け取っておりますので」
いよいよ待ちに待ったものが来た。
ジェフが着用している黒い燕尾服の上着についている内ポケットから、百合子が書いた手紙を丁寧に取り出す。
「おぉ、それなんだな。じゃあ、そこのレタートレーの上に置いてくれ」
そう言って、ウィルは仕事机の上にある焦茶色の革製で作られた書類トレーの方へ目線を向ける。
「かしこまりました。ここに置いておきますね」
指示通りに指定された物の上へ置く。
置いた後の垣間に、ウィルの視線がチラッと手紙の方へ意識を向けているせいで気になるばかり。
ジェフは、その視線の意味を読み解いた後、主人の言いたい事がハッキリと伝わった。
「えーと、あと他にも、少々だけお伝えしたいことがありまして」
「……」
「坊ちゃん、聞いてます? 私は明日からの視察準備の整理と留守時の予定を下の者に伝えないといけませんので、一旦下がってもよろしいでしょうか?」
「……」
「坊ちゃん?」
「……!」
一瞬だけ彼女の手紙に対する浅い考え事をしていたが、ジェフからの呼び声に白々しく気づいた。
「あっ、そっか。あぁ、確かにそうだな。わかった、今日はもう下がっていい」
(いや、坊ちゃん……。今の話、絶対聞いていないし手紙のことしか目にしてないでしょう?)
歯切れの悪い答え方だが、ジェフの今日の重要任務にやり遂げてくれたことに対して、ウィルは安堵していた。
「では、私はこれにて……」
「いや、済まない。今の”下がっていい”は嘘だ。悪いが、まだ話は終わってない。もうちょっと残ってくれ」
他にも用件があったのか、ウィルは急に引き留めた。
百合子への手紙の件で、まだ終わっていないと予感を察する。
コケそうになったジェフは、こめかみに手を添えて恐る恐る話を聞くこと以外の逃げ道が塞がれてしまった。
「は? 何でしょう……?」
「彼女は、明日の予定内容、知っているんだろ?」
「えぇ、まぁ。私が念の為にその件をお伝えしましたので……。もしかして、いけませんでしたか?」
ジェフの予想は、まるっきり的中していた。
しかし、返ってきたウィルの答えが意外なものだった。
「じゃあ、今から彼女の手紙を読むから、その後すぐに返事を書く。仕上がるのは今日中だ。もちろん、言いたいことは分かるな?」
やる気が満ちるどころか、相変わらずの淡々とした口調が更に増している。
けれど、その回答こそが主人のありふれた自信満々気の証拠。
ウィルの心の内では、先日の口論戦の反撃にここぞとニヤリと笑っているのだろう。
主人の命令を行使する、つまり、ジェフの労働が更に嵩むと感じ……。
「えっ、坊ちゃん! それはいくらなんでも無茶なのでは?」
「彼女が返事のことや櫛の返還が遅れるなど、今、色んなことに不安になっているんだろ?」
「それはそうですが。しかし……」
「なら、早い方がいいに決まっている。明日東皇都で合流する前、俺からの手紙を先に届けて欲しい。ジェフもそれを分かった上で、彼女に言ったんだろ?」
「……」
少しでも百合子の不安を解消させる為に、咄嗟に策を練ったウィルは、その妥協案を強気に掲げ命じる。
ジェフは自身に犠牲が降りかかるも、二人のこれからのやり取りを考えた上でならと了承をすることにした。
「異論は無いな?」
「ございません。明日、そのように行動いたします」
「あぁ、頼んだそ」
「はい。では、失礼します」
(ふぅ……。今に始まった事では無いが、無茶な行動を振るなんて。まぁ、坊ちゃんの未来の為と思って色々と忙しくなりそうですな)