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第十三話 在りし日の巡り合わせ

  --在りし日の昼時。


(今日は休日前のお昼時だからか、商店もいつもより賑わっているし、なによりも人が多い)


 ウィルが今歩いている場所、横海市の中で一番賑わっている商店大通り。

 そこには、呉服をはじめ、貸本屋、八百屋、飲食で流行りの牛鍋など衣食住に必要なものが全て買い揃えられるぐらい大きな街並み。

 他にも、来航してきた異国の人々でも利用しやすい異国御用達と呼ばれる輸入製品が取り扱う店も増えてきている。

 瑞穂国の人々が憧れるであろう洋服や煌びやかな装飾品、西洋の技術を駆使した硝子や銀製品の食器など……。


 そんな中、なぜ彼が外に出かけているのか?

 きっかけは、午前中に起こった出来事だった。


「あ、もう空になったのか……」


 仕事用として使っている黒の洋墨瓶が、偶然、午前中に空っぽになってしまう事態に遭う。


「ジェフ、居たら返事してくれ」


 …………。


 毎日の書類仕事に使う為、普段は予備の品も置いているはずだった。

 だが残念なことに、そのストック分すら切らしている。

 本来ならジェフにお使いを頼もうとしたけれど、反応がない。


(あっ、しまった! ジェフは別件で外へ出ていたんだった。はぁ、前もって買いに行くよう頼めばよかったな……)


 後になって思い出し、生憎の外出中ということ。

 部屋にいなく、屋敷内の何処かを探しても姿が見えなかったらいないのも当然。

 しかし、まだ仕事に使う分、今すぐ欲しい彼にとっては緊急を要する。

 他の人にお使いを頼んでもいいのかと思えば、お金の管理を担当しているのもジェフのみ。

 他の人の手にお金を渡るわけにはいかなかった。


(ふむ、後でジェフに報告せねばだな)


 自ら出向くしかないことになり、暫くの間だけ席を外して異国御用達の雑貨屋に訪れようと向かっていた。


(まぁ、いないものは仕方ない。だが、仕事で室内にずっと篭っていたし、たまには歩いて運動もしたかったから丁度いい。そうすれば、外に出ると気晴らしになりそうだしな。その内、何かのアイデアが浮かんだらラッキーだと思えばいい)


 そうポジティブに捉えながら、他のことを考えている最中……。


 --ドンッ!


「……ってぇ」

「ごっ、ごめんなさい!」

「ん? あ……、お、オイ! 待てって……」


 あともう少しのところで目的地へ着こうと人が多い中、お互いがぶつかってしまう。

 ぶつかり当たってしまった際に引っ掛かって落とした「かんざし櫛」を見つける瞬間だった。

 それは、彼女の髪にさりげなく飾り付けていた装飾品。

道に残したその櫛を、誰かに踏まれないうちに慌てて拾ったものだが……。


「あぁ、行っちゃったか……」


(はぁ……。勇気を持って、彼女の方へ向かえば良かったのか……)


 ウィルは百合子に声を掛けようとしたけれど、もう既に間に合わなかった。

 彼女も急ぎの用事だったのか、どこか向かおうと慌てながら駆けて、あっという間にいなくなったから。

 まるで、女の子が絵本で読むお伽話のように描いたシチュエーション。


--ドクンッ!


(何だ? この、よくわからない痛み……?)


 たったの一瞬にしか過ぎないはずの動きが、スローモーションのように彼女の素顔が映し出され……。

 すれ違った僅かな瞬間、胸の鼓動が早まっている。

 艶のある漆黒のストレート髪と、柔らかそうな瞳と表情。

 けれど、ウィルの手には届かない存在へ遠く離れて行った。


(もっと、俺が積極的な人間だったら、また違ったルートを歩んでいたのかもしれないのに。苦手意識を持つが故、自分でも情けないのもわかっているが……。所詮、これが俺の弱さだ)


 結局のところ、その日は当然、百合子と再び会うことが叶わずに終わった。

 別の日になっても渡すタイミングすら全く掴めないまま、刻々と時を過ぎていくばかり。

 しかし、ウィルはこの櫛を見て、彼女にとって大切なものに違いないと感じている。

 その証拠に、百合の彫刻に高級である漆が塗られていて丁寧に施されている柄もの。


(この花……、もしかしたらの話だが、彼女の名前の由来なのかもしれん)


 この絵柄がヒントとなることが、彼の中の勘が働いた。

 早い内に行動するのが吉だと思い、早速、ジェフを呼んで彼女のことを探るよう命じた。

 ジェフの地道な聞き込み調査を数日掛け、ようやく正体がわかった。

 彼女の正体を知ったウィルだが、このままなら女性と接するのが厳しい。

 よって、素直にジェフに任せる行動に移すのが情理だろう。


「坊ちゃん。よろしければ、私がその品を彼女の元へお返しに行きま……」

「いや、ここは……」

「……? 坊ちゃん、いかがいたしました?」


 この日に限って、いつもの返事の仕方とは違っていた。

 冷淡の含む単調感の口調で話さない。

 逆に何故か顔の頬を赤らめて、恥ずかしがっているのではないか。

 オマケに、まだ少し迷いがあるのか下を向いている。


「……私以外誰もいませんので、正直に仰ってくださいませ」


 心配になったジェフは部屋の外など周りを見渡してから、再度、主人の言葉を耳に澄ます。

 ウィルは、他人にあまり感情をバラさないよう顔ごと逸らし、口を手で覆いながらそっと答える。


「ここは、俺の手でちゃんと、返して……やりたい」


 …………。


「え? 坊ちゃん……それは正気ですか⁉︎」


 自ら届けに行く行為にジェフは衝撃を受け、かなり動揺してしまった。

 ウィルの口からその言葉が出ることが絶対有り得ないだろうと、困惑するのも無理がない。

 だが、ウィルは本気だった。

 逸らした状態には変わりないが、コクンッと縦に振って頷いている。


「けど、お相手は女性ですぞ?」

「だから、俺は作戦を考えたんだよ。ジェフが聞き込みをしている間に……」

「はぁ……なるほど。では、坊ちゃんが考えたその作戦っていうのは、一体どういうものなんです?」

「それは、だな……」


 ウィルが考えた作戦を真剣に耳を澄まし、ジェフも作戦の改善案など話し合いを重ねながら立てて完成させた。

 他人からすると、なんて回りくどいことを……と思われてしまうが、今行っている方法も彼なりのやり方だ。


(あの時の彼女……、なんとなく可憐さがある不思議なオーラが漂っていた。俺の故郷では、まずは見かけない女性だ)


 何か不思議な縁を感じるウィルには、どんな形であれど一度は彼女と話してみたい気持ちは、まだ諦めていない。

 淑やそうに見える百合子なら、手紙を介した後でも少し落ち着いて話せるかもしれないと思って出た、彼の行動だ。

 ウィルは先程取り出した櫛をもう一度、机の引き出しの中へ正絹製の白い布に包んで大切にしまい戻す。


 --いつか百合子と出会える時を、と手紙が届くことも含めて願いながら……。

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