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第七話 代筆屋看板娘・百合子 其の三

「では! また、次回分のお品書きの代筆のお仕事、頼みますね!」

「はい、いつもありがとうございます。また、お待ちしております」


 藤乃は、依頼の品を持ちながらご機嫌よくして後を去った。


(とりあえず、今回の件も喜んで頂いて良かった……)


 んーっと、腕を頭の真上へ伸ばし、百合子と茂は藤乃の見送りを終えた。

 やっとひと仕事終えた彼女は、ホッと安堵がつく。

 「白鳥」の常連客とはいえ、番頭の奥方である藤乃に下手な対応や言動が出来ない相手だ。

 それぐらい、彼女に対してかなり気を使っていた。


「百合子さん、いつもご苦労さんだよ」

「いえ、こちらこそ、本当に助かりました。ありがとうございます、叔父様」


 茂は、彼女に労いの言葉を掛けた。

 同じ地域で商う商人同士の繋がりとはいえ、茂も藤乃の性格には気が参る。


「彼女は来る度に、あんな態度だからねぇ……。毎度のことながら、君も疲れるだろう」

「ふふ、大丈夫ですよ。いつものことなので、気にしないでくださいませ」

「でも、百合子さんは、お見合いのことには気にせずに。私としては、本当に好きになった人と結んでほしいからね。さっ、中に戻ろう」

「はい、お気遣い、ありがとうございます」


 茂にとって、藤乃からのお見合い話などをいつも聞いては、呆れながらうんざりしている。

 けれど、百合子はいつも聞き慣れているのか、そんな態度にも、スルースキルをいつの間にか身につけていた。


(お見合いの話みたいなお節介を除いたら、藤乃様って、普段は良いお客さんなんだけどねぇ)


 他に誤解のないことを伝えるとすれば、彼女に結婚願望が全くないわけではない。

 結婚が出来たら、もちろん子供も共にした家族を持つ夢を彼女の頭の中で描いている。

 ただ、今はそこまで考えているものではなく、出会いも何かの縁があればという、ふわっとした考えのまま。


(確かに、藤乃様のいうようにお見合いをしてすぐに結婚というのもアリだし、色んな形の幸せのあり方があるかもしれないけど……。まずは『恋愛』というものがどんなものかも、経験してみたい気持ちがあるし……。でも、今はそんなことより仕事の方が優先的だから、具体的にこんな人に会いたいとか、出会いって自体は考えてなかったなぁ……)


 恋をしてみたい淡い期待を持ちながら、百合子はこの時代の世界いまを、何気なく過ごしている。


「ん? 百合子さん? ほら、戻るよ?」

「あ、ごめんなさい。すぐ戻ります」


 茂の声に、考え事をしていた百合子はハッと振り返り、次の仕事へ取り掛かろうと、店の中へ戻る。


(うっかり、考え込んでしまったなぁ。まっ、そんなことを気にしても仕方ない。今のは忘れて、さぁ、次よ、次。えーと、次は……。あっ、昨日依頼していた方の用件チェックをしないと……)


 百合子は自分の仕事用の席へ座り、彼女が使用している依頼帳を開いて、終わった分のものに済印をつける。

 その後、次に行う、違う客からの依頼の内容を読んで、指示の通り仕事に勤しむ。

 彼女の仕事用で使う机と椅子は、焦茶色をした艶のある立派な木製のもの。

 書類や小物の整理用に、引き出しもついている。

 彼女の机の上には、綺麗な文字を書くための特別仕様にデスクマットタイプの下敷きも敷いてある。

 そして、仕事道具でなんと言っても欠かせないのが、毛筆で書く、太さなどそれぞれ種類のある筆、漆黒の墨と、シンプルだが上質の石で作られた硯セット。

時に、異国の文字を書くための、黒と白が混じった羽ペン、黒く少し細めの軸を施した万年筆、丸いガラス瓶に入った黒色のボトルインクはもちろんのこと、黒味が掛かった青のボトルインクも所持。

 客に提供する紙には、シルクのような書き心地の良い上質な西洋紙や和紙で出来た便箋と封筒も、数えきれないほど。

 これらの品は、高級な国産品から舶来品まで、茂から初めて仕事をする際に、贈られた品物だ。


(はぁ〜……、やっぱり、ここが一番、心地いい……)


 珍しい道具を含め、百合子は大好きなものに囲まれて、幸せに包まれている。

 仕事となると、どんなに周りに見られても緊張せず、彼女はひたすら自分の世界に入り込む。

 文字の呼吸に合わせ、あたかも、依頼主が書くような感覚に乗せ、手紙に息を吹き込んで、彼女の文字を書く方法だ。


(次は、お礼状の清書かぁ……。内容はこの通りだし、そうなると……和紙はこの辺が良さそうかな?)


 次の依頼の内容を読み、礼状を書く準備の為に、傍にある和紙が入った棚の中からいくつか選択し、席に戻ってチェックしている。

 すると、彼女の前に一人の男性が……。


「あの……、今ちょっと、よろしいですか?」

「はい! いらっしゃいませ。何でしょうか? 何かご用件がございましたら……」


(……)


 百合子は、すぐさま椅子から立ち上がり、男性客に来店の声を掛ける。

彼女に声を掛けた男性は、見た目が茶と白髪混じりの初老と言えそうな年齢だが、シュッとした体型の燕尾服姿で、顔には片眼鏡を掛けている。

 しかし、彼女からすると一見怪しそうにも見えはするが、どうやら異国からやって来た人だと、推測もしている。


「失礼ですが……、貴方が伏原百合子様で、ございましょうか?」

「え? あっ、はい……。そうですが……?」


 彼は、百合子の想像していたよりも、仁和にんな語を流暢に話している。

 それに加え、彼女の名前を知っていることを、不思議に感じた。


「あの、どうして、私の名前を……?」

「あぁ、これは失礼しました。いきなり、こちらへお訪ねして申し訳ない。私、ジェフ・マグナーと申します。ある屋敷の執事を務めておりまして。実は、ちょっとした事情により、主人からの命で貴方様を探すために、調べさせてもらいまして」

「私を、探す?」


(え? なんだろう? 私、何かしたかしら? でも、最近は忙しかったから、外に出ることは少ないし、特に、何もしてないはず? それにしても、あの方、異国の人だし……。ここの言葉を話せるなんてかなり珍しい人だわ……)


 首を傾げながら、ジェフのいう事情の中身に疑問を感じた百合子。

 初対面の彼だからこそ、彼女の記憶に、出会ったという形跡は全くない。

 少し戸惑う彼女だが、それ以前の話、彼に何を話すかということすら忘れ、彼の話し方の流暢さに、深く感心してしまった。


「えーと、あの? 大丈夫です? 百合子様?」

「……! あ、すみません、あまりにも上手に話されていたので、つい……」

「ふふっ、面白いお嬢さんですね。あっ、ちなみにですが、私、ブリストリアルという国の者でして。実は、瑞穂国へ私が若い頃に留学したことがあります。なので、仁和語の言葉は分かります」

「あぁ、そういうことなんですね」


 顔を赤くして恥ずかしがりながら、彼女は失礼を詫びる。

 ジェフは、緊張がほぐれ、思わず笑みが溢れていた。

 「ブリストリアル」という国の名を聞いて、百合子は、女学生時代の頃に教科書で習ったことを思い出した。

 そこは、大陸を超えた遥か西の方を指す島国で、瑞穂国と同じように王権制度を保ったまま、政を行っている。

 我に帰った百合子は、仕切り直してジェフに尋ねる。


「それで、私に御用があると仰ってましたね。ご用件というのはなんでしょうか?」

「あぁ、そうでしたね。えぇ、貴方に、直接お話がございまして」


 彼は、前置きをした後、咳払いで落ち着かせ、改めて、彼女に用件の内容を伝える。


「ん゛んっ……! 失礼。実はですね、先日……、貴方のお櫛を落とされたかと思うのですが、覚えてますか?」

「はい、そうですけど……。え? もしかして、私の櫛、見つかったんですか⁉︎」

「左様でございます」

「あれ? でも、どうして?」


 百合子は、櫛をなくしたことを知っていることに対しても、驚きを隠せなかった。

 というのも、そのことを店の関係者以外、誰にも話していないからだ。


「正確に言いますと、我が主人あるじが、帰り道の途中で、貴方の櫛が落とされたのを拾ったとのことで」

「そうなんですか! 良かったぁ……。もう見つからないと思って……」


 彼女の瞳から、涙が溢れそうになる。

 どんなに時が経っても、ずっと見つからないまま、心が折れそうになっていたからだ。

 もう見つからないんだと思い続ける内に、彼女の心から諦めの気持ちが出てきていた為、我慢していた感情が、どっと一気に溢れている。


「それなら、返して……」

「えぇ。ただ……」

「ただ……って? あのう、まさかとは思いますが……、まだ続きあるんですか? 今すぐ、返してくれるのではないんです?」


 拾ってくれたという事実を聞いて、ようやく百合子は安堵していたが、前置きを残すジェフの様子がどうもおかしい。

 彼は、何故か少し困った面な顔をして、経緯の続きを話し出す。


「さすが鋭い指摘ですね。はい。お察しの通り、本来なら一刻も早く持ち主の元へ、と思っているのであろうと、最初、私が主人の代わりに届けるとお伝えしたのですが」

「えぇ、そうですね。私としては、早く櫛を返していただけたらありがたい話なのですが……。どうかなさったのです?」

「あの、非常に言いづらいことでして……。主人の口から、貴方の大事な櫛は、私がではなくでお返ししたいのことでして」

「え……?」


 百合子の流れそうな涙が、感情ごと、全て一気に引っ込んでしまった。

 ジェフのいうように、問題は肝心な落としものを持っていないこと。

 本来なら、彼の手元から実物を返してくれるかと思いきや、そうでもなかった。

 その上、百合子は、彼が仕えている主人の正体も全くわからないことに気づく。


「いやいや、そう仰られても、私が、そうですか。というわけには、いきませんので!」

「当然、それは、私も充分に、承知の上なんです」

「あのっ! でしたら、貴方のご主人は、どんな方なのか……、教えてくださいます? 私から、そちらのお宅へ参りますので。もしくは、ジェフ様が、私を一緒に連れてっていただけたら……」

「申し訳ありませんが、生憎、私の口からは言えないですし、連れて行くことも出来かねます」


 ジェフは、主人の正体を明かしたくないのか、話すことすら拒む。

 それでも、百合子は櫛を返してもらう為には、何としてでも彼のことを知りたい気持ちで、精一杯になる。


「でも、このままじゃあ、私の櫛を返してもらえないのは困ります! 私の大事なものなので、せめて、その方のお名前だけでも」

「とりあえず……ウィル・エドワードという名だけ」


 かろうじて、ジェフの口から名前だけ、何とか教えてもらった。

しかし、彼の名前を聞いたからといって、根本である櫛の返却の解決には至っていない。

百合子は、必死に彼を説得するような迫り方の口調で質問を変える。


「その、ご主人であるウィル様が、今、お持ちなのですね! だったら、どうすれば、お返し願えますか? 私が、何かすれば会っていただけるのですか?」

「いやぁ、ようやく、聞いてくださいました!」

「へ?」

「うむ、そこでお願いなのですが……」


 ジェフは、待ってましたとばかり、目を輝かせている。

 ここから本題に入るかのよう、簡潔で尚且つ、単刀直入に百合子に依頼内容を告げる。

 それに対し、百合子も頷きながら解決策を真剣に聞こうと耳を傾けると……。


「私の方から、主人からのお頼みを頂きまして」

「えぇ、それで何と?」

「単刀直入に申し上げますと、貴方からの手紙を、一報、送って欲しいとのことなのです」

「………………」


 ジェフの台詞に無言の間が生まれてしまい、対応が何も出来ない百合子は、会話を止まってしまったのである。

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