(でも、私って、どこへ連れて行かれるんだろう?)
疑問に思うも、光に包まれていたままの彼女は、外の景色は見られず、いつの間にかそっと再び眠りに落ちる。
生前の世界では想像も出来ない空間だが、厳密には、その光は小さいもの。
『ふふ、其方には、想像も出来ないだろうが、ここの世界なら相応しいかもしれないな。なんせ、キミの前世に縁のある人物が、キミとやり直したいと言っていたしなぁ』
先程、彼女を導いた何者かが巡り合わせた時の出来事を浮かぶシーンを妄想しながら、クスクスと笑い、そう呟く。
それこそ、神のみぞ知る世界へと……。
◇ ◆ ◇
光に包まれた彼女は、生前の時代とは、全く違った真逆の時を渡り、とある時代に辿り着く。
彼女は、ある都市の代筆屋を経営する家の養女として、生まれ変わった。
あの時代とは打って変わって、肌の色白さと、艶のある漆黒の髪をした綺麗な女の子。
そして、人見知りする為、少し大人しめであまり笑顔が見せない子供ながらだが、人よりも透明感のある綺麗さでパッチリした瞳。
可愛さがありつつも、子供ながらの聡明さのある佇まい。
昔ながらの和装の着物、モダンな洋装のドレスも、共に似合う。
まさに「可憐」という言葉が、彼女にピッタリだ。
「……」
「ふふ、緊張しているのかな」
「おやおや、可愛いらしい子だねぇ。けど、まだこの歳なら、誰でも人見知りもするわよ」
「あぁ、そうだね。百合子ちゃん、今日から、私達と一緒に住むんだよ。よろしく」
茶色の地味な着物を着ていた幼き子供は、ある親族の関係者に引き連れられ、着せ替えられる着物人形を持ちながら、じーっと彼らを見つめている。
この日は、三歳になった彼女を引き取りに親戚夫婦がやってきた。
親族の事情によって、彼女を養子に出さざるを得なかったからだ。
恥ずかしがっている彼女の姿を見て、安心できるように、しゃがみながら彼女に寄り添う。
養父は、彼女の持っている中身の芯が賢そうだと思えたのか、何かの素質があると感じた。
独り立ちしてどこでも生きて行けるよう、彼らは彼女に一通りの教養を身につける。
もちろん、彼女のやりたいことを優先的に聞き、一番、才能があったのが書道だった。
「あぁ、こらこら。百合子ちゃんったら。今日も、おじさんのお仕事、邪魔しちゃあ、いけないよ」
「えー! おじちゃん、私も書いてみたいの! お願い!」
「うーん、困ったものだねぇ」
(もしかしたら、この子に書かせたら、才能が芽生えるのかもしれない……。だったら、知り合いの書道の先生のところへ連れて行ってあげよう)
「よし、決めた! 百合子ちゃん、今から、おじさんと一緒にいい所連れてってあげる」
養父の閃きで彼女を思いっきり、書道教室へ通わせることにした。
やはり、養女として出迎えたその側ぐらいから、代筆屋の職人の所作を間近で見て、興味が湧いていた影響もあったのだろう。
「おぉ〜、君が、百合子ちゃんかぁ〜」
「おじさん、だあれ?」
「百合子ちゃん、今日から私を『先生』と呼ぶんだ! 君に、文字というものを教える人だよ」
この日から、彼女は書道教室に毎日通い続けることになった。
代筆屋で勤めたいと本格的に思うようになったのは、初等部に通い出した頃。
それ以前から通っていた書道教室の師範代も唸るぐらい、他の生徒とはレベルが桁違いだ。
子供だった彼女が成長するにつれて、著しく、達筆と見込まれるほど、発揮している。
段位も上がるどころか、中等部に値する女学生の在籍した頃には、いつの間にか、もう最高位に達してしまうぐらいのレベルに。
同じく習っている周りの生徒から、尊敬や憧れの眼差しで見られていた。
「さすが、代筆屋の娘さんだ。立派になられて」
彼女自身も、その才能から彼女を長年教えてきた師匠からの師範代の試験を経て、最年少で獲得するようになった。
同時に、彼女は今までの幼さから垢抜け、十五になれば、より魅力さが増し、彼女らしい可憐さを残したままの大人の女性として成長していく。
「よし、お化粧のノリもいい感じ。今日も、仕事を頑張ろう」
学業や書道の成績も優秀に納め、女学校を卒業した。
同時に、養父母が経営している代筆屋の看板娘として、家業を手伝うことになった。
鼻歌混じりに身支度をし、彼女が大事にしている櫛型かんざしなどを身につけ、今日もお給仕に勤める。
家とお店の距離は少し離れた場所にあるが、周りは昔から続いている老舗や、最近、新しく西洋の建築も増え始め、建ち並んでいる。
お店の評価は、特に彼女の字の達筆さに、客からの評判は上々だ。
一時期は、注文が殺到することもある。
それでも、仕事に対しては真摯に向け合いながらこなしていく。
しばらく経てから十八の歳を迎える頃、暫しの平穏な日々を過ごすだが……。
「あっ……、ごめんなさい!」
「……!」
ある日の買い物からの帰りのことだ。
人混みの多い中で急いでいた彼女は、誰かとぶつかった拍子に櫛を落としてしまう。
店に帰った頃には他の従業員に声を掛けられ、櫛を失ってしまったことに気づいた彼女。
困惑しながら、この日に通った道を含め、くまなく探すも見つからない。
「え、嘘! この辺りかと思ったんだけど……、どこにもない!」
彼女は、今にも悔しく泣きそうな顔をして俯いている。
櫛が見つからないまま、仕方なく、お店に帰ることにした。
仕事が終わり、家に帰ってからもずっと泣き続けていた。
「どうしよう……! 大事なものなのに……」
「仕方ないよ。それに今日はもう遅いから、諦めるしか……」
「そんな……嫌だよぉ……」
涙を流す我慢が堪えることが出来ず、百合子は泣いてしまった。
彼女の事情を知っている養母も、慰めに彼女の方へ寄り添い、背中をさすった。
諦めきれない気持ちが溢れるも、どこにも見つからないことに、彼女はショックを受ける。
だが、その大切な櫛を落とした日が、彼女の運命を変わる瞬間でもあった。
まるで、お伽話のような展開を待ち受けるかのように……。
--……ッと……!
(あ、しまった! どっか行っちゃった。遅かったかぁ……。すぐ渡して帰ろう思ったのに……)
街並みの様子を見回った帰り道の途中、彼女とぶつかってしまった、ある紳士服姿の男性の姿。
その場で、地面に落ちていた彼女の櫛を拾う。
ほんの僅かだけ、お互いの瞳をあったような気がして、 何かが、身体に電気を走らせるような感触。
彼は、すぐさま声を掛けようとしたものの、手を伸ばせなかったせいで間に合わず、そのまま立ち尽くしていた。
(はぁ、やっちゃったな……。しかも……、コレ、高級そうなものだったら、彼女が困るだろうな……。さて、どうやって返そうものか……?)
頭を掻きながら困ってしまった彼は、櫛を見つめている。
漆から出る艶と鮮やかな色の木目、彫られていた百合の柄の櫛。
ひとまず彼女の櫛を拾ってしまった以上、一度、持ち帰る他はない。
(帰ったら、一旦、相談を持ち込むとするか……)
彼には、歳の離れた信頼のある執事を雇っている。
執事は、女性に対する扱い方もきっと慣れていると判断したからだ。
その執事に、代理で持って行ってもらう手段もあるはずなのに、なぜか、彼は否定する心を持っている。
(いや、俺自身の手で返しに行きたい……。よく分からないけど、一度でも良い。彼女と会って話してみたい)
彼は、なぜか執事が代理で渡すのには、惜しい気がした。
どこか、温かみのある雰囲気を持つ彼女に対し、興味が湧き、自らの手で返してあげたい気持ちが芽生えてきつつ……。
(なんとなくだが、彼女とぶつかった時、ふわっとした優しさというか……。なんだろう、気のせいと思われても仕方ないが、なんとも言えない不思議な感じだったな……)
--可憐で聡明に生まれ変わった代筆屋の娘と、彼女の大事な櫛を拾った、シャイな異国の男性が出会う、その日まで……。