友梨は、智樹との交際が始まった。
彼から、交際の約束として、結婚に至るまで、職場の同僚には、内緒にするということ。
それまで、ずっと内密に付き合っているため、誰も、二人の交際のことは、当然知らない。
仕事場では、普段と変わりなく過ごし、休日のみ、智樹が、友梨の家に転がり込み、連休の時は、仕事場の範囲外で、外出デートをして過ごしている。
交際から半同棲を経て、約六年ぐらいの期間、こうした生活を繰り返す日々。
しかし、彼女の周りにいた学生時代の友人や職場で、結婚の報告が次々と舞い込んでいる。
中でも、今度は友梨の番だね!と、期待する人もいた。
(これだけ長く付き合っていたら、いつか、彼からプロポーズをしてくれるはず。そう、だよね?)
彼女は、友人達に「そんなことないよ」と否定しつつも、心の中で悶々しながら、彼からの婚約を、待ち焦がれている。
智樹の横で、時折、友人の結婚話をするも、彼を垣間見ては、興味がないのかな……?と、少し落ち込む時も。
けれど、彼に焦らせないようにも、友梨は、なるべく気丈に待っていた。
--そして、遂に、婚約破棄になる半年前の夜。
「友梨……、俺と、結婚しよう!」
都会の灯りと海の夜景を背景にして、ようやく智樹からプロポーズ。
シンプルな言葉で婚約指輪はなかったものの、友梨は「はい」と返事し、彼からの赤い薔薇の花束を受け取った。
プロポーズを受けた後は、二人で挙げる結婚式に向けて、式場決めなど準備を進めようとしている。
お互いの両親の挨拶を簡単に済ませた中、友梨の両親には特に涙して「幸せになるんだよ」と。祝福していた。
だが、最近の彼は仕事の残業に忙しかったのか、連絡や会うことが少なくなる一方だった。
休日も、結婚特集の雑誌を見ながら式場を話し合った時も、彼女のドレス選びの時も、智樹はどこか上の空で見ていた。
式場スタッフの人や友梨に聞かれても、彼は「友梨が決めることだから、気にせず、好きにすればいいよ」と、彼女に託してほぼ任せっきりになる。
(普通は、結婚式のこともだけど、今後の生活を、一緒に決めるんじゃないの?)
友梨は、そんな彼の態度に、少しづつ募り始め、強い不安や不信感を持ち始めてしまう。
しかし、仕事場では、彼の浮ついた事を、一つも耳にしていない。
集中するのが難しかったぐらい気になって仕方がない彼女だが、気をしっかり持って、自分のやるべき仕事に専念してやりこなす他はなかった。
--そして、仕事帰りの今日……。
「あっ……!」
「……え?」
「ゆっ、友梨……」
「……智樹さ……ん、どうして……?」
「……あぁーあ、やってしまったな」
「智樹? どうかしたの?」
友梨は、呆然としながら、彼を呼び掛ける。
とうとう、彼女の身に起きてほしくなかったことが、遂に起きてしまった。
従業員の出入り口から出た後、最寄駅付近を歩いたところに智樹が違う女性と腕を組んで、一緒に帰っているところを目撃してしまったからだ。
当然、彼女に見つかった智樹は、気まずそうな顔をして、友梨からの目線から逸らし、ボソッと失敗の言葉を呟く。
そして、彼は浮気相手にボソッと「アイツだよ、婚約してた奴」と嫌な顔をして、簡潔に彼女のことを説明をした。
浮気相手の女性の正体は、同じ職場で彼とは同期にあたり、フロア違いのスタッフだが、性格がサバサバしていて少し棘がある。
が、グラマラスな美人の容姿と他所には良い顔をするため、外部の男性にはファンが出来るほどの女王様気質。
彼女に逆らう人は、ほとんどいないと言っても過言ではない。
彼の浮気相手とは仕事の依頼で数回だけ会ったことあるが、友梨にとって、正真正銘の正反対なタイプのため、面と向かって話すのは苦手な人の部類。
「もしかして……? って、えぇ……? 智樹の婚約者って、こんな人と付き合ってたの?」
「……っ」
「智樹にしては、意外な趣味だったけど、確かに、あなたの言う通り、本当に地味な人ねぇ」
「あ、あぁ……、まぁ……」
浮気相手の女性は、上から目線で友梨をじっと見定め、案の定、うわぁ……とした顔で、噂の通りに、彼女の棘のある言葉が出ている。
その言葉にキツさに、友梨は、抵抗出来ず怯んでしまう。
友梨の存在や打たれ弱い姿に鬱陶しさを感じたのか、智樹は、浮気相手に歯切れのない相槌を打ちながら、そっぽ向く。
「ねぇ……智……」
「悪りぃが、お前との結婚の約束、なかったことにする!」
「へ……? 今なんて……」
友梨が智樹に話しかけようとした途端、急に、智樹の態度が開き直る。
彼女の会話を阻止する為、わざと遮るかのように言葉を被せ、婚約を取りやめることを彼は、ハッキリと告げた。
その言葉を聞いて、彼女は真っ白になり、状況が読めなくなって、更に身体を震わせている。
「さっき言った通りだから。もう、別れよう」
「そっ、そんなっ! どうしてなの? 今までそんなこと……」
彼は、男に二言はないと言った態度で再度告げる。
もちろん、納得が出来ない友梨はショックを受けつつも、彼の元へ駆けようとしながら、結婚破棄に対して反論を交わす。
「ねぇ、なんで……? なんで、そんなことを……」
「あら、ごめんなさいねぇ~。彼、あなたのことに対してうんざりしてたし、あなたとは遊びなのよ、
「うっ、嘘! だって、彼女いなかったはず……」
「寧ろ、私の方が本命ってか、元々、私の方が、あなたより智樹との付き合い長いんだけどね!」
「付き合いがって……? え? どういう?」
「第一、あなたと智樹となんて、釣り合わないじゃない。地味女子のクセに、
横から浮気相手が彼を庇うように友梨を払い除け、クスクスと勝ち誇ったかのように振る舞いながら、彼の言いたいことを代弁して連ねる。
事情を知らない友梨だが、実際は友梨と付き合う前から、彼らの関係は、度々付き合っては喧嘩離れしての繰り返しをしていたらしい。
たまたま、智樹が独り身になっている時のタイミングを測って友梨と付き合うも、結局、浮気相手の方から、またヨリを戻そうと。
今はそんな内情ではなく、友梨は彼女の代弁よりも、彼から直接、どう思っているのかを聞きたい一心で迫る。
だが、はぁーっと、ため息を一つ置いた智樹は面倒くさそうにこう答えた。
「智樹は……、貴方は、本当にそう思って」
「あぁ、そうだよ!」
「……!」
「ホント、お前は鈍感だよなぁ……」
「クスッ、地味子ちゃんにそんな言い方はキツいから、やめてあげなよ」
「いいんだよ。それぐらい言わないと、アイツ、全く気づかねぇから」
友梨の心の表面から、ズキッと痛みが喰らう智樹の心のない言葉。
しかし、浮気相手も彼女を揶揄うように嘲笑しながら、わざと彼に止めを入る。
それでも、彼は周りに構いなく、友梨にありったけの罵声の言葉を浴びる。
「お前と付き合っても、地味すぎて面白くねぇし。婚約する前から、お前の気持ちが重すぎるんだよ! 結婚のことも
「--……!」
友梨は、いつも聞いていた彼の声とは正反対に、冷徹で非情な台詞を聞いて、心の奥果てまでナイフが突き刺さるかのように、ダメージを受ける。
けれど、智樹の不満は、彼女にとって思い当たることが多く、何も言い返すことが出来ない。
「なんだ? アレ」
「うわぁ……、コレって、マジでドラマみたいな修羅場ってヤツ?」
「えぇ、ヤバくない?」
「それよりも、あの二人って……」
いつの間にか、周りは、二対一の修羅場を興味津々に見にきた野次馬がチラホラと集まり始めている。
中には、同じ社員の人にまで、見られている可能性も大いにある。
けれど、肝心の当事者達は周りの視界に入っていないどころか、特に、智樹たち二人は全く気にしていない。
いかにも、自分たちが間違ってないと、知らしめすような開き直り方もいいところだった。
「ねぇ、と~も~きぃ~ってばぁ、そろそろ辞めにしな~い? この子のこと、いつまでも相手にしないでよぉ~!」
「ちょっと、待って……」
「何? いい加減にして!」
「だって、まだ、話は……」
「もう、しつこいって言ってんの! ほら、智樹ぃ! この人がいじめてくるぅ~。こんな人なんて放っておいて、私だけ見て。てか、こっから早く違うとこに行きましょ」
浮気相手は、邪魔者扱いの友梨よりも智樹とのデートを早く楽しみたいからと、甘ったるい声で彼に誘惑しつつ、彼の腕を胸に当てながら催促をする。
ただ、友梨を見る時の彼女の目は婚約者の座を奪い、勝ち誇ったかのような目つきで見下ろす。
「あぁ、そうだな。ごめんね。アイツに言いたいこと言えたし、辛気臭い奴とは、もう構いたくもないわ。さっさと向こう行こっか!」
「うん、行こう行こう!」
智樹は、浮気相手に合わせ、一緒に甘々なところを友梨にわざと見せつけている。
今までになかった、彼の非情な感情と仕打ち。
あの二人の世界に、友梨は歯向かうことが出来ないどころか、既に出来上がってしまっている以上、既に意見を言えるような余地もなかった。
智樹は、最後に罵倒するような口調で、友梨に別れ言葉を投げやりに送る。
「おい! 明日から仕事以外、もう二度と俺に会ったり、話しかけんなよ! じゃあな!」
「え、そんな……」
「ハイハイ、お疲れさま。じゃあねぇ~、地味なお邪魔虫さん!」
浮気相手も同様に、ニンマリと彼女を見下し、馬鹿にしながら、その場から離れて去っていった。
そんな光景に、友梨はこれ以上の太刀打ちも出来ない上に、ただただ呆然とするのみ。
「えぇ、アレは、ヤバいよね……」
「でもさぁ……、あの美人じゃあ、到底、太刀打ち出来ないかも」
「確かに……」
「彼に弄ばれたのは、ちょっと可哀想だけど、あの人ではなぁ……」
「わかる、無理があるよね」
ここで立ち止まっても、どんどん増え始めた野次馬からの受ける視線や、会話も聞いていた人々にヒソヒソと話す言葉で、彼女に虚しさを浴びせられるだけ。
周りの卑劣な意見や痛い視線を向けられて、恥ずかしくなり、今にも泣きそうな顔を赤くして我に帰った友梨は思わず、この場から消え去るように、逃げるしかなかった。