--いつか、私も純粋な恋をしてみたい……。
憧れの王子様との恋に落ち、恋文を送り合いながら、いつしか、お互いがそっと寄り添って歩み、恋人として結ばれる。
そして、家族と共に、大好きに囲まれて幸せに暮らしていくハッピーエンドな「人生」という名のストーリー。
そんな物語を、小さい頃から図書館や本屋で見つけては、毎日時間を合間塗って読み、大人になっても、純粋な甘い恋にうっとりする彼女。
今日もまた、自分の部屋の端にあるベッドの上で、寝転がって文庫本サイズの小説を読んでいた。
恋の胸がキュンとくる小説を読み終わり、閉じた本を抱きしめて、心の中を満たしながら、自分が望む、理想とした恋心の妄想を描いている。
(はぁ〜……、今回のお話もいいなぁ……。落ち込んでいるところに、ギュッと不意に抱きしめられたら……なんて、もう〜! ヒロインみたいに、彼氏に抱きしめられたい! そんな人が、私のところにも現れたら……、どんな風な幸せな世界が待っているのかなぁ。私にも訪れてほしいなぁ……)
これは、幼少期から、キラキラと輝くシンデレラストーリーに憧れていた、ある女性の夢見物語。
◆ ◇ ◆
ザァァァァァーーー……。
--六月初旬、ゲリラ豪雨並みに降り頻る真夜中。
風や雷も時折、嵐の如く、強く吹き荒ぶ。
その最中に、ポタ……ポタ……と、大きな雫を垂らした髪から音を鳴らす。
黒色のロング髪、丸メガネを掛け、ライトグレーのスーツ姿をした華奢な女性が一人。
傘も差さず、スーツの肩には雨水で酷く濡らし、虚な顔をしながら、彼女の帰り道とは全く違う方向へ彷徨うかのように歩いている。
(ハァ……)
か細いため息ばかりを吐きつつ、彼女の目は、死んでいた。
いつの間にか、知らない道をふらふらと、延々、歩き続けては止まるの繰り返しだ。
--彼女の名前は『友梨』。
三十の誕生日を目前にした二十九歳、独身女性。
職業は、大卒から勤めている、大都市内の某百貨店内、筆耕サービスを担当。
仕事柄、清潔感を見せるため、黒髪で緩く結った三つ編みのスーツ姿で務めている。
筆耕サービスとは、文字にあるように筆で文字を手書く仕事のこと。
結婚式など冠婚葬祭に使う金封や賞状を直筆で書くため、文字のバランスや美しさを求められる。
近年ではパソコンの普及に伴い、のし紙の表書きや名前を印刷で行うこともあるが、手書きで求める客も少なからず。
彼女は、字を書くことが大好きで、物心がついた幼少期から書道を習い始めていた。
中学・高校時代では書道部の部長を務め、段を取得し、数々のコンクールへ出品し、学生最高棒の賞を取っていくという輝かしい成績だ。
大学を経て社会人となった今でも、暇を見つけては、毛筆で練習を続けている。
特に、生業としているなら尚更、日々、修行を積む生活。
タイミングさえ合えば、書道の先生として指導が出来る、師範代も目指そうとも考えていた。
(……もう、やだ。なんでこんな目に遭うなんて、酷いよ……)
雨の中、友梨がそんな姿になった理由。
それは、少し遡ること、彼女の婚約者による、婚約破棄の事件が起こったことから始まる。
友梨の婚約者だった彼の名前は『智樹』。
年齢は三歳年上の三十二歳、彼女と同じ百貨店に勤め、雑貨フロア階の営業部に所属。
業績は優秀で、現在は、百貨店内のフロアチーフの役職に就いている。
彼は、各店舗の取引先との営業トークや、客への対応を上手く捌き、将来、フロアマネージャーになれるぐらいの有望な人材の一人。
見た目は、少しチャラそうな顔をしているが、人当たりがよく、優しそうな雰囲気を持ち合わせている。
会社の噂では、彼のファンクラブが出来るほどと聞く。
毎年のバレンタインの日は、デスクの上にチョコレートなど、プレゼントが山積みにあるぐらい、他のフロアで働いている女性にも人気者だ。
「すみません。コレ……、お願いできますか?」
「は、はい……!」
友梨が、彼との出会った経緯は、彼女が、今の店舗に就職して一年経った時のこと。
彼が、客から承った一件の金封の筆耕サービスを依頼したのが、きっかけだった。
(あっ、すごいカッコいい人……)
彼女は、智樹の優しそうな雰囲気と笑顔に、キュンとドストライクな心が突き刺さる。
「お、お疲れ様です」
「あぁ、お疲れさん。今回も、コレをお願いね。あっ、そうそう! この前頼んでいたお客さんから、字が上手いねと褒められたよ。キミのお陰だね」
「そうなんですか、ありがとうございます!」
智樹が、再び客から金封の表書きの筆耕を依頼しに、前回の評判を報告も兼ねて、友梨の元へ訪ねて来た。
彼からの褒め言葉に、友梨も嬉しくなって、仕事に精が出るようになる。
それから二人は、偶然にも、お昼休憩などの時間や仕事の合間で話すことなど、タイミングが徐々に増えていく。
智樹との会話に居心地が良かったのか、友梨は、いつしか、彼のことに対して、更に惹かれていく。
しかし、智樹と交際をしたいとは思うも、彼は人気ぶりの中、告白をするには相当な勇気と覚悟が必要だった。
(フラれてしまう答えしかないけど、その方が、諦めがつくかもしれない)
それでも、なんとかして、自分の想いを伝えたい友梨は、一大決心の覚悟で、告白することに決める。
直接、彼に恋の告白を口頭にして伝えるのが苦手な彼女は、代わりに文章で伝えようと、可愛らしい花柄のレターに、彼への想いを書いた。
--次の日のお昼休み時。
「ゴメン、ちょっとマネージャーに呼ばれたから、仕事に戻るわ」
「あっ、あの!」
「え?」
「コレ……!」
どうしても、智樹に手紙を渡したい友梨は、急いでいる彼を無理矢理、引き止めてしまった。
けれど、彼女にとってチャンスは一度切りと感じて、このタイミングを選んだのだろう。
「……どしたの?」
「お手紙を書いたので、読んでいただけると……」
「俺に? ありがとう。じゃあ、また」
友梨は、恥ずかしがりながらも、智樹に渡すことに成功した。
智樹も照れつつ、駆け足で仕事場に戻る。
--しばらくして、彼に手紙を渡した週の金曜日、営業後の夜。
「手紙、ありがとう。ちゃんと読ませてもらったよ」
「いえ、こちらこそ……。この前は、無理矢理引き止めてしまって……」
「大丈夫だよ。それに……」
「……?」
「せっかく、こうしていい関係なれそうだし、この際、俺たち……、付き合おっか」
「……はい! よ、よろしくお願いします」
智樹とのレストランで食事を共にした後、友梨は、彼の返事を受け職場内恋愛として交際へ発展することに。
友梨は、告白に成功したことに歓喜し、嬉し涙を流した。
智樹も、少し照れ顔をしながら、彼女の嬉し泣きに微笑む。