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第30話 友人との食事会-1

 夏の日は暮れ、しかしなお日没には時間がある。現代で言うところのヨーロッパなど比較的緯度の高い地域は、夏場は夜の十時ごろになっても日が残っているが、どうやらノクタニア王国も同じくらいの緯度にあるらしい。

 らしい、というのは、いかんせんこの『ノクタニアの乙女』ゲーム中世界には正確な世界地図が存在せず、いくらエリカの前世の知識が正しくとも同じく適用されるとは限らないからだ。もしかすると、この世界は惑星ではなく平面なテーブルに載っているかもしれないし、太陽は恒星ではなく月も衛星ではないかもしれない。

 それはともかく、エリカは市中の食堂へ入るのは何気に初めてだった。ドアマンが出迎える格式のあるレストランならまだしも、一般市民が夕食や軽い飲酒のためにやってくるようなカジュアルなところに貴族令嬢が出入りしてはならない、とサティルカ男爵家では教育されてきたためだ。最初そう躾けられたときは「すわ貴族と平民の格差や差別か」とエリカは憤慨しかけたが、そうではない。貴族には貴族の、平民には平民の生活があるのだから、貴族が一方的に平民の領域を犯してはならない、それがマナーである——という話だったため、エリカも素直に従っていたのだ。

 石造りと煉瓦造りが混じった、可愛らしい木枠のガラス窓のある小さな食堂は、店の前にある小さな広場にも五つほどテーブルを出し、そこではすでに出来立ての料理とワインが並んで老若男女が楽しげに会食している。店の回転率など欠片も考えない彼らは、真夜中になるまで同じ席に居座って飲み食いするのもいつものことだ。

(客の回転率なんて無粋なこと考え出したのって現代人よね……食事は楽しくゆっくりしたほうがいいに決まってるわ、うん)

 エリカは独り納得しつつ、空いているテーブルを確保しに向かったキリルとアメリーについていく。アメリーもエリカと同じく貴族令嬢だが、どうやら食堂には何度も足を運んでいるらしく、迷いなく食堂奥のテーブルを選んだ。その行動から、常連であることは間違いない。何せ、フライパンを振るう中年の店主夫婦から笑顔で出迎えられたのだから、きっとそうだろう。

「今日は大勢だね、アメリー」

「ええ、少し賑わせてしまうけれどごめんなさい」

「かまやしないよ、うちではいつものことだ」

 それがエリカにとっては、意外だった。

 アメリーが食堂の店主夫婦とさりげなくもきちんと場に合った挨拶をしている——名家アルワイン侯爵家のご令嬢が平民相手に、だ。相手がアメリーの身分を知ってか知らずか、それでもダウナー気質の引きこもりがちなお嬢様が気さくに平民と会話するなど、本来ならば天地がひっくり返ってもありえないだろう光景だった。

(アメリーに変化が……? それとも、料理が下手すぎて背に腹を変えられなくなったから、食堂を行きつけにした結果? だとしても、とんでもないだわ、これは!)

 無論、アメリー自身はその変化が起こりえないこと——少なくとも乙女ゲーム『ノクタニアの乙女』内では——だと知らない。エリカが関わった何らかのイベントが連鎖反応して玉突き自己的にアメリーにも変化を与えたのかもしれなかったし、元々アメリーは立場をなくせば気さくな性格なのかもしれなかった。

 片や、キリルは肉の焼ける匂いが充満したカウンター前で、今にもよだれを垂らさんばかりのご満悦な表情をしている。美形なのにね、残念だね、とエリカは見なかったことにした。

 四人がけの丸テーブルに、三人は座る。アメリーは焦げたエプロンを家の扉前に置いてきた、比較的地味な服装で髪もざっと一つにまとめてある。それでも人目を惹く艶美な顔立ちは目立ちすぎるくらいで、おそらくこの周辺ではすでに噂になっていることだろう。

 もっとも、今はその隣に美形の騎士がいる。そして、モブ顔のエリカだ。何という格差だろうか、キリルだって原作ではいてもモブなのに、そんな嘆きは心の中にしまっておいた。

「ここの料理は美味しいのよ。マリステラ……うちに来て家事を手伝ってくれるお婆さんが食事を用意できないときは、ここでいつも食べているの」

「そうなんだ。今日は……えーと、その日だったの?」

「……そうよ」

 エリカの迂闊な一言がアメリーの地雷を踏んでしまったらしく、沈黙が流れる。

 どう弁解すべきか、嫌味で言ったわけではないと謝るべきかと目が泳ぎはじめたエリカだったが、アメリーは大人だった。ため息を吐き、白状しはじめたのである。

「意地を張っても仕方ないわ。あなたたちが来てくれていたおかげで、私は小火の後始末、というか外聞については何とかできた。それに、以前嫌なことをされたけれど、別に恨みがあるわけでもなし、ただ何にも話、というか事情を聞いていなかったと思っていたから、ちょうどよかったわ」

 つまり、アメリーは三つ星ホテル『ノクテュルヌ』での件について、納得のいく説明をしろとのおおせだった。エルノルドとベルナデッタの会食現場で修羅場となった挙句、何の説明もなくキスを強いられ血液を取られたという、けっこうな被害者ぶりなのだから、致し方ない。

(……冷静に考えたら、それだけのことをされて私たちを恨んでいないってすごいわ。アメリー、育ちがいいせいかしら)

 何にせよ、仲良くできるのならそれに越したことはない。

 ただ、いきなり『のろい』対策だの解呪薬リカースだの言って専門外のアメリーに理解しろと押し付けるのは憚られる。もう少し、穏やかで暖かい雰囲気の中で話を進めたい——そう思ったエリカは、自分が前世で決して社交的ではなく、今もまったく変わらないことをすっかり忘れ、再度迂闊にも踏み込みすぎな話を切り出した。

「アメリー、エルノルドとの関係は進んだの?」

「い、いきなりデリカシーのない質問ね」

「え? だって、私は彼との婚約を破棄する予定だから、エルノルドをもらってくれるととても助かるもの」

「えっ!?」

「そのためなら協力するし、それがなくたって色々あなたのことが心配だから、以前のことの償いも兼ねて」

 驚くアメリーは両手指で口を押さえており、デリカシーのないエリカの言葉を遮ったのはキリルが椅子をがたつかせて大仰にリアクションをした騒音と叫びだった。

「そう、なのか!?」

「うん、そう」

「聞いていないぞ!?」

「まだ言っていないもの」

「くっ、それはそうだが!」

「何でキリルがムキになるのよ」

 エリカは首を傾げる。なぜキリルが自分の婚約の破棄について、そこまで反応するのか、と。

 一方、アメリーは何かを察したらしく、軽く咳払いをして弁明しようとした。

「彼とは、そういう関係じゃないわ。エルノルドは私の力や才能を必要としてくれたから、一緒に仕事をしているだけよ。変な勘ぐりはやめてちょうだい」

「でもキスしたじゃない?」

「あれは、だから、あなたたちが! というか、彼には好きな人がいるでしょう! 私ではなく、どこかの誰か!」

(ベルナデッタですね、分かります)

 恋愛には疎いエリカだが、あえて口には出さない。エルノルドの恋愛感情は一方通行でしかないし、ベルナデッタは現状誰とも恋人関係にはないのだから、ここで無闇に火種を撒き散らすことはせず、粛々とエルノルドとアメリーをくっつける当初の方向を維持するまでだ。

 それに、アメリーは今、確実にエルノルドを意識している。たとえ片道通行だったとしても、両思いになってほしいとエリカは切に願っているのだ。実際にアメリーと会って、話して、可愛らしいという言葉がこれほど似合う照れ具合を見せつけられて、エリカはますますその思いを強くしている。

(原作の『ノクタニアの乙女』じゃここまでアメリーの素顔は見えないし、ビジュアルは人気だったけど薄幸キャラだけに不遇ばかりクローズアップされて、二次創作でも当て馬役させられることが多かったのよね……ああ、幸せになってほしい……)

 そのためにはどうすればいいか。ひとまずエリカにできることは、アメリーと親しくなり、想定しうる悲劇的イベントの回避に全力を尽くすことだけである。

 そろそろ舌がよく回り、雰囲気も和やかになってきたところで、テーブルへ料理が運ばれてきた。牛のスペアリブステーキ、ラザニア、シーザーサラダとオニオンスープ、品数はそれだけだが、皿が大きい。当然、皿の上に盛られた料理もはみ出さんばかりの特盛りだ。スペアリブステーキなど一枚がエリカやアメリーの顔ほどもあるのに、五枚も載っている。幸い、ハーブたっぷりのシーザーサラダはカフェラテボウルサイズだが、それでも多い。

 キリルが目を輝かせ、骨を掴んでステーキを頬張り、アメリーが率先して料理を小皿に仕分け、エリカはやることがないので自分たちの進めている解呪薬リカース製造の一連の計画について話すことにした。

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