エリカは数日間、キリルを護衛とすることにした。キリルがいればひとまず昨日の人数に襲われても返り討ちにできるし、それ以上だとしてもエリカを逃すくらい造作ない実力を持っている。それに、キリルは二つ返事で承諾してくれたのだから、ありがたいことこの上ない。
そういうわけで、キリルはエリカの職場であるルカ=コスマ魔法薬局への行き帰りだけでなく、何なら勤務中もそばにいる。いるのだが、昼食後に薬局のカウンター横でうとうと船を漕ぎはじめ、ついには立ったまま眠っている。やってくる客は不思議そうに眺めながらも、キリルを起こさないよう無言のまま薬を受け取って帰っていく。
エリカもそれに倣ってキリルを放置していたら、ベルナデッタが客がはけたことを見計らって、いつもの勢いでカウンター前へやってきた。
「お姉様、朗報よ!」
その叫びは十分に大声だったが、キリルは起きなかった。キリルを認識したベルナデッタは慌てて口を塞ぎ、声をひそめて朗報とやらについて語りはじめる。
「昨日、トネルダ伯爵家のロイスルと会ったの」
「え? ロイスルと会った……?」
エリカがその名前で思いつく人物は、一人しかいない。『ノクタニアの乙女』原作中では悪役魔法使いであり、攻略可能キャラクターの一人であるロイスルだ。一応、エリカは確認のため、復唱する。
「ロイスルって、あのロイスル? 魔法使いの?」
信じられない、という思いよりも、なぜ突然そんなことを、という疑問が大きかった。現時点でベルナデッタがロイスルと仲良くする何かがあっただろうか、とエリカは首をひねる。
一方で、ベルナデッタはエリカがあまりいい反応を示さなかったと思ったのか、弁解しようとする。
「えっと、お姉様に相談しなかったのは、相手に存在を悟られたくなかったからなの。もし私とお姉様の関係を知っていたとしても、あくまでビジネスの場面では深く追及されないだろうし」
エリカとしては、ベルナデッタのその気遣いはありがたい。
「でも、何でそんな危ないことを? ベルが自分で動く必要があるほどの何かがあったの?」
エリカは、言い終わってからベルナデッタの表情が少々強張ったことに気付いて、すぐに頭を下げた。
「ごめん、偉そうにしてしまったわ」
何も、エリカとベルナデッタは一心同体ではない。今は同じ目的のために働いているとしても、同じ人間ではないし、ましてやゲームヒロイン=ゲームプレイヤーという関係ではないのだ。まるで、自分と同じ存在が、自分の意図しない行動を取ったことを非難しているような形になっている——その考えの歪さに、エリカは反省しきりだ。
悔いる思いが伝わったのか、ベルナデッタは胸を撫で下ろしていた。
「ううん、お姉様の心配はごもっともよ。私こそごめんなさい、役に立てるならといてもたってもいられなかったの」
それは意外にも、ベルナデッタが抱えていた悩みだ。
エリカから見れば、ベルナデッタは才能に恵まれたゲームヒロインで、美人で明るくて何でもできてしまうレディだ。実家は国内有数の資産を持つノルベルタ財閥、若くしてその経営にだって関わっている。
なのに、「役に立てるなら」などと考えて前のめりに行動するのは、いささかおかしくはないだろうか。そんなふうにエリカは考えたが——それは、ベルナデッタだって悩みを抱えている、という視点を完全に見逃していただけだ。
子どもっぽくいじいじとしつつも、その悩みを、ベルナデッタは白状する。
「だって、お姉様は
エリカとベルナデッタは、それぞれが強みを持っている。魔力を持ち魔法調剤師という不思議で人助けとなる職業のエリカと、商才も何もかも恵まれた資産家令嬢ベルナデッタ。有り体に言えば、ベルナデッタは自分にないものを求めて、エリカに憧れていた。
それはとっくに知っていたはずだった。お姉様と慕われて、ゲームの先を知るアドバンテージからいくつも助言して、ベルナデッタがエリカへ尊敬にも近い眼差しを送ってきていたのだから。
(そういえば……ベルナデッタは『ノクタニアの乙女』では資産家令嬢ではあっても平民で、魔力もなくて、貴族学校に入学したけど馬鹿にされてばかりだったから、ヒロインとして行動することで周囲を見返していくストーリーだったんだから、そのあたりコンプレックスだったとしてもおかしくないんだ。パッとしないモブだとしても、貴族で魔力もある
肝を冷やしたエリカは、目の前のしょんぼりしたベルナデッタとまだ分かり合えると安堵した。ほんの些細なすれ違いが、のちに修復不能な隔絶を引き起こすことだってある。
エリカはベルナデッタの頭を優しく撫でる。ベルナデッタは、まんざらでもない顔をしていた。
「もう、そんなことないのに。次からはちゃんと相談してちょうだい、心配するから」
ベルナデッタのパッチリとした目が少し潤んでいた。ベルナデッタの中ではとても大きな悩みだったかもしれないと思うと、今、エリカは『ノクタニアの乙女』をずっとプレイしていたのに
ひとしきり撫でてもらって満足したベルナデッタは、勢いを取り戻した。
「分かったわ! じゃあさっそく、ロイスルと会って話した成果を報告よ!」
そして、やっぱりとんでもないことを口にする。
「
☆
魔法を商品化する。ベルナデッタの説明を聞いてなお、半信半疑のエリカは、こうまとめた。
「つまり、魔法そのものをパッケージングしたアイテムを作って、任意の時間と場所で魔法を発生させるものを作る、ってこと……?」
ベルナデッタは大きく頷く。
それは魔法道具とどう違うのか、という当然の疑問にも、自信満々で答えた。
「今までは魔法道具がそれだったけれど、あくまで擬似的に魔法に似た現象を発生させていただけでしょう? たとえば『
魔法道具は魔法に似た現象を発生させ、中には魔法そのものを引き起こすこともできる。ただし、後者はごく単純に『マッチの火を熾す程度の』再現力しかない。もちろんそれだけの技術でも驚異的ではあるが、まったく実用的ではないため、魔法道具に求められるのはもっぱら前者の能力だ。
その能力にしたって、便利で革命的な部分もあれば、先を見据えれば限界となる部分もある。
「魔法道具ではできなかったこと……暴発の危険性から一定以上の魔力を込められないことや、どうしても
たとえば、三つ星ホテル『ノクテュルヌ』で実際に使用されている『
では、その先は? ——『
(『
それらは、エリカからすれば『ノクタニアの乙女』ゲーム内の設定であると同時に、
しかし、だからこそ、
「確かに、それはすごいことよ。魔法使いの協力を得ることがほぼ不可能ってことを除けば」
「そう、そこなの! 大丈夫、ちゃんと考えてあるわ!」
ベルナデッタは一つ咳払いをして、細く端正な指を一本ずつ折り、現状の問題を解決していく。
「まず、お姉様の『
「あぁ、ベルも気付いていたんだ、やっぱり」
そう言われて、ふふん、と胸を張るベルナデッタはまだまだ少女らしく可愛いらしい。
もしエリカが
ならば、どうする? ——その問題を解決できずにいたエリカだが、ベルナデッタが独自に考えていてくれたとは思いもしなかった。