目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第28話 朗報はやってくる-1

 エリカは数日間、キリルを護衛とすることにした。キリルがいればひとまず昨日の人数に襲われても返り討ちにできるし、それ以上だとしてもエリカを逃すくらい造作ない実力を持っている。それに、キリルは二つ返事で承諾してくれたのだから、ありがたいことこの上ない。

 そういうわけで、キリルはエリカの職場であるルカ=コスマ魔法薬局への行き帰りだけでなく、何なら勤務中もそばにいる。いるのだが、昼食後に薬局のカウンター横でうとうと船を漕ぎはじめ、ついには立ったまま眠っている。やってくる客は不思議そうに眺めながらも、キリルを起こさないよう無言のまま薬を受け取って帰っていく。

 エリカもそれに倣ってキリルを放置していたら、ベルナデッタが客がはけたことを見計らって、いつもの勢いでカウンター前へやってきた。

「お姉様、朗報よ!」

 その叫びは十分に大声だったが、キリルは起きなかった。キリルを認識したベルナデッタは慌てて口を塞ぎ、声をひそめて朗報とやらについて語りはじめる。

「昨日、トネルダ伯爵家のロイスルと会ったの」

「え? ロイスルと会った……?」

 エリカがその名前で思いつく人物は、一人しかいない。『ノクタニアの乙女』原作中では悪役魔法使いであり、攻略可能キャラクターの一人であるロイスルだ。一応、エリカは確認のため、復唱する。

「ロイスルって、あのロイスル? 魔法使いの?」

 信じられない、という思いよりも、なぜ突然そんなことを、という疑問が大きかった。現時点でベルナデッタがロイスルと仲良くする何かがあっただろうか、とエリカは首をひねる。

 一方で、ベルナデッタはエリカがあまりいい反応を示さなかったと思ったのか、弁解しようとする。

「えっと、お姉様に相談しなかったのは、相手に存在を悟られたくなかったからなの。もし私とお姉様の関係を知っていたとしても、あくまでビジネスの場面では深く追及されないだろうし」

 エリカとしては、ベルナデッタのその気遣いはありがたい。解呪薬リカースの開発を手がける手前、敵対するであろう関係の魔法使いのロイスルとはできるかぎり接触したくなかった。しかし、それでも疑問は残る。

「でも、何でそんな危ないことを? ベルが自分で動く必要があるほどの何かがあったの?」

 エリカは、言い終わってからベルナデッタの表情が少々強張ったことに気付いて、すぐに頭を下げた。

「ごめん、偉そうにしてしまったわ」

 何も、エリカとベルナデッタは一心同体ではない。今は同じ目的のために働いているとしても、同じ人間ではないし、ましてやゲームヒロイン=ゲームプレイヤーという関係ではないのだ。まるで、自分と同じ存在が、自分の意図しない行動を取ったことを非難しているような形になっている——その考えの歪さに、エリカは反省しきりだ。

 悔いる思いが伝わったのか、ベルナデッタは胸を撫で下ろしていた。

「ううん、お姉様の心配はごもっともよ。私こそごめんなさい、役に立てるならといてもたってもいられなかったの」

 それは意外にも、ベルナデッタが抱えていた悩みだ。

 エリカから見れば、ベルナデッタは才能に恵まれたゲームヒロインで、美人で明るくて何でもできてしまうレディだ。実家は国内有数の資産を持つノルベルタ財閥、若くしてその経営にだって関わっている。

 なのに、「役に立てるなら」などと考えて前のめりに行動するのは、いささかおかしくはないだろうか。そんなふうにエリカは考えたが——それは、ベルナデッタだって悩みを抱えている、という視点を完全に見逃していただけだ。

 子どもっぽくいじいじとしつつも、その悩みを、ベルナデッタは白状する。

「だって、お姉様は解呪薬リカース開発という素晴らしいことを成し遂げようとしているのに、私はただ手伝うだけ、それも簡単なことばかり。それが……どうしても、気が急いてしまった理由。私も何かしたいって、思ってしまったの」

 エリカとベルナデッタは、それぞれが強みを持っている。魔力を持ち魔法調剤師という不思議で人助けとなる職業のエリカと、商才も何もかも恵まれた資産家令嬢ベルナデッタ。有り体に言えば、ベルナデッタは自分にないものを求めて、エリカに憧れていた。

 それはとっくに知っていたはずだった。お姉様と慕われて、ゲームの先を知るアドバンテージからいくつも助言して、ベルナデッタがエリカへ尊敬にも近い眼差しを送ってきていたのだから。

(そういえば……ベルナデッタは『ノクタニアの乙女』では資産家令嬢ではあっても平民で、魔力もなくて、貴族学校に入学したけど馬鹿にされてばかりだったから、ヒロインとして行動することで周囲を見返していくストーリーだったんだから、そのあたりコンプレックスだったとしてもおかしくないんだ。パッとしないモブだとしても、貴族で魔力もあるエリカは、ベルナデッタにないものをピンポイントで持っていて……そっか、慌ただしすぎて気付かなかった。危なかった、このままだと見過ごしてたところだった!)

 肝を冷やしたエリカは、目の前のしょんぼりしたベルナデッタとまだ分かり合えると安堵した。ほんの些細なすれ違いが、のちに修復不能な隔絶を引き起こすことだってある。

 エリカはベルナデッタの頭を優しく撫でる。ベルナデッタは、まんざらでもない顔をしていた。

「もう、そんなことないのに。次からはちゃんと相談してちょうだい、心配するから」

 ベルナデッタのパッチリとした目が少し潤んでいた。ベルナデッタの中ではとても大きな悩みだったかもしれないと思うと、今、エリカは『ノクタニアの乙女』をずっとプレイしていたのにと反省しきりだ。

 ひとしきり撫でてもらって満足したベルナデッタは、勢いを取り戻した。

「分かったわ! じゃあさっそく、ロイスルと会って話した成果を報告よ!」

 そして、やっぱりとんでもないことを口にする。

!」









 魔法を商品化する。ベルナデッタの説明を聞いてなお、半信半疑のエリカは、こうまとめた。

「つまり、魔法そのものをパッケージングしたアイテムを作って、任意の時間と場所で魔法を発生させるものを作る、ってこと……?」

 ベルナデッタは大きく頷く。

 それは魔法道具とどう違うのか、という当然の疑問にも、自信満々で答えた。

「今までは魔法道具がそれだったけれど、あくまで擬似的に魔法に似た現象を発生させていただけでしょう? たとえば『複合型魔法装置マルチツール』にしたってどこまで効果が大きくてもその進化形に過ぎない。でも、魔法使いが『のろい』や大きな魔力の構造体として発生させた魔法そのものを瓶や箱に詰め込んでおく形なら、普通の人でも本物の魔法が使えることと同じになるわ」

 魔法道具は魔法に似た現象を発生させ、中には魔法そのものを引き起こすこともできる。ただし、後者はごく単純に『マッチの火を熾す程度の』再現力しかない。もちろんそれだけの技術でも驚異的ではあるが、まったく実用的ではないため、魔法道具に求められるのはもっぱら前者の能力だ。

 その能力にしたって、便利で革命的な部分もあれば、先を見据えれば限界となる部分もある。

「魔法道具ではできなかったこと……暴発の危険性から一定以上の魔力を込められないことや、どうしても複雑化コンプリケーションには限界がある問題を、一気に解決できる。あ、だからと言って魔法道具や『複合型魔法装置マルチツール』が廃れるわけではないわ! 用途や方向性が違うもの!」

 たとえば、三つ星ホテル『ノクテュルヌ』で実際に使用されている『複合型魔法装置マルチツール』の技術では、館内を迷宮化させる転移機能や防犯機能を備えているが、それ自体は実はこの世界では大昔にあった技術の模倣なのだ。よくある迷宮ダンジョン、あれをそっくりそのまま再現したにすぎないし、魔法が存在する世界にはエリカのいた前世の現実世界とは違った法則もいくつかあって、それが何とかノルベルタ財閥の資金力と技術力を結集させた結果、利用できただけなのだ。

 では、その先は? ——『複合型魔法装置マルチツール』はまだ発展進化の余地こそあるが、いずれ限界を迎える。一方で、『のろい』に代表される魔法そのものはだ。魔法使いの各家が研究に没頭する理由はそこにある。

(『のろい』は魔法のごくごく一部を利用しただけで、魔力の活用法を含め魔法という技術は魔法使いにさえも十全に使いこなせていない。おそらく、この世界で最初の魔法使いが生まれて今まで、ずっとそう。『のろい』にだけ専念しないのは、魔法使いである彼らの本分がそこにはないことの証拠だもの)

 それらは、エリカからすれば『ノクタニアの乙女』ゲーム内の設定であると同時に、。ゲーム制作者、あるいはシナリオライターがそこまで設定を考えていたかと問われれば、微妙なところだ。だってそこは乙女ゲームのメインでもサブでもなく、ただの末端の設定にすぎないのだから。

 しかし、だからこそ、。ゲームヒロインであるベルナデッタがそこに目をつけたのは、エリカにとっても意外すぎた。

「確かに、それはすごいことよ。魔法使いの協力を得ることがほぼ不可能ってことを除けば」

「そう、そこなの! 大丈夫、ちゃんと考えてあるわ!」

 ベルナデッタは一つ咳払いをして、細く端正な指を一本ずつ折り、現状の問題を解決していく。

「まず、お姉様の『真銀冠魔法調剤師ミスリルクラウン』称号授与の正式発表で、誰かしら解呪薬リカース開発について勘づいていてもおかしくないわ。もちろん、お姉様が完成させることは確定として、問題はその先! ?」

「あぁ、ベルも気付いていたんだ、やっぱり」

 そう言われて、ふふん、と胸を張るベルナデッタはまだまだ少女らしく可愛いらしい。

 もしエリカが解呪薬リカースを完成させたとして、解呪薬リカースの効果を周知して人々への接種を素早く広域に行うことができなければ、どうなるだろうか。

 解呪薬リカースの効果を疑う人は当然いるだろうし、運よく接種に持ち込めたとしても恐る恐る、好奇心旺盛な人や必要性に迫られてのわずかな人数からだろう。『のろい』を防ぐなら護符アミュレットでいいじゃないか、実際に解呪薬リカースのおかげで防げたかどうかの証拠を見せろ、と言われても、果たしてどこまで納得させることができるか。すべての人々を合理的に納得させることは不可能だ、だから強制力を発揮せざるをえない場面も出てくるだろうし、そこまでの権力をエリカもベルナデッタも持っていない。

 ならば、どうする? ——その問題を解決できずにいたエリカだが、ベルナデッタが独自に考えていてくれたとは思いもしなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?