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第27話 それはまるで映画みたいな-2

 中央市場にはいくつか堅牢な石造りの建物がある。ノクタニア王国王都商工会議所、貴金属取引市場、印刷所、新聞社、そして——何の変哲もない、雨の染みが残る石造りの二階建ての建物には、中央市場の顔役であるアレサンドロの商会が入っている。

 オレンジ色の屋根にある採光用の窓を叩き、エリカは中で鑑定用モノクルを磨く小柄なドワーフの老人アレサンドロへ叫んだ。

「こんにちは! 匿ってください!」

 アレサンドロが飛び上がって驚く。エリカが覗く真上の窓へ視線を向けると、すぐにベランダ付きの小窓のほうを指差した。そちらから入れ、という意味だろうと解釈し、エリカは隣にいるエルノルドへ頷いてみせた。ベランダの方向を指示し、ちょっと手狭だったが何とか山のような商品が溢れる室内へと二人は雪崩打って入り込む。

「お邪魔します!」

「失礼する!」

 やっと割れそうな屋根瓦ではなくしっかりとしたフローリングの床でヒールを鳴らしたエリカは、腰が抜けそうなほど脱力しかけたが、まだ踏ん張らねばならない。

 小窓が閉まったことを確認して、アレサンドロは呆れた様子でこう言った。

「エリカ……窓から来たのは初めてだな。まあいい、どうした?」

 年の功とばかりに、アレサンドロは話が早かった。エリカがエルノルドとともに何者かに追われている旨、屋根の上を逃げても追ってくるほどしつこいこと、そして捕まるわけにはいかないことを簡潔に伝えると、アレサンドロは呼び鈴で番頭のカサレラを呼び出し、命令を下す。

「カサレラ、そういうことだ。下に警察でも何でも来たら、追い返しちまえ」

「はい、承知しました」

 うだつの上がらない風貌のカサレラも、このときはキリッと真剣な眼差しだった。危機でこそ輝く人材なのかもしれない、などとエリカは心の中に浮かぶ失礼な思いを振り払う。

 そんなことをしていると、息の上がったエルノルドが、立ったまま部屋のわずかな石壁にもたれていた。エリカもどこかに腰を下ろそうと思ったが、あまりにも乱雑に商品と思しき品々が溢れているため、座っていい椅子やソファが見つからない。大量の仕入れでもしたのか、アレサンドロが商品の鑑定をするために大型の羊皮紙本から身長よりも大きな植物モンスターの乾物、美しい白木の細工棒、アルコール臭のまったくしない謎の酒樽、などなど……前回来た際広いと思ったはずの部屋がみっちりと商品だらけだ。手広いジャンルの商品を扱う大商人だからこそのごちゃ混ぜぶりだろう。見たことのないテクスチャの布生地や何に使うのか分からない巨大で緻密なガラス器具まである。

 エリカの疲れを見抜いて、アレサンドロが木製スツールを持ってきてくれた。自分だけさっさと休むエルノルドとは随分な違いだ。きっとこれも年の功だろう。エリカだけがエルノルドに殊の外嫌われているわけではないと信じたかった。

「茶でいいかい?」

「飲み物なら何でもいいです……疲れた……」

「そういやそろそろ屋根の修理の時期だぁな。ちょうどよく思い出させてくれたもんだ」

「後で弁償します」

「そうしてくれや、色男。最近儲けてんだろう? エレアノール商会、だったか」

 エルノルドの端正な顔が若干不貞腐れる。やはりと言うべきか、中央市場の顔役アレサンドロは同じ商売人のエルノルドのことを把握していた。変なところで対抗心を燃やさないでほしいものだが、ただでさえプライドの高い貴族のエルノルドは先手を打たれたとでも思っているのだろう。

 世話の焼けるエルノルドを誤魔化すためにも、エリカは話題を変えた。ここで頼れるのはアレサンドロしかいないのだ、頭でも何でも下げるしかない。

「アレサンドロさん、どうして追われたのかを知らないと対処できなくてですね、それで——えーと、ぜひとも協力していただけたら心強いです」

 エリカの協力要請に、アレサンドロはすぐに返事をしなかった。自分用にといつもデスク脇に置いてある大きな陶器製ポットに入った、ノクタニア王国でよく飲まれている黒茶を新品のカップに注ぎ、エリカとエルノルドへ手渡す。

 エリカが黒茶を何口か飲むのを待ってから、エルノルドは自分のカップに口をつけた。こいつ、毒味役をさせたなとエリカは分かっていても指摘を諦めた。エルノルドのエリカに対する失礼さは、もはや言及したところでやめないだろう。

 走り回ってカラカラの喉がやっと潤ったころ、アレサンドロが慎重に質問する。

「お前さん、本当に心当たりがないのか?」

「ないこともないですけど」

「今朝、『真銀冠魔法調剤師ミスリルクラウン』になるって聞いたぞ? おめでとさん」

「あー……やっぱりそれかも」

 そこまでアレサンドロが状況を把握しているのなら、エリカの手札を伏せていてもしょうがない。

 エリカはここでようやく、アレサンドロへ『のろい』に対抗する有力手段としての解呪薬リカースを開発していることを告げた。

 案の定、ことの大きさを分かっているアレサンドロは驚愕していた。

解呪薬リカース開発……!? まーたとんでもねぇもんを作ろうとしてんな!」

「そういう反応になりますよね。多分、私が解呪薬リカース開発をしていて、それがある程度の進展が見られることまで把握されているから、さっきみたいに追われたのかと。追ってきた相手やその上については、さすがに候補が多すぎて特定できませんけど」

「ふぅむ。今まで『のろい』にビビりつつも「『のろい』に脅されちゃいない」と主張してきたこの国の王侯貴族にとっちゃ朗報も朗報、だが『のろい』が家業の魔法使いの家柄のやつらはお前さんを殺してでも完成を阻止するだろうな」

 エリカはこくりと頷くほかない。瞬時に解呪薬リカース開発の意義と取り巻く状況を把握してみせたアレサンドロは、しばし髭のない顎に手を当てて考え込んでいた。その間に、不服そうな顔をしたエルノルドがエリカへ突っかかってくる。

「お前、とんでもないことばかりするな? 解呪薬リカースだと? そんなものがあれば、魔法使いは全員廃業だろう。やつらが何百年と王都に居座っていて、そうなっていないということは」

わ。時代は進歩するの。ただそれだけよ」

「だが、できるのは明日ではなく百年後かもしれないだろう」

「ううん、あと少しよ。それは約束するわ」

 それはハッタリでも何でもなく、解呪薬リカースができるまであと少しであると専門家のエリカが分かっているのだ。本来であれば、新薬、それもワクチン的な役割を果たす代物をそうすぐに開発なんてできやしない。数年あるいは一、二世代かけてやっと確たる成果が現れると同時に、人命に関わる重篤な副作用を克服していかなければならないものだ。

 だが、この世界には魔法薬という便利なアイテムジャンルがあった。魔法薬の調剤には法則性があり、材料の入手難易度に比例して効果が絶大なものとなっていくゲームシステムのおかげで、現実ならありえないスピードで安全かつ安定した魔法薬が生み出せる。それに前世では現役の薬学関係者だったエリカの知識が合わされば、いくつかの難問——材料の入手や効果の確認など今まで散々苦労して達成してきた課題だ——を乗り越えるだけで、望みどおりの魔法薬が寸分違わず完成する。

 ならばなぜ今まで似たようなものが生み出されなかったのだろう、という疑問には、つい今朝魔法学院代表であるリーンリンクス・クゥエルタークが答えてくれた。

(「『のろい』はゲームのフラグだ」……つまり、ゲーム内の物語を進めるための重要な布石としての役割があるから、排除するわけにはいかない。ゲーム内登場人物ならなおのこと、わ。そこに私がこの世界に来た意味がある、そう思ったほうが気が楽だからそう思っとこ)

 実際のところ、エリカがこの乙女ゲーム『ノクタニアの乙女』世界へやってきた理由は、誰からも明らかにされていないし、エリカも好きなゲーム、キャラクターたちのためにバッドエンドからハッピーエンドへ変化させようと願ったから行動しているだけだ。

 そんなことは百も承知で、エリカは邁進まいしんしている。

 間違っているとかいないとか、そういうことではないのだ。

 憎たらしい態度を取るエルノルドすらも、エリカにとっては不幸な死を迎えてほしくない。この世界で不幸な結末を辿るキャラクターたちを放置してはおけないから、今、エリカは命を狙われる羽目になっているだけだ。

 それがどこまで人々——ゲーム内の登場人物たち——に支持をされるか、そんなことはやってみなくては分からない。少なくとも、エリカにはある程度の勝算はあった。

 誰かにとっての朗報は、誰かにとっての凶報となる。どちらがより多くの人を救い、より正しい行いだと思われるか。

 エリカが重要視するそのための指標は、乙女ゲーム『ノクタニアの乙女』のヒロイン・ベルナデッタがだ。

 つまり、ヒロインの意思は、物語を変える。

「……とんでもねぇことだが、エリカ、お前さんのやってることは正しい。『のろい』なんて陰険なモンは、とっととなくしちまえばいいんだ。そしたら少しは世の中もよくなるだろうよ」

 神妙な口振りで、商人として世の中を嫌というほど見てきたアレサンドロの賛意が示された。

 エリカの顔が、思わず花開くように明るくなる。

「エリカ、必要な素材や機材があれば遠慮なく言いな。すぐに用意してやるよ」

「ありがとうございます! じゃあこれをお願いしますね」

「早ぇなおい!」

「こんなこともあろうかと必要物資の分野別リスト化はしていました」

 ポケットから出てきた乱雑なメモ書きをそのまま渡されたアレサンドロは、たった今吐いた言葉を翻すわけにもいかず、メモ書きを受け取るしかなかった。エリカはしてやったりである。

 そのやりとりを遠くから眺めていたエルノルドが、ため息を吐いていた。

「何?」

「何でもない」

「私の顔を見て思いっきりため息吐いたじゃない」

「ああ、まったくもってお前のはとんでもないとつくづく思っただけだ」

「さっきからとんでもないって言葉を何度も使うけれど、絶対に、褒め言葉じゃないわよね?」

「絶対に、この俺がお前を褒めるものか」

 そんなことを成人男性が胸を張って言うか普通。そんな思いは、エリカはそっと胸にしまっておく。指摘したって何の得もない。

(別にエルノルドに認められなくたっていいし……感謝されるとも思ってないし、いいけどさ!)

 少しはエリカも嫌な気持ちになるが、致し方ない。エルノルドは自分の未来がバッドエンドに突っ込むしかないなんて知らないし、ましてやゲーム内のキャラクターだなんて露ほども思いはしないだろう。そうあるべきで、そのままでいい。エリカだって、感謝されたくてやっていることではないからだ。

 小柄なアレサンドロが、自身の腰ほどもある巨大な帳簿を開いて渡されたメモ書きのリストと照合しようとしていたところ、こんなことを口にした。

「ところでよ、キリルだったか、あの騎士を呼ぶか? そのまま帰るにしてもどっかに連絡をつけるにしても、護衛がいるだろう」

「あ、そうですね。王城東門の衛兵さんにキリル宛の伝言を届けていただければ、中央市場に迎えに来てほしい旨で伝わると思います」

「あいよ、任せな」

「それと、ルカ=コスマ魔法薬局にベルナデッタ宛の伝言メモを届けてもらえれば、あとは自前の伝手で何とかします」

「うむ、そうしな。こっちが関わりすぎちゃあ、警戒されちまうだろうしな」

 エリカとアレサンドロの会話はツーカーもいいところで、あっさりと話がついてしまう。親子どころか祖父と孫ほども年の離れた二人だが、頭の回転の方向と速度は一致しているようだった。

 そのやりとりを間近で見ていたエルノルドがどんな視線を向けてきているか、エリカは把握していなかったししたくもなかったが——少しだけ、エリカを見る目の色に敬意が加わったことに、後日気が付いたのだった。

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