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第26話 出会えばきっとイベントが始まる

 魔法学院代表との長話ののち、エリカとエルノルドは巨大地下遺跡から出て、ようやく日光の下に戻った。すでに時刻は昼が近く、夏の日差しが建物の軒先の影を若干濃くしている。

 二人は大通りを目指して、刻まれた馬車の轍でガタついた石畳を歩く。日陰に入れば涼しく、日に当たれば肌が焼ける環境はエリカの経験してきた日本の夏と違ってジメジメとした不快感はなく、汗はかかない。ちょっと時々エリカの黒髪の宝石部分に当たった光が乱反射して地面や壁を照らすくらいだ。

 少しの沈黙を経て、エルノルドは隣を歩くエリカへ尋ねた。

「結局、お前は代表と何を話していたんだ?」

「秘密」

「ふん、ろくでもない企みだから聞かせられないか?」

「そういう挑発、友達なくすからやめたほうがいいわよ」

「余計なお世話だ」

 こうしてエルノルドがエリカへいちいち癇に障る物言いをしてくるのはなぜだろうか。案外性根は子どもっぽいのか、それともエリカへ突っかかりたいだけなのか、そこは分からない。

 エリカと代表のメタ視点を含んだ会話は、エルノルドには聞かれていない。ゲーム内の登場人物が世界の外を知る必要はないのだ。自分が不幸になる未来しかないと知って絶望するよりも、この先に望む未来があると足掻いていくほうが変化の可能性を残せるかもしれない。もっとも、この世界は『ノクタニアの乙女』というゲームの中だから、キャラクター自身の意思でシナリオから外れることは不可能だ。

 それでも、エリカには希望がある。皆を幸せにするという目的があり、破滅や絶望といったエンディングは望んでいない。

 だから、エリカはスカートの隠しポケットから、宝石の付いた手のひらサイズの円形金細工を取り出し、エルノルドへ差し出した。

「エルノルド、これを肌身離さず持ち歩いて」

 受け取ったエルノルドは、一瞥しただけでそれが何なのかを見抜く。

護符アミュレットか」

「それがあれば、少なくとも『のろい』で即死することは避けられるわ」

「いいのか悪いのか分からないが、気遣いには感謝する」

(まあ確かに、『のろい』で長々苦しむなら即死したほうが楽かもしれないけども)

 エルノルドはスーツのジャケットの内ポケットへ護符アミュレットをしまった。文句ありの感謝の礼はしたが、どうにも憎たらしい。

 もやもやしつつ、エリカは一応、宣言しておくことにした。エルノルドの前へ一歩踏み出し、足を止めさせて、真正面から見上げて啖呵を切る。

「何度でも言うけれど、私はあなたのことが嫌いじゃないの。死んでほしいなんてまっっっったく思っていないし、できることなら私のいないところで幸せになってほしいと思うのよ!」

 つんのめりかけても足を止めたエルノルドは、エリカと視線を合わせる。

 ともすれば、まともに目を合わせるのは、これが初めてかもしれない。鋭い目が怪訝そうに、「こいつは何を言っているのか」と言いたげだ。相変わらず失礼な男である。

 エルノルドは、ふん、と鼻を鳴らした。

「お前は、この俺が幸せになるとでも思っているのか?」

「なるわよ」

「生憎と俺はそうなりたくないんだ」

「知ってる。ただの反抗期で尖ったことをしたがってるわけじゃないし、何ならアメリーを仲間に引き入れた時点で丸出しだから」

 エルノルドがエリカを睨みつける。散々エリカへ失礼なことを言ってきたのだから、ちょっとした仕返しくらい許されるべきだ。エリカも負けじと見上げ——いずれ言わなくてはならないことを、やっと伝える決心がついた。

 エリカはエルノルドと結ばれたいなどと思っていない。エルノルドも同様で、恋仲にはならない。

 だとしても。

「婚約者としては「さようなら」。でも、ロイスルをはじめとした魔法使いや、エーレンベルク公爵家と戦う意味では、共闘できると思うけど、どう?」

 共闘の申し出に、エルノルドの目が少し大きく開いた。

 エリカがエルノルドを説得する材料なんていくらでもある。プレイヤーだったエリカにしか知りえない情報や、これから先の各エンディング、その詳しい内容は信じる信じないにかかわらず、価値が高い。

 しかし、エリカはそれらを使わずに、行動で示す道を選んだ。共闘、すなわち味方として助力する。どうせここまで事情を知っているのだから、巻き込まれた形になっておきたいという思惑もないではない。

 特にそのあたり、不愉快には思わなかったらしく、エルノルドは数秒思案してから歩み寄りを見せた。

「詳しい話を聞かせてくれ」

「普通、そこで巻き込みたくないとか言わない?」

「お前が簡単に死ぬとは思えないからな。安心して放っておける」

 どうやら、エルノルドから見たエリカは、相当しぶとく厄介な生き物のようだ。他のその評価に該当しそうなのは手練れの商人や歴戦の兵士か。おおよそ、女性に対する評価ではない。

(この憎たらしさ、本当にエルノルドだわ……まあ、いいけど)

 こうして、エリカとエルノルドは婚約を横に置き、共闘関係を結んだ。

 エリカは解呪薬リカース開発を推進して『のろい』——シナリオの不幸要素を引き起こすフラグを排除するために。

 エルノルドはエーレンベルク公爵家に囚われているであろう実母エレアノールを救出して——その後はきっと幸せに暮らすために。








 ノクタニア王国王都郊外にある、とあるオーベルジュ。

 ホテルを併設した有名レストランの最奥にある個室で、一人の紳士が席に着いて待っていた。目の前にはランチには重々しいくらいの完璧なテーブルセッティングがなされており、端に並ぶフォーク一本でどれほどの価値の宝石と交換できるか、見事な流線型の食器は天井のシャンデリアの光を受けて存在を主張する。

 トネルダ伯爵家嫡男ロイスル、金色の髪にアメジストのような輝きを持つ美貌の青年は、優雅な所作で待ち合わせの相手へ一礼した。

「こんにちは。ご機嫌麗しゅう、レディ」

「お待たせいたしましたわ、ロイスル卿」

 彼をこのオーベルジュへ呼び出したのは、他でもない——金髪の豪奢な巻き毛を揺らし、漆黒のケープと青のドレスに身を包むノルベルタ財閥令嬢ベルナデッタだ。

 ロイスルは顔に笑みを貼り付けて、社交辞令を口にする。

「いやいや、貴族学校の同級生とはいえ、君に名前を憶えてもらっていたとはつゆ知らず、今日のお招きに感謝するよ。ベルナデッタ嬢」

「まあ、謙遜なさらないで。私、ずっと魔法に興味がありましたの。でも、平民でしかない私に、魔法について親切にも教えてくださる方がいなかったものだから……もちろん、秘伝の術などは話さなくてけっこうですわ。魔法がどんなものか、少しだけご教授くださるだけでよろしいの。いかが?」

「無論、断る理由はない。さしづめ、魔法はノルベルタ財閥の次の投資先かな?」

「ないとは申しませんけれど、それよりも個人的に興味がありますの。おとぎ話のような、それでいて恐ろしくも精密な技と、連綿と紡がれてきた歴史に基づく知識の深淵。怖いもの見たさと指摘されると、そうかもしれませんけれど」

 無邪気な令嬢の知的好奇心を満たすためにしては、魔法はあまりにもおぞましく、恐ろしい。

 それが建前だと知っていても、ロイスルは指摘しない。ウェイターを伴って着席したベルナデッタは、ノルベルタ財閥隆盛の立役者だ。金の匂いに聡く、商売を手段と心得る彼女を甘く見るわけではないが、少なくともロイスルと同じ貴族ではない。『のろい』の危険性をはてどれほど理解できるか、疑わしかった。

 それゆえに、ロイスルは食前酒が運ばれてくる前に、丁寧に説明する。

「あなたが貴族でなくてよかった。貴族ならば、魔法使い……『のろい』を扱う家を、ないもののように扱うのでね。彼らは『のろい』を知らず、『のろい』を恐れている。それはとても不健全のように思えて仕方がないが、身内を失う恐怖を思い起こせばこそだろう」

 それは魔法使い、『のろい』の大家が口にするほどに、常識のようでいて喉元の熱さのように忘れられやすい。恐怖は薄れるものだ、ゆえに貴族たちはしっかりと後継者たちへその恐ろしさを口伝してきた。その歴史がない平民のベルナデッタには理解できまい、ロイスルはそう見ていた。

 しかし、それはただの偏見に過ぎず、ロイスルはベルナデッタを侮っていた。

 ベルナデッタはウェイターに何か言いつけ、ウェイターは個室から出ていく。それを確認してから、ベルナデッタは口を開いた。

「確かに、恐ろしさが先立つのでしょう。理解する、などと大上段からの物言いはあなたがたにとって不愉快に聞こえるでしょうし、中途半端な知識で誤った情報を流すことだってありえます。それを考えれば、あなたがたが傍から見れば秘密主義のように思われるのも無理はありませんわね」

「ごもっとも。よくご存じのようで何よりだ」

「私としましては、誰かと話す際には、理解よりも敬意が重要と考えますわ。敬意なき理解はことごとく過ちであり、理解なき敬意はまるで不誠実ですもの」

 つまりはロイスルへも敬意を払うつもりがある、とベルナデッタは暗に示している。

 なぜ、とここで問うのは野暮だ。ロイスルは金に困っているわけではないが、ノルベルタ財閥、ひいてはベルナデッタとのコネクションができるのは悪くない。穏当に、当たり障りのない話くらいはしてやろう、という気になった。

「さすが、ノルベルタ財閥躍進の立役者だ。よろしい、私が話せるかぎりのことはお教えしよう。ただし、我が家について詮索はやめてほしい。年少の者もいるのでね、教育に悪い」

「心得ておりますわ。ああ、お礼の品を用意しておりますの。どうぞ、先にお受け取りになって」

 個室の扉がノックされ、ウェイターが戻ってきた。その手には、胸の前で抱えるほどの箱が一つ。

 箱はロイスルへ差し出され、ベルナデッタは開けるよう視線で促す。

 ロイスルの指先が遠慮がちに箱の蓋を開ける。中の品を見て、ロイスルの目が大きく開いた。

「これは……!」

「『蝙蝠王の鉤爪』ですわ。本物かどうかは定かではありませんけれど、少なくともあなたのお眼鏡に適う品であることはお約束いたしますわ」

 ロイスルは、ベルナデッタが渡してきたその品物の価値をよく知っている。魔法使いなら喉から手が出るほど欲しがる希少な『のろい』の媒介品であり、さらなる強力な『のろい』を行使することも、研究材料として大いに役立つことも視野に入る。即物的ながら——とはいえ、ロイスルをそうさせるほどの品はそうそうない——ロイスルは内心喜び、機嫌が上向いたそのときだった。

 ふと、ロイスルはベルナデッタが羽織っている薄手のケープが気になった。

「失礼。ベルナデッタ嬢、あなたの羽織っているケープは……?」

「ああ、これは友人が贈ってくれましたの。魔法道具の一種で、必ず私を守るから、と」

 ベルナデッタは軽く語るが、ロイスルの勘が外れていなければ、それはとんでもない代物だ。

 実在する友人かどうかはさておき、さすがベルナデッタ・ノルベルタだと評価せざるをえない。ロイスルの唇から、思わず笑いがこぼれた。

「ふ、ふふふ」

「どうかなさいましたの?」

「いえ、よいご友人をお持ちだ。確かな品ゆえ、どうぞ大事になさるといい」

「ありがとう。では、ロイスル卿、お話を聞かせてくださいな」

 では、とロイスルは魔法のほんの初歩的なことから、さわりに至るまでを、語り始める。





 解呪薬リカース開発を目指すエリカのためにベルナデッタができることを考えた結果、ベルナデッタは『のろい』そのものについて直接行使者本人へ聞くことを選んだ。

 このときのロイスルがそれを知る由はないが——このことが、エリカの困難な道を切り拓くために、大いに貢献することになる。

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