「本性って、女性に対してはもう少し言い方ってものがあるでしょう」
「お前は目的のためなら手段を選ばない。どんな卑劣な手さえも、それらしい言い訳を考えてしまうんだろう」
これには、エリカは感心どころかギクリと図星を突かれてしまった。
エリカが一瞬返答に迷った隙を、エルノルドは見逃さない。
「違うか?」
「(お前に言われたくないわ〜)……そうね、おっしゃるとおりだわ」
心の声はしっかりと胸の奥にしまい、エリカは同意してやった。エルノルド、何とも憎たらしい言葉ばかり選んで、喧嘩腰で挑んでくる男である。
「何だ、言い訳しないのか?」
「してほしいの?」
「言い繕う技術があるだけだとでも言うのか?」
エルノルドは鼻を鳴らして煽ってくる。先日の一件で大層ご立腹であるようだ、意趣返しとばかりにしつこい。
ここまで言われて、黙っていられるほどエリカはおとなしくはない。それはエルノルドも承知の上だろう、なので胸を張り、全力で——あくまで、こちらが年齢的には大人として——反撃に出る。
「さっきから絡んでくるけれど、どうせあなたは私と結婚するつもりなんてこれっぽっちもないでしょう? だったら、文句言わないで。どうせ、私のことが嫌いなあなたとの婚約は解消するんだから」
「そうか。お前が俺のことを嫌っている、と言わないあたり、浅ましいな」
「嫌いじゃないわ。ただ、私よりもあなたのことが好きな人がいて、その人とくっついてほしいと思っているだけよ」
「なら……俺はその人物よりも好きな女性がいるとしたら?」
(四角関係……!)
つくづく、面倒くさい男である。だから『ノクタニアの乙女』シナリオライターもエルノルドの攻略ルートをドロッドロシチュエーションにしてもいいと思ったのだろう、きっと。そんな悪態が思いつくくらいには、エリカはすでに苛立っていた。
だが、エリカは所詮モブである。貴族令嬢であり、今も昔もやっぱりいいところのお嬢さんだ。口は出ても手は出ない、案外対人コミュニケーション不全気味なエルノルドとはいい勝負なのである。
二人は薄暗かったはずの廊下が蠢いていたことにさえ気付かず、言った言わない、喧喧諤諤とやかましくなってきたところ、やっと部外者の冷静な声が仲裁に入った。
「お二人さん? 痴話喧嘩しにきたの?」
エルノルドとの口喧嘩に集中しつつあったエリカは、我に返った。それはエルノルドも同じで、咳払いをしつつ、いつの間にか変化していた廊下——すでに書物の螺旋棚が壁となり、部屋が現れていた。
鮮やかに紅色に染まった、分厚い毛足の長い絨毯。跳ねるようにその上をまんまるのビロードクッションが二つ三つ飛んできて、エリカとエルノルドにぶつかり、体勢を崩した二人の腰の下にはもっと大きな、体を包み込むような巨大クッションが待ち構えていた。二人は互いに奇妙なものを見たかのような表情をして、互いの状況を知る。本物の熊かと見紛うようなぬいぐるみが、それぞれを抱き抱えて椅子兼クッションになって、よくよく見れば床から浮いていた。場違いなファンシーさもさることながら、エルノルドが巨大熊ぬいぐるみに背中から抱きつかれているさまは、エリカもついつい失笑を禁じえないが、すぐにバレて睨まれた。
何者かの厳かな書架で宇宙遊泳よろしくふわふわと漂う二つの巨大なぬいぐるみが、若干背もたれをリクライニングして、二人の顔を上へ向かせる。
視線の交わる先には、中空に浮かぶ謎の光源を背に、
エリカは横目でエルノルドを観察する。自分は平静である、と顔に書いてあるようだが、目がいつもに増して鋭く人影を睨んでいるので、おそらく状況を何も飲み込めていないに違いない。
しかし——エリカは、何もかも分かっている。
であれば、先ほどまでのことは水に流し、エリカは先達としてこの状況を打開していってやろう、うんそうしよう。エリカはちょっとだけ気分がよかった。
エリカは、陽光よりも目に優しい光を背にした人影へ、挨拶代わりの言葉を投げかける。
「違いますよ、代表。話を聞いていたら分かるでしょう? 確かに婚約者同士だけど私たちの結婚は無理だ、って」
わざと勢い強めに、エリカは反発する。
すると、人影は笑い声を上げた。
「ははは、冗談だよ、冗談。本気にしないでよ」
そろそろエルノルドは気付いただろうか。何重にも
(まあ、それもそのはずよね。聞こえていると思っているこの声自体、実は頭の中に直接テレパシーみたく放り込まれている情報を私たち自身が勝手に『耳に聞こえる声』だと認識してるだけだし。相手の姿も何も分からないプレーンな状態なら、声に何の色も付かない……その状態で『話し合い』ができるかどうかはともかく)
ここまでの道のり、巨大地中遺跡や妖精、奇妙な廊下、この部屋の状態、すべてが常識から外れた、いわゆるファンタジーなものであることは、この世界の外の知識があるエリカにしかそう捉えられない。『ノクタニアの乙女』世界において、神秘や魔法は常人には理解できないものであり、現実にあるものをそのまま受け入れるしかない、と人々は素直に考えている。魔法を使える者たち、そもそもが神秘に由来する人間以外の生き物——妖精やドワーフ、エルフなどの亜人種からドラゴンやハーピーなどのモンスターまで——はむしろ、こちらが当たり前であって、人間が発達させてきた技術のほうが
エルノルドは初めて経験するだろう。魔法使いではなく魔法そのものと同質化した存在との対面など、人間の活動範囲内においてはここ以外ではまず不可能と言っていい。
幻のごときもやの中の人影は、少しずつ形を成していく。
その間も、おしゃべりは続いていた。
「改めて、僕が魔法学院代表のリーンリンクス・クゥエルタークだ。まずは予定されていた来客から挨拶と行こう。エルノルド・ニカノール、初めまして。人を介して何度かやりとりはしたが、直接会うのはこれが初めてだね。今までの仕事依頼はすべて僕の責任で行なっていることだ、そのつもりで今後も取引を続けてくれると嬉しい。それと、アポはなかったものの来るだろうと思っていたよ、エリカ・リドヴィナ。久しぶりだね、君の活躍はよく耳にしている」
魔法学院代表のおしゃべりの最中、エルノルドは呆然としていた。無理もない、ようやくエリカの存在を思い出したのか、エルノルドは小声でこう尋ねてきた。
「おい、あれは……何だ?」
エルノルドの示すあれ、とは当然、魔法学院代表のリーンリンクス・クゥエルタークのことだ。長ったらしい名前だが、いつも代表、代表と呼ばれているため本名はほぼ使われていない。幻から現れた人影が形を取った、その存在について、エルノルドは何度も目を瞬かせ、信じられない様子でエリカに確認を取ろうとしている。
エリカは巨大ぬいぐるみに背を預け、逆に問う。
「エルノルドは何に見える? からかってないから、大丈夫よ。普通に答えて」
「それは、老いた
なるほど、エルノルドは代表が、いわゆる狼人間こと
エリカから見れば——代表とされる存在は、もやの中にあるインク壺ほどの大きさの、青磁の小壺だ。それが、魔法学院代表リーンリンクス・クゥエルタークの本来の姿、なのである。