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第23話 それは新たな、そして

 それは唐突な出来事だった。

 涼やかな風が吹く夏の夜、解呪薬リカースの進捗がひと段落したエリカが久々に我が家であるサティルカ男爵家屋敷へ帰宅したところ、黒いシルクハットとスーツを着た配達人が待っていたのだ。

 もちろんただの配達人であるはずがない。王侯貴族の間や公式文書伝達でよく用いられる方法として、きちんとした身なりと身分を兼ね備えた専門の配達人が配達する文書や荷物を直接本人のもとへ届けることはエリカも知っている。だからこそ、心当たりがないため、屋敷の応接間での首を傾げながらの応対になった。

「エリカ・リドヴィナ様ですか?」

「はい、そうですが」

「お届け物です。こちら、お受け取りください」

 そう言って配達人が差し出したのは、小包だ。ベルベット生地に包まれたそれは、一見して重要な品だと分かる。重要品専門の配達人が配達先を間違うことはありえないから、心当たりがなくとも受け取らないわけにはいかない。

「どうも、ありがとうございます」

「いいえ。それでは」

 困惑するエリカの腕の中には、小さな帽子くらいは入りそうな小包が収まる。そして、用事が済めば、配達人は一礼をしてさっさと帰ってしまった。誰からの荷物なのか、中身は何なのか、尋ねる暇もなかった。とはいえ、おそらく配達人が送り主について口にしなかったということは機密保持の色合いが強く、エリカが尋ねてもあえて教えてくれなかった可能性が高い。

 それほどの品が、エリカに届けられる——エリカにはさっぱり心当たりがない。

 応接間に一人残されたエリカは、ただただ首を傾げる。

「何だろう、これ……誰から?」

 今のエリカに分かることはただ一つ、腕の中の小包からは、微かに魔力を感じるということだけだ。

 翻って、それはエリカが開けなくてはまずい、ということでもある。巷に普及するような簡便化した魔法道具ではなく『本物の魔法使いが魔法のみで作った道具』クラスの代物だ。そりゃ魔力くらい肌で感じるよ、というわけである。

 応接間のテーブルで慎重にベルベット生地を剥がし、ジュエリーボックスのような皮革と金でできた小箱の蓋をそろりと開けば、敷き詰められた白詰草の真ん中に、エリカの指先ほどの四角い金属が鎮座していた。不可思議な虹色を帯びた正方体の金属は、エリカも一度だけ見たことのあるものだ。

(最重要機密品の保管、運搬に使うやり方だわ。魔法学院で習った……ということは、えっと、どういうこと?)

 とりあえず、エリカは正方体の金属に右手人差し指の先を押し当てる。

 エリカの魔力を感知したそれは、おもむろに微細な虹色の魔法陣を展開する。魔法陣の模様が細かすぎて、円盤型の光のようにしか見えない。昔見た子ども向け雑誌のUFOのイラストみたいだわ、とエリカがにべもない感想を抱いていると、いつの間にかテーブル上に何の変哲もない大きな木箱が現れていた。商店の裏にでも置いていそうな運搬用木箱にしか思えない——中身の重要性の割には随分粗雑、いや、簡便化している荷物だ。

 その木箱の上に、送り主の名前が記されたメモ書きのような便箋が一枚、貼り付けられていた。エリカは驚きとともに、その名を読み上げる。

「ノクタニア王国魔法学院代表リーンリンクス・クゥエルターク……え、何で? 何かしたっけ!?」

 長ったらしい署名の横には、確かに紅色の魔法学院の印章が押されている。輝く満月を抽象化したデザインの印章は、実は満ち欠けする。もっとも、それは魔力を備えた人間にしか見ることはできず、今、エリカの目には輝く満月が下弦の月に近づきつつある様子が映っていた。

 それはさておき、その無駄に手が込んだ便箋に併記された文章には、こう書かれていた。

『今般、ドミニクス王子より推薦があり、また魔法学院魔法薬学科教授会からも貴殿の活躍に関して素晴らしい成果を挙げているとの意見が満場一致で認められたため、『金冠魔法調剤師ゴールドクラウン』エリカ・リドヴィナの功績を讃え、新たな称号と功績に対する褒賞を与えることを決定しました。ついては、各種書類と支援物資ならびに記念装備の受領をお願い申し上げます』

 読み上げるエリカは、無意識のうちに無表情な真顔となっていた。驚くよりも、喜ぶよりも、浮かび放題の疑問と懐疑のほうが圧倒的に大きかったのだ。

「『真銀冠魔法調剤師ミスリルクラウン』、何それ、初めて聞いた……っていうか、怖いんだけど……」

 何せ、完全クリアしたはずのゲームで、聞いたこともないイベント、聞いたこともない流れシナリオ、そして聞いたことのない称号名がポンポン出てくれば、あらゆる感情よりも「それはメーカーが諸事情から未実装を決めた、デバッグしきれなかったバグか何かではないか?」というゲームプレイヤーが触ってはいけない部分である可能性を思い浮かべるからだ。

(こんなシナリオとか単語は、『ノクタニアの乙女』にはなかったはずなのに、どうして? 何が起きているの?)

 今のところ、この世界にシナリオ進行不可となる重大なバグや欠陥は確認されておらず、前世の記憶を辿っても解消されていない不具合はないはずだ。それに、この箱を開けなければ、話が進まなそうだ。やむを得ず——中身に惹かれたわけではなく——エリカは木箱の蓋を開けた。

 まさか開けた途端、応接間の床を埋め尽くす大量の魔法学院謹製永続能力アップドーピングアイテム(使い捨て)が噴き出すように溢れ出すとは思ってもみなかったわけだ。

「どわあ!? な、何これ!? このマーク、まさか、ゲーム中の希少なドーピングアイテム? 周回特典のやつ! こんなにもらっていいの!?」

 能力ごとにカラフルな色合いと個性的な形をした香水瓶っぽいドーピングアイテムは意外と頑丈らしく、エリカが山中に埋もれてもヒビが入ったり割れる音はしなかった。さすがゲーム中でも最高級アイテム、作りが違う。エリカは子どものころショッピングモールのキッズコーナーで見た、謎の小さな球体で満たされた子ども用アスレチックプールを思い出す。親の買い物の付き合いで来たため、他の子が楽しそうに遊んでいたのを、通りすがりに横目で見るしかなかったあのころ——。

「あっぶな! 走馬灯回りかけた! もう、保管も面倒だし片っ端から使って消費するっきゃない!」

 思い出に浸る余裕さえなく、エリカは手当たり次第にドーピングアイテムの小瓶を開けては飲み、開けては飲む。中身がほんのり甘い一滴しかなく、使用すると容器である小瓶は消えることは不幸中の幸いだった。おかげでエリカのステータスが総合的に大幅底上げされていく。もっとも、INT知力DEX器用さRES抵抗力LUKはあれ、そこにマスクデータであるCHA魅力値はない。自分の魅力は自分で上げろという突き放しっぷりは現実そのものであり、乙女ゲームにしては厳しくないかとエリカは思う。

 しかし、案外時間はかからず、アイテムまみれで見えなかった応接間の絨毯が現れてきた。するとどうだろう、ドーピングアイテム以外も発見されたのだ。

 エリカが薄紙に包まれたものを開けると、黒いシフォン生地を贅沢に使った長め丈のふんわりとしたケープが出てきた。裏地は全面シルクで、軽くしっかりとした仕立ては高級感が半端ない。貴族の夜会でも注目を浴びそうな逸品だ。

 何となく見覚えのあるその形、ケープという装備品から、エリカはそれに付けられたご大層な名前を思い出した。

「このひらひらな黒ケープ、もしかしてゲーム中の装備『薄闇の祝福』? 能力値をMAXにしたらもらえるベルナデッタの最高装備。専用装備って括りはないから、私も使えるのかな。それにしたって大盤振る舞いすぎない?」

 現状、エリカのステータスの各能力値はおそらくMAXである。ドーピングアイテムもそれぞれ途中から味がしなくなったため、これ以上能力は上がらないというサインだと受け取った。あと上げられる能力値はマスクデータになっているものくらいだが、この『薄闇の祝福』というケープは、ゲーム中の装備説明のフレーバーテキストに「魅力を最大限引き出す」と書かれていた。

 これを着れば、CHA魅力が限界まで上がるのでは? エリカはいそいそ肩にかけようとしたが、あることに気付き、思いとどまった。

「……私に必要かなぁ、これ。別に、魅力必要ないよね……誰かを落とすわけでもないし、変に注目を浴びるのって絶対余計なトラブルを招くし。というか、ベルくらい美人じゃないとこんな代物は似合わないわ。うん、ベルに譲ろう。本来の持ち主が一番ピッタリよ」

 悲しいことに、エリカは前世も今世も自分の魅力が平々凡々であることくらい承知していた。化粧をしようが着飾ろうが、貴族令嬢にあるまじきほどに、宝石のように緑に光る黒髪以外は普通なのだ。そりゃエルノルドもエリカでなくベルナデッタに惚れる、というわけである。エリカはケープをそっと畳んでおいた。

 そんな自虐をしていると、夏なのに心の隙間に寒風が差し込むような気持ちが襲ってくる。気を紛らわすためにも、エリカは思ったよりも余ったドーピングアイテムを応接間の端っこに並べて整理していた。

 そこへ、盛大に応接間の扉を開け放して、ベルナデッタが飛び込んできたのである。

「お姉様! 大変よ!」

「わあああ、ベル!?」

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