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第21話 集合!-1

 一流のホテルは、まずエントランスで客を最初に出迎えるドアマンの教育が行き届いているものだ。

 三つ星ホテル『ノクテュルヌ』の通りに面した正面エントランスの扉が開けっぱなしになることはなく、ドアマンだけでなくポーター、時には少し年配の専属コンシェルジュが得意客を出迎えるために出入りする。しかし扉の開閉音はほとんどなく、扉前の柔らかな階段の音はわずかで、彼らの言葉は騒がしい通りにおいてもきちんと客に届くよう配慮されていた。

 ホテリエたちの洗練された動作に少々気後れしたキリルの横から、アメリーがタイミングを見計らって振り向いたドアマンへと声をかけた。

「少しよろしいかしら。友人がこちらの招待状を忘れていったから、届けにきたのだけれど、渡していただける?」

 すると、ドアマンはうやうやしく会釈し、アメリーの手から招待状の封筒を受け取る。

「かしこまりました、レディ。わざわざご足労いただき、恐れ入ります」

 ドアマンは嫌な顔ひとつせず、かといって過剰に媚びることもなく、まるで本当にそう思っているかのようだ。王城勤めという騎士の中でも特に気苦労の多い職に就くキリルだからこそ、その違いが直感的に理解できる。

 とはいえ、キリルは「何かと身分が上の人間に対応するのは疲れる」くらいにしか思っていない上に、ドミニクス王子の計らいで数々の無礼を許されている部分が大きいのだが、本人は気付いていない。

 用事の済んだアメリーに目配せされて、次はキリルの番だ。待っているドアマンへ、キリルは名乗ってみる。

「俺は友人に呼ばれてきた、キリル・ウンディーネなんだが」

 そこでキリルは、はたと悩む。

 中に入れてくれ、というべきか? それともアメリーのように、荷物を渡しておいてくれ、というべきか?

 しかし、ドアマンは瞬時にキリルのすべき行動を導き出す。

「はい、ウンディーネ様、お待ちしておりました。どうぞ、ご案内いたします。こちらへ」

 快く出迎えられ、キリルは安堵する。あとはドアマンの誘導に従い、エリカの待つ場所へ向かうだけだ。

 そこで、キリルは立ち去りかけていたアメリーを目の端に捉えて、こう言った。

「一緒に行きますか?」

「え?」

「何、見学と思って中を見てもいいでしょう。そう、気晴らしになれば」

 キリルは何の気なしに誘ってみただけだ。アメリーとは先ほど出会ったばかりだが、話はできるし悪い人間ではない。もしかすると、意中の相手が中にいて会うこともあるかもしれないし——約束している説明ことお叱りもできるかもしれない。

 アメリーは考え込んでいたが、ついには控えめに首肯した。

「じゃあ、お邪魔でなければいいのだけれど」

 こうして、キリルはアメリーを三つ星ホテル『ノクテュルヌ』内へと、期せずして招いてしまった。

 偶発的とはいえ、これが今日のエリカの企みにどのような結果をもたらすか、現時点では誰も知りようのないことだった。




 フロントから先、ホテル内部の廊下へキリルとアメリーを案内をするのは、若いベルマンだ。

 重厚な装飾の紫檀が伸びる廊下もあれば、モノトーンのチェッカーパターンが壁と床一面に敷き詰められた廊下もあり、数段ほどの下り階段もあれば、黄金の手すりが招く狭い螺旋階段もある。刻一刻と変化する迷宮のような廊下を、ベルマンは一切足を止めず、目的地へと進んでいく。

 こんな様子では、初めて訪れる客である二人は、エリカのいるVIPルーム——正確には隣の控え室——までどれほど歩けばいいのかさえ見当もつかない。アメリーはシャンデリアが幻のように遠ざかって枝分かれした燭台の灯りに変化する様子を目の当たりにして、困惑の混じったため息を漏らした。

「想像よりずっと、華美壮麗なのね。それに、複雑な造り……」

「おそらく、防犯上の仕様なのでしょう。あとは王城でもよくその種の廊下や階段を見かけますが、仲の悪い客人同士が顔を合わさないように、という配慮かと!」

「お詳しいのね。やっぱり騎士様はすごいわ」

 実のところ、王城にあるトラップ的建築と、『複合型魔法装置マルチツール』による決められたルートの転送は技術的にも思想的にもまったく違うものだが、キリルの指摘はあながち間違いでもない。

 普段の彼を知る人間からは絶対に出ない褒め言葉を受けて上機嫌なキリルへ、アメリーはこんなことを尋ねた。

「ねえ、騎士様」

「何でしょう?」

「あなたも……心配してしまうご友人には思うところがあるのではなくて? 私のように」

 そう言ってから、アメリーは隣を歩くキリルから目を逸らした。聞いてはいけなかったのではないか、と後悔したのだろう。

 ところが、キリルは馬鹿正直に本心から答えた。

「それがよく分からず、二の足を踏んでおります」

「あら、まあ」

「日々悩んでいるのですが、うーむ」

 そのときのアメリーの目は、同志片思い中の誰かを見つけた喜びで一瞬だけ輝いていたのだが、キリルはすっかり見逃していた。

 アメリーの問いで、キリルはエリカとの記憶を脳内から若干掘り返す。聡明な才女だが、割と人使いが荒く、行動力があるため放っておけない。市場で海千山千の商人相手に値切る貴族令嬢など聞いたこともなく、王子の病を治しておきながら大して褒賞を求めることもない、そのくせよく実家や友人のことで困っては独りで呻いている。見も知らぬ相手でも人助けはするくせに、誰かに自分を助けてもらおうとは思ってもいない、変な令嬢だ。

 果たしてそれは自己犠牲の括りに入るのか、それともただ単にお人好しなのか。少なくとも、キリルはそんなエリカを好意的に見ていた。むしろ、尊敬の念さえ抱いている。

 だからこそ、()と考えてしまって、そこで思考が停止するのだ。というものがある、とキリルは律儀に考えている。そこが余人には理解しがたいキリルの妙な性分であり——その答えが出ないかぎり絶対に一線を踏み越えない、たかだか自分の感情ごときに惑わされない鋼のメンタルが形成された原因だった。この男、奥手なのではなく、実は考えすぎなのである。

 そうこうしているうちに、古の神殿のような石柱が立ち並ぶ廊下に辿り着いていた。石灰石の壁は年代を経た風化をしており、まるで遺跡からそのまま持ってきたかのような代物だ。

 ベルマンが石灰石の壁に嵌め込まれた無数の宝石の一つに触れると、壁が水面のようにさざめき、真新しい青銅の扉が現れた。

「こちらのお部屋でございます。お帰りの際は、どの廊下にも必ず設置してあるベルを鳴らしていただければすぐに案内係が駆けつけますので、どうぞご利用くださいませ」

「うむ、感謝する」

 ベルマンが扉を開け、キリルとアメリーが順番に入室する。

 そこは、見慣れた様式の個室だ。ライトベージュの壁紙、ニス塗りの木製の柱、唐草模様の絨毯。姿見の大きな鏡と、三つの逆L字ハンガーラック、三面鏡と魔法道具による明るい照明灯が備え付けられたメイク用のドレッサー、誰も座っていないクッション付きの椅子。

 見回せば、すぐにキリルはエリカを見つけた。入室用の扉とは違う、別の閉まっている扉に左耳をくっつけて、身じろぎ一つしない。何かに集中しているエリカはよく固まっているが、それなのだとすぐにキリルは察した。

「エリカ、何をしている?」

 さすがに声は耳に届き、エリカはキリルのほうへと振り返る。

 だが、その後ろに——予想だにしなかったアメリーの姿を見つけて、淑女にあるまじき驚愕の表情となる。

「え!? な、何で、アメリーが一緒にいるの!?」

 その瞬間、扉の向こうから女性の叫ぶ声が響いた。

「……違うのッ!」

 エリカ、キリル、アメリーの三人は、一様に目を見開く。

 心底虚を突かれたとばかりのエリカの様子から、只事ではないとキリルが直感的に判断するまで一秒もかかっていない。

 キリルはエリカが耳をくっつけていた扉へと大股で近づく。

「そちらの部屋で何かあったのか?」

「あ、ちょっと、開けちゃダメ!」

 扉のドアノブを、エリカとキリルが同時に掴んだ。

 同時に、わずかでも力の加わったドアノブは、閉ざされた隣室への道を開けるべきだと判断したらしい。

 音もなく、扉は容易に押し開かれた。そしてそのまま、エリカとキリルは隣室のVIPルームへとなだれ込む。

「うわっ、っととと」

「押さないでよ! もう!」

 ドアノブを掴んだキリルが踏ん張り、扉は半開ほどで止まった。一方で、エリカはドアノブにしがみつくように、最後まで侵入を拒絶するようになんとか踏みとどまろうとしたが、一歩だけ赤い絨毯の上に踏み出してしまっていた。

 無駄な足掻きだと悟ってエリカが顔を上げた、その先には——。

 古典的な上質の客間にあるテーブルには、まだ前菜と食前酒しか並べられていなかった。二人で使うには広すぎるし天井が高すぎる、そんな暗色の円柱形のVIPルームには、無数の小さなシャンデリアが天井から吊るされて星々のようにきらめく。窓の外は森林と湖が夕霧の中に沈み、王都では見られない遠大な雪冠の山脈に夜空がかかっている。

 そんな中、給仕がおもむろにカート上の次の料理をセッティングしている。ちらりと控え室から飛び出してきた二人を見たものの、給仕は関係ないとばかりに顔を逸らす。客の事情に干渉しない、それが彼らの鉄則だ。

 テーブルにはベルナデッタ、そしてエルノルドが着席していた。何か言いたげに、かつ、驚きのあまり固まったまま、二人は闖入者たちへ顔を向けて黙っていた。

「……」

「……」

「……」

「……」

 エリカの背後に、状況を窺おうとアメリーがそろりとやってきて、それを見たエルノルドが正気に戻って叫んだ。

「エ、エリカ!? そこにいたのか!? いや、アメリーも一緒に!?」

 エリカとベルナデッタが視線を交わす。この状況はまずい、と認識を共有して、それからエリカはキリルを指差して「こいつのせいだ」と声なく訴える。しかし、それどころではない。

 アメリーが一歩、また一歩と進み出て、テーブル横にやってきた。

 アメリーの首が、かすかに動いた。ベルナデッタを見て、それからエルノルドへ、震える声を振り絞る。

「どういうこと……?」

 アメリーの問いかけの意味を正確に理解したのは、その場にいた人間の中ではエリカとベルナデッタのみだ。

 エルノルドに恋して、ベルナデッタを嫌う貴族令嬢の深緑の瞳には、堪えきれない涙が浮かびつつあった。

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