別にエリカはこの乱痴気騒ぎを引き起こしたくて引き起こしたわけではなく、ちゃんと目的は他にあった。
ただ、それはベルナデッタもキリルも承知の上のはずなのだが、今まさに事態を進展させられるのはエリカしかいない状況だ。仕方なく、エリカはポケットから木綿のハンカチを取り出し、ベルナデッタの顔を拭く。
「はいはい、泣かないの、ベル」
「ううぅぅ……! あの分からず屋、どうにかしてよお姉様!」
「あっちはエルノルドが何とかするわ。ベル、それより本来の目的を思い出してほしいんだけれど」
ベルナデッタは一瞬呆けて、それから衝撃が走ったかのような表情で両手を叩いた。
「そうだった!
なんでそこで口走るの、とエリカはベルナデッタの口を塞ぎたかったが、もう遅い。
嗚咽が収まってきたアメリーとその両肩を支えて捕まえているエルノルドが、エリカたちを見ていた。
一応はこの世界でも注射器による採血は行われているのだが——あくまでそれは病人に対してだけで、一般的には血液はまじないか何かの『
「ど、どういうこと!? 私の血液を、どうするの!? まさか、『
「違う違う! 『
「騙されないわ! もううんざり!」
アメリーは金切り声を上げて拒絶する。どうやら、説得は困難だ。
であれば、すでに打ち合わせていたとおり、
疑われて抵抗される前に、事を終わらせる。ただそれだけである。
エリカとキリルは、行動を開始した。具体的にはエリカがアメリーの後ろに、キリルがエルノルドの後ろにやってきて、二人の頭と首を掴む。
「エルノルド!」
「何だ!?」
「はい、覚悟決めて! せーの!」
エリカは——アメリーの頭を、キリルが固定しているエルノルドの顔へと押し付ける。
大丈夫、狙いは定まっている。頭蓋骨や歯がぶつかる前に、アメリーの唇がエルノルドの唇を捉えた感触が、エリカにも伝わってきた。
プランB、つまりはエルノルドとアメリーを(物理的に)くっつけつつ、既成事実とショックを生み出す荒技だ。
「!?!??!?」
「!!?!?!?」
声にならない悲鳴が、強制キスによって二人の喉の震えでエリカとキリルにも察知できているのだが、容赦しない。
「はい採血しまーす。ちょっと我慢してねー」
エリカはアメリーから離れ、素早く用意していた極細の針を内部に備える特殊な注射器を構えた。アメリーのブラウスの袖を捲り、左腕の二の腕へとグッと押し付ける。
もともと、エリカは医療従事者ではないため、生体に対する注射器の扱いは苦手だ。だが、それなら医療経験がなくても使える注射器を使えばいい、ということだ。元の世界では糖尿病患者が使う血糖自己測定器を模倣して開発したもので、一見針もなくただの太めのペンにしか見えないが、皮膚に押し付けると極細の針が出て血液をごく少量吸い取り、ほぼ無痛で簡単に採血できる仕組みになっている。
いきなりのキスで固まったままのアメリーは、呻き声ひとつ上げずに黙ったままだ。それはそれでエリカにとっては都合がいい、エリカは注射器を離し、中に血液が確保されていることを確認して、アメリーから完全に手を放した。
「よし。これで
もうキリルも手を離しているため、二人とも自由の身になっているのだが、アメリーとエルノルドはキスしたまま未だ身動きも取れずにいる。そして、エリカはこれ幸い、事前の打ち合わせどおりに言うだけ言ってシュバっと修羅場であるVIPルームから控え室へ離脱する。
もちろん、正気に戻ったベルナデッタとキリルも、である。
「それじゃ、私もこれで!」
「俺も失礼する!」
キリルは
ここから先は、エリカたちは知らない出来事だ。
エルノルドとアメリーはまもなくゆっくりと離れ、しばし呆然としたまま、互いから目を逸らしていた。
「……」
「……」
おそらくは人生で初めての、羞恥とも侮辱とも違う感情下で起きた——気恥ずかしさにまみれたキスだ。家族や礼儀で受けるものとは違って、さっきまで胸中を占めていた気持ちのすべてが吹っ飛ぶような衝撃を与えられ、何を言うべきかなんて分かりようがない。
それでも、アメリーは赤らめた頬を見せないように顔を逸らして、エルノルドへか細い声で尋ねようとする。
「エルノルド、どうして……ええと」
アメリーははっと気付いた。
エルノルドが頭を抱え、激しく俯いているのだ。それを見てしまっては、ベルナデッタへの告白も先ほどまでの感情の昂りも、もはや何もかも色褪せてしまい、アメリーはおもむろにエルノルドへの同情心が芽生える。
「……すまない、少し落ち着いてから話をさせてくれ」
「え、ええ」
情けなく俯いたままのエルノルドへ、アメリーはかける言葉もない。
一応は、現状はアメリーにとっては朗報だ。エルノルドによるベルナデッタへの告白は失敗に終わり、アメリーとは既成事実ともいうべきキスを交わした。秘めていた恋心はこの機会を逃すつもりなどない。
ただ、それを素直に喜べる気分にはなれなかっただけだ。
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