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第19話 事件なのです-1

 これは三つ星ホテル『ノクテュルヌ』併設レストランのVIPルームで、すでにが起きた後の光景である。



 そのとき、エリカは体育座りをしていた。隣にはキリルが無の表情で同じく体育座りをしている。

 目の前では大変な出来事が起きてしまったが、だからといって何ができるわけでもなく、その件に関しては部外者はただ黙って様子を窺うのみである。

 何せ——やらかした痴情のもつれ、三角関係の末の事件なのだから。

 そう思うと、何だかエリカも遠い目をしたくなるし、本音を言えば帰りたい。だが、それは出来ない相談だ。

「ねえ、キリル」

「何だ?」

 ふっ、と乾いた笑いが口から漏れ出て、エリカは現実から目を逸らすように俯いた。

「私、何を間違ったんだろう……」

「……分からん。よかれと思ったはず、だったような」

「そのつもりだったのに」

 そう、あくまでエリカは「よかれと思って」、「ベルナデッタとエルノルドの夕食会」を応援し、色々と準備や策略を練っていたのだ。キリルがここにいるのもその一環で、エリカは当人たちより先に三つ星ホテル『ノクテュルヌ』併設レストランのVIPルーム隣室で待ち構えていた——もちろん邪魔をするためではなく、あくまでエリカの目的を達するためだ。

 ただ、少しばかり予定外が重なり、エリカの手元にはボストンバッグいっぱいの護符アミュレットがあり、仕事中であることを示す騎士礼服のままのキリルがいて、床には細かな木工細工が施された椅子が二脚とも倒れ、そして

「うわああああん! あなたなんか大っ嫌い!」

「うるさいうるさい! 私の気も知らないで、泣いてばっかり!」

「二人とも、落ち着いてくれ! 頼むから!」

 紫とベルベットの似合う美女がギャン泣きして、子どものような語彙の罵倒を口にする。もう一人の美女は、金髪の巻き髪を大きく振ってやはり子どものような泣きっ面で叫び、ライトグレーのイブニングドレスが一部破けていた。

 その二人をどうにか宥めようとするハンサムな青年は、こんな事態にまったく慣れていないのか、普段の凛々しさと険しさはどこかへ飛んでいき、おろおろするばかりだ。

 その光景を見て、エリカは思う。

(あれだわ、あれ。子どものころにちゃんと同年代とのケンカの仕方を学んでなかったら、面子もプライドもない場面では幼稚園児みたいな口喧嘩しかできないわ、そりゃ……厳しく育てられたってお貴族様だしね。仲裁なんてやったこともないだろうし)

 まるで他人事だが、実際エリカにとっては他人事である。大人の諍いなら間に入って理路整然と諭し、もしくは感情が落ち着いたころに気を逸らせば何とかなる。だが、感情が爆発した幼稚園児相手に、筋道立った話なんて通じないのだ。危険がないなら、ベルナデッタとアメリーが泣き疲れるまで放っておくしかない。気の毒ではあるが、それを知らないエルノルドが勝手に慌てふためているだけである。

 そんなことより、エリカは氷がひび割れるかのような甲高い破裂音を捉えた。

 すぐにエリカはボストンバッグへ目を向ける。

「あ、護符アミュレットが割れてる」

 開いた蓋の中にあるたくさんの護符アミュレットが、今も現在進行形で一つずつ嵌め込まれた特殊なガラス玉が割れていっているのを確認する。

 護符アミュレットといえば『のろい』の予防策としてもっともポピュラーな道具であり、異常な魔力反応の接近を検知して吸い寄せることができるわけだが、つまるところ、

 これには、キリルが真面目な表情を取り戻した。

「む! ということは、『のろい』が発生した!? いや、防げたのか、よかった」

「そうみたいね。えーと、護符アミュレットいくつ持ってきたの?」

「王城で目につく分をありったけ持ってきた。殿下の許可は得ているぞ!」

「もう、ちゃんと数えててよ。壊れたのはどけといて」

 美女二人の泣き声がこだまする室内でも、エリカとキリルは粛々と務めを果たす。何せ命がかかっているのだ、それどころではない。

 『のろい』を受けて壊れた護符アミュレットをざっと数えつつ、エリカはふと疑問が脳裏に浮かび、キリルへ問いかけた。

「ねえ、キリル。『のろい』ってノーリスクでかけられるものじゃないはずよね?」

「それは魔法使いも『のろい』の行使で何かを犠牲にしている、ということか?」

「魔力とか、生贄とか、体力とか? 寿命かも。でも、魔法使いによって『のろい』の仕組みが違うから、これと決まったものはないんだけれど」

「うーむ。俺は確かに門外漢だが、それにしても、あまりにも知らないことが多すぎるな……」

「そうなのよね。どうしたらいいんだろう」

 バッグ内には壊れたものが一つ、二つ、面倒だ、数えるのも億劫なほどたくさん。無事な護符アミュレットはまだまだある、しかしこれはいくつ分の『のろい』を受けた結果なのだろう。継続してアメリーの血統にかけられてきたと思しき『のろい』の残滓はこれでなくなったのだろうか? それとも、まだ『のろい』は残っているのだろうか? それさえも、エリカを含め魔法使い以外には分からない。

 ただ、魔法使いも『のろい』の行使に何の制限もない、ということはないだろう。でなければ、護符アミュレット防がれようが相手が死ぬまで『のろい』をかけつづければいい。それをしていない以上、何らかの対価が必要であって——とエリカが真剣に『のろい』の考察を始めていた矢先のことだ。

 エルノルドが普段とはまったく血相を変えて、エリカのもとへやってきた。

「エリカ!」

「え、何?」

「早く二人を泣き止ませてくれ。どうすればいいか分からない」

 初めての婚約者からの頼みを、エリカは遠慮なく断った。

「それはさ、エルノルドが責任を持ってやるべきでしょう?」

「だから、できないから頼んでいるんだ」

「それって頼みごとをする態度じゃないと思うわ」

 頑としたエリカの態度に多少エルノルドが怯んだところで、エリカはトドメを刺す。ついさっきの出来事を蒸し返してやったのだ。

「第一、仮にも婚約者の私の前で、「ベルナデッタ、好きだ」……なんてよく言えたよわね?」

「そ、それは」

 自身の失態を思い出してしどろもどろになるエルノルドは、とても貴重だ。内心ちょっと愉快なエリカは、エリカが部屋に潜んでいるとも知らずにベルナデッタへ告白した青年でもっと遊びたいところだが、己の立場は理解している。エルノルドは婚約者であるエリカを愛してなんかいない、エリカもまたエルノルドへの恋心はなきに等しい。

 であれば、余計な恨みを買うこともないだろう。意地悪く遊びたいのを我慢して、エリカは助け舟を出す。

「はいはい、分かってますよ。私のことなんか路傍の石ころ程度にしか思っていないんでしょう? いいっていいって、私だってカケラも好かれてないって分かってるから」

「こんなときに拗ねてもどうしようもないだろう、とにかく」

 そのに至っても上から目線で傲慢な態度は、さすがに業腹だ。

 立ち上がりながら、エリカは思わず、声を荒げた。

「アメリーを泣かせたのはあなたでしょうが! ベルナデッタは私が面倒見るから、そっちは自分で何とかして!」

 ふん、とエリカは鼻を鳴らす。エルノルド婚約者の顔色を窺うことなんてない、わがままで自分勝手な女性だと思われようとどうだってよかった。

 エルノルドを見返すこともなく、エリカはぺたんと床に座り込んで地団駄を踏んでいるベルナデッタのそばにしゃがむ。

 涙に滲んでもはやぐしゃぐしゃな化粧も、台無しになったイブニングドレスも、ベルナデッタを飾り立てることはなく、彼女の最悪最低な気分を表しているかのようだ。

(今まで味わったことのないような、他人の婚約者からの告白と乱入者からの罵倒叱責、それに口喧嘩。今のベルの姿は、誰にも見せられないわね……本人だってもうベッドに入って寝たいだろうし、さっさと連れて帰らないと)

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