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第18話 犬猿の仲、不倶戴天-2

 魔法使いの歴史を、魔法使いであるロイスルが知らないはずがない。ノクタニア王国がなぜ魔法使いを権力の中枢である王城に呼ばないのか、なぜただの伯爵家に留め置いているのか、なぜ有害な『のろい』を放置しているのか。それらの疑問すべてにノクタニア王国が直接回答したわけではないが、少し歴史を知っていれば察しはつく。

 はるか昔、魔法使いは、ノクタニア王国に屈服したのだ。妖精やドワーフの大半が人間の支配するノクタニア王国領から立ち去ったことと違って、魔法使いは人間社会に残ることを選んだ。それはすなわち、が王族であるノクタニア王国の支配下に入ることを意味し、から服従を迫られた過去があったことの証明だった。

 魔法使いたちは、『のろい』で国王を脅し、国政を意のままに操る——などということはできないのだ。

 やってしまえば、ノクタニア王国から魔法使いは消滅するだろう。貴族として数多の特権を得ているにもかかわらず、手放すような真似はもうできない。何百年とこの国に根差してしまった以上、トネルダ伯爵家をはじめとする魔法使いの家門は規模の大小こそあれノクタニア王国に依存せざるをえない状況に陥っている。

「言っておくが、俺に『のろい』をかけたければ遠慮なくするといい。それを証拠に、トネルダ伯爵家を二度と日の目を見れないよう徹底的に潰してやる。たとえ俺が死のうと、だ」

 エルノルドは啖呵を切る。それは決してただの脅しではない、自身に『のろい』さえかけられたならば、魔法使いを追い詰める方法はいくらでもある。だからこそ、魔法使い——ロイスルたちは、誰も彼もに『のろい』をかけられない。『のろい』をかけても問題ない無防備で無抵抗な人間にしかかけられないのだ。『のろい』の存在など頭から消え去っているような、飽食と悦楽で平和ボケをした貴族など格好の餌食、というわけだ。

 ロイスルがエルノルドへ声をかけてきたのも、『のろい』だけでは屈服させられない相手だと分かっているからだ。そうだと分かっていれば、怖くなどない。むしろ、下手したてに出てきているのだから、ここで怯えてはロイスルを調子づかせるだけだ。

 猛禽類のように鋭い目が、射抜かんばかりに若い魔法使いを睨む。

 睨まれた側は、怯えるどころか恍惚と敵意に満ちた目で迎える。

 やがて、ロイスルは堪えきれないように、哄笑した。

「ふふっ、あははははっ! ムカつくなぁ、相変わらず君は腹立たしくてたまらない! 意気軒昂、傲岸不遜、!?」

「好きに解釈しろ。できるものならな」

「そうさせてもらうさ! ははははは!」

 出口へと足を動かしたのは、エルノルドだった。これ以上、ここにいても何の得もない。

 不幸中の幸いか、

 ——おそらく、ロイスルはエーレンベルク公爵家の、いわゆる『公爵家の悲劇』について概ね知っている。

 ロイスルの捨て台詞のような言葉の中にも、エルノルドの生まれを揶揄する言葉は含まれていた。ニカノール伯爵家のおおらかで穏やかな気風と異なるエルノルドを、陰で口さがなく罵る人間たちは今までいくらでもいた。だが、ニカノール伯爵家の親子関係までも疑うような踏み込んだ台詞を吐こうと思ったであろう人間はごくわずかだった。

 息の詰まる小劇場の扉は開いたまま、大音量の歌劇が始まろうとしていた。

 エルノルドは少し、夜道を歩くことにした。

 こんなときでも、明日の夜を思えば気が晴れる。

「……しっかりしろ、エルノルド。明日は失敗できないぞ」

 エルノルドは、頬が緩みそうな自分に喝を入れながら、明るい繁華街の先にある大通りを目指す。

 劇場やその関係店が軒を連ねるこの地区は、王都でも指折りの華やかな場所だ。夜でも灯りは絶えず、ランプだけでなく最近は魔法道具が広く普及し、中にはノルベルタ財閥の開発した次世代魔法道具『複合型魔法装置マルチツール』で以前よりはるかにきらびやかに、どこまでも照らしてしまえるようになった。

 その開発に噛んでいるのがベルナデッタ・ノルベルタだと聞いたとき、エルノルドは不思議な高揚感を覚えた。嬉しさ、驚き、そして誇らしさが去来し、やっと気付いた。

 ——自分はやはり、ベルナデッタが好きなのだ。

 それまではなぜベルナデッタが好きなのか、と尋ねられても答えられなかった。漠然と惹かれているだけだと思い、誰にも話せずその気持ちは胸にしまっておいた。しかし、ノルベルタ財閥の隆盛とともにその中心人物としてベルナデッタの名が新聞や紳士淑女の噂話でもてはやされるたび、ついそちらに気を取られてしまう。ベルナデッタの名前を聞くだけで反応するほどだ、犬ではないのだからと自制し、エルノルドはひたすらに隠し通してきたのだが——まさか、ベルナデッタがまったく好きでもない自身の婚約者エリカの友人だったとは。しかも、かなり親しげだったため、この機会を逃す手はなかった。

 婚約者の働くルカ=コスマ魔法薬局へ、理由をつけて訪れてはベルナデッタを探す。幸いにもエリカは何も言わなかったし、ベルナデッタもエルノルドを拒絶まではしなかった。だが、踏み込んだ仲には未だなれないまま、ここから進展もなくエリカとの結婚を迎えるかと思いきや、ベルナデッタからの夕食の誘いだ。

 おそらく、このノクタニア王国一の才女であるベルナデッタは、交際の申込など無数にあり、掃いて捨てるほど男が群がっているに違いない。彼女の身分は平民だが、その功績からいずれノルベルタ家が叙爵されることは間違いない。ノクタニア王国へそれだけの貢献をしている。それに、エルノルドは身分の上下など気にしない。そこはニカノール伯爵家のおおらかな家風の中で育ったことが大きかった。

 それよりも、この平和なご時世に多くの技術革新ブレイクスルーを引き起こし、やがては国を代表する商人になるであろうベルナデッタとノルベルタ家が、果たして一国の器に収まる程度で済むだろうか? 

 もっともっと、すごいことを成し遂げてしまうのではないか?

 そう考えると、エルノルドは少年のようにワクワクが止まらなくなる。自分もその高みに追いつきたいと野心が露わになり、一時とはいえ、ついエーレンベルク公爵家への復讐を忘れてしまうほどだ。

 今まで、心の底から復讐を望んできたエルノルドは、深みにはまるようにその険しい道を好き好んで歩んでいた。真相に迫るたびいきどおり、やるせない己に失望し、この世の中を変えるような力を欲してきた。いつそれが嗅ぎつけられて、エーレンベルク公爵家が指図をしてくるのではないか、と戦々恐々しつつも迎え撃とうと準備をしてきた。両親に頼れず、使用人を巻き込まず、伯爵家の外で商会を作って勢力拡大に漕ぎ着けるまでどれほどの時間がかかったか。

 その苦心を知っているからこそ、エルノルドはベルナデッタの歩んできた道が決して平坦で楽なものではなかっただろう、と感心しているのだ。

 それに……ベルナデッタのように強くて前を向く女性の存在が、もしかするとエルノルドの実母エレアノールのように弱い女性を解放する一助となるかもしれない。そんな考えも頭をよぎり、そこまでは期待をしすぎてはいけないと自戒する。

 エルノルドは、ベルナデッタに対して英雄のように憧れると同時に、尊敬に近い好意を抱いていた。たまたまベルナデッタが女性で、平民だっただけで、彼女を構成する先天性社会的要素よりも、彼女自身が石積みのように築いてきた実績を曇りなきまなこで見惚れ、純粋に目標としているのは——少々子どもっぽいが、掛け値なしに尊い感情だろう。もしエルノルドの親族友人の誰かがそれを知れば、あまりの意外さに自らの耳目を疑い、聞かなかったことにすること請け合いだ。

 街灯からぶら下がる旗の先端飾られた宝石のような灯りが、イルミネーションのように淡い色合いで光る。その下で人々は夕食を摂り、果実酒を嗜み、おしゃべりに興じる。全体的に貴族平民の身分を問わず男性の割合が多く、連れている女性はその多くが勲章扱いの新人舞台女優や娼婦たちだ。家庭のある女性は夜更けに外へ出る習慣がなく、もっぱら酒を飲んで暴れるのは男性だ。

 それが悪いわけではない、ここにいる誰もが平和を享受している。だが、エルノルドは舌打ちを我慢して、通り抜けた。

 彼らを不愉快だと思うのは、エルノルドの狭量さと傲慢さが原因だ。そのくらいのことは分かっていた。

 ただ、陰で貧しく苦しむ人々を救おうともせず、己のための享楽に耽るいい年をした大人を見て、若者が失望を隠せないのは責められるべきことではない。それに、その最たる例であるこの国の最高権力者の一人エーレンベルク公爵を誰も叱責できない時点で、貴族にも大人にも希望を見出せないのは当然なのだ。

 ——もしかすると、この気持ちはベルナデッタには理解されないかもしれない。いや、どうだろうか。

 ふと悶々とエルノルドは悩み、青少年らしく困惑する。今までなかった恋の悩みは、別の意味で誰にも相談できない。

 大通りに近くなったころ、エルノルドは小道を見つけ、覗き込む。すれ違う際に肩が触れ合うほど狭い路地裏の小さな商店街は、一丁前にもガラス張りのアーケードを持っていた。小道に面した店舗からは焼き菓子の匂いが漂ってくる、かすかに香水や草花の香りも混ざり、おそらく大通りに面したカフェやサロンに出入りする客たちが土産として買っていくのだろう。

 ちょっとした好奇心から、エルノルドは小道に足を運ぶ。ここもやはり魔法道具の照明によって真昼のように明るく、アーケードのガラスは照明の光によって白く染まっていた。掃除の行き届いた軒先には商品は並べられず、きっちりと店舗の中にしまわれている。ただでさえ狭い道を共有するのだから、ちゃんと取り決めがあるのだろう。

 王都の歓楽街にもこれほどしっかりとした場所があるのか——感心したエルノルドは、花屋のガラス扉を開いた。薄い色のステンドグラスが嵌め込まれた扉は二輪のバラをかたどっていた。

 壁の棚や床中に置かれた、売り物の花を活けた樽からむせかえるような新鮮な花の香りが充満した店内に、店主であろう壮年の男性がエプロンをしてしゃがみ、水を換えていた。季節的に赤や白のバラが多いが、ユリやエーデルワイスも負けじと大きなつぼみをつけている。

 来客に気付いた店主が、やっと顔を上げ、立ち上がった。

「いらっしゃいませ。ご入用の花はお決まりですか?」

 人畜無害そうに柔和な笑みを浮かべた店主は、エルノルドの身なりの良さなど気にせず、自分の腰を叩いていた。歓楽街に近いここでは、貴族だって珍しくなく、老若男女さまざまな客が訪れるのだろう。

 最初は無目的に店へ入ってきたエルノルドだったが、明日に備えて花束を買っておいてもいいのではないか、と花を買う気になった。あまりにも、店中に咲き誇る花々が見事だったせいもある。

「適当に二、三輪ほど、包んでもらいたいんだが」

「どなたにお渡ししますか? もしご家族や恋人であれば定番のバラがよろしいかと。今が旬ですから、綺麗ですよ」

「いや、うぅん……それは……」

 エルノルドは、いきなりバラの花束を渡されてたベルナデッタの反応を予想しようとする。やはり、愛を伝えるような花を渡すのは、もう少し仲がよくなってからのほうがいい。妙に尻込みしたエルノルドは、キョロキョロと代替となる花を探す。

 そして、見つけた。小さな青い花がいくつか付いたそれを指差した。

「その青い花は?」

「ああ、デルフィニウムですね。これならスモークツリーもお付けしますよ」

「じゃあ、それを頼む」

 デルフィニウムもスモークツリーも、聞いた覚えがあるようなないような花の名前だった。とはいえ、自分が選ぶよりも、花屋に任せておけば悪くはならないだろう。

 手早く店主が細い花束を作り、エルノルドへ見せる。

 真ん中の青い花を包むように、白いふわふわとした綿毛を持つ細い枝が添えられている。茶色の油紙で包まれた花束には、赤のリボンが結ばれていた。

 青い花は確かに可憐で美しいのだが、何とも面妖な綿毛の木に目が行く。

「個性的な花束だな」

「目を惹くでしょう?」

「まあ、いいか」

 ベルナデッタの好みが分からない以上、悩んでも仕方がない。エルノルドは代金として銅貨を五枚ほど店主に渡し、花束を受け取る。

 柔和な笑みの店主は、エルノルドを店から送り出した。

「またのお越しを」

 店を出てから、エルノルドはもう一度腕の中の花束を見る。

 華やか、というわけではないが、青の可憐さと白の奇妙さは物珍しい。

 ——そういえば、初めてプレゼントを女性に贈ることになるのか。さて、これがベルナデッタのお気に召すのかは、明日の夕方まで分からない。

 少しばかりの不安と待ち遠しさとともに、エルノルドは小道を抜けて大通りへと戻っていった。

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