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第17話 誘い誘われ罪悪感

 私はついに、悪人になってしまったかもしれない——エリカは特定の誰かへというわけではないが、懺悔したくてたまらなかった。

 解呪薬リカース開発のためとはいえ、婚約者エルノルドを通じてアメリーの血液を手に入れようと企んでいるのだ。

 もちろん、エリカにエルノルドを動かす力はない。何を言ったところで無碍に扱われるだけと分かっている。

 だから——食事にでも誘ってエルノルドを何らかの形で説得あるいは利用しよう、というベルナデッタからの提案を、エリカは呑んでしまったのだ。

 もちろん最初はエリカも拒否した。ベルナデッタへ対してエルノルドの抱く好意につけ込んで、という手段に嫌悪感を抱いただけでなく、あろうことか自分を慕うベルナデッタを利用してまでやることではないと主張した。

 エリカは確かにそう主張したのだが、当のベルナデッタはやる気満々だった。

「安心して、お姉様! これも解呪薬リカース開発のため、ひいては少しでも『のろい』の被害を最小限に抑えてこの国の未来を変えるためよ。もちろん、そんな大義名分があってもエルノルドを利用することには違いないわ。悪いとは思う、でも、そのエルノルドだって『のろい』をかけられる可能性はあるし、解呪薬リカースがあれば助けられるかもしれない。もっと多くの人だって同じよ。だったら、私は悪女と罵られたってやるわ……!」

「ベル……」

 そこまで言われてしまえば、エリカは反対しきれない。

 もともと、エリカは前世の職業柄、誰かを救うためには何でもする、という大義名分を、倫理的に問題はあろうとも否定できないのだ。今の魔法薬調剤師という仕事はまだマシだが——『一つの薬を作ることで誰かの命、ひいては同じ病気にかかるであろう大勢の人々の命を救うことができる』のであれば、と考える人間は

 なぜなら、命を天秤にかけているからだ。己の命も、犠牲になる誰かの命も、救える大勢の命もすべて天秤にかけた上で、大勢の命のためになる道を選んでいる。だが、それは本来、なのだ。そんなことはしてはいけない、少なくともエリカのいた現代日本ではそうなっていた。人間の命の価値はみな平等である、だから天秤にかけてはいけない。だったら、哲学のトロッコ問題などどうなる? ——あれは救える命の多寡を選択することが目的なのではなく、その問題の意義討議や実際の出来事との比較追求を目的としたものだ。それぞれの倫理観を批判するためのものでは決してない。

 だから、エルノルドの恋を犠牲にして、さらにはアメリーの血液を——語弊はあるかもしれないが——奪ってまで解呪薬リカースを開発すべきか。そう問われたならば、エリカは卑怯にも沈黙か、ゆっくり首を横に振ることしかできなかっただろう。

 しかし、ベルナデッタは違う。たとえ犠牲があっても、解呪薬リカース開発は推進すべきだと言ってくれた。は自分の手で払うとまで宣言して、だ。

 であれば、エリカだけが逃げるわけにはいかない。

「分かった。私も、やるわ! エルノルドを騙してアメリーの血液を奪ってやる!」

「待ってお姉様、落ち着いて? そこまで悪どくするつもりはないわ!」

「いーや、やると言ったらやるの! ところで悪女ってどうすればいい? おーほっほっほ、とか笑えばいいの?」

「それは私がするのだってば!」

「だから、私もするの!」

 などと興奮しすぎて当初の目的を忘れかけたものの、エリカとベルナデッタは解呪薬リカース開発のために今一度手を組んだのだ。

 それが時間を経るにつれ、だんだんと後悔の念も出てくるもので、エリカは散々悩んだが、ついにその日が来た。

 夏の空気が漂う夕暮れ、エリカの退勤時間直前になって、ベルナデッタが慌ててルカ=コスマ魔法薬局へやってきた。

「来たわ、お姉様! エルノルドから返事が!」

 魔法薬局のカウンターで領収書の整理をしていたエリカは、仕事を放り出してベルナデッタへ食い気味に尋ねる。

「どうだった!?」

「ノクテュルヌでの食事、承諾を得られたわ! 明日、エルノルドと夕食会よ!」

「やったぁ! これで一歩前進ね!」

「ええ! ひとまず安心したわ!」

 エリカは柱時計を見る。あと数分で当番は代わり、エリカは仕事を終えて中に引っ込むことができる。

 その数分がどれほど長く感じたことか。薬局の奥から出てきた当番の魔法薬剤師にすぐさまバトンタッチして、エリカとベルナデッタは当直室へ駆け込む。

 しっかり扉を閉めて、足の踏み場もない書籍の山と調剤器具を慎重にかき分け、ソファ代わりのベッドにようやく腰掛けてから、ヒソヒソと話の続きに移る。

「でも、上手くことが運んだとしても、どうやってアメリーへ「あなたの血が欲しい」って切り出せばいいのかしら……?」

「うーん……正直に話してもいいけど、承諾してくれるとはとても思えないし」

「そうよね。あなたの血に先祖代々の『のろい』が残っています——なんて言われたら、普通はその時点で悲鳴を上げて必死に否定すると思うの、お姉様」

 それはもっともすぎる話だ。ただでさえ『のろい』を受けるという不名誉を隠したがる貴族にとっては、汚点以外何者でもないし、子孫の自分にも『のろい』の影響があるかもしれないと殊更恐怖を煽るだけだ。冷静に話し合ったとしても、あまり変わらないだろう。

 となると、素直に事情を話すことは避けたい。何かの理由をつけて、自然を装った採血に持ち込むしかないのだ。

「薬で眠らせて、その間に採血する?」

「それはもう完全に犯罪だと思うわ」

「じゃあ、健康診断だと言って」

「エルノルドからアメリーへ健康診断を勧めさせる、ということ?」

「そう、いい機会だからって。知り合いの病院を紹介して、何とかアメリーの採血した血液を入手できれば」

「一応は合法、かしら?」

「まあ、うん、ちゃんと健康診断はするわけだし」

 今更倫理問題を気にするあたり、エリカもベルナデッタも悪女には向いていないが、悪女になる云々の話はもう二人の頭からは消え去っている。それに、健康診断という理由であれば——実際に医師や専門家による診察を兼ねた健康診断を行えば、相手にも利益のあることだ。

 なるほど、いい口実である。これならば、エリカは上手くいきそうな気がした。

 さらに、ベルナデッタは踏み込んだ計画を練る。

「お姉様、一つ提案があるの。先祖にかけられた『のろい』が蓄積している可能性がある、という情報だけをエルノルドの耳に入れて、だからうちの財閥が提携している病院で健康診断をしてはどうか——エルノルドと、彼にとって心配な人がいればその人にも病院を紹介する、というでどうかしら? 多分、アメリーは真っ先に候補に上がると思うの」

「なるほど。ベルがエルノルドを心配している、ついでだから他の心配な人の健康診断もしよう、ってお誘いする形なら自然……しかも、サンプルさえ得られれば『のろい』の蓄積を私が判断できる可能性がある。なら治療にも繋がりえる!」

「そういうこと! それなら、こちらだけ後ろめたい気持ちにならなくて済むわ!」

「ベル、もしかして天才!?」

「そうかも!?」

 二人してまたキャッキャとはしゃぐ。アメリーの血液を手に入れるという難題を解決する、その希望が見えてきた。

 無論、それによって知り得た情報はすべて決して外に漏らしてはならない、とてもデリケートで念入りな下準備が必要となる計画なのだが、ベルナデッタならば実現可能だろう。まずは、エルノルドへ話を持ちかけて上手く説得する。

 そのためには——。

 ふと、エリカの視界の端で、ベルナデッタがなぜか小さく挙手していた。何だろう、その視線を向けた途端、ベルナデッタは語りはじめる。

 とっても、今更なことを。

「お姉様、一ついいかしら?」

「どうしたの?」

「ふふふ……今更すぎることを白状するわ。私、しつこい殿方を袖にするのは慣れているけれど、説得とかおねだりはしたことがないのよ」

 そう言ったベルナデッタは、ちょっと自慢げだった。

 エリカはポカン、とベルナデッタを見つめ、ベルナデッタはその視線に耐えかねたように眉を八の字にして本音を吐露した。

「どうしよう!?」

「はわわ……!」

「明日、エルノルドと会うのにこれってまずくないかしら!?」

 緊急事態に直面してようやく、エリカは思い出す。

(そうだった! ベルナデッタ、別に恋愛経験が豊富なわけじゃない! 派手な外見のお嬢様なのに一途で真面目、寂しがりやで本当は人と仲良くしたいタイプ! むしろ、他人とそういう関係になることに慣れていないから、乙女ゲー『ノクタニアの乙女』が成立するようなものだったーッ!)

 それはもう、乙女ゲーム『ノクタニアの乙女』の根幹に関わる性質の話だった。

 そもそもが、貴族学校時代にエリカがベルナデッタをこうも懐かせるほど仲良くなったことも、ベルナデッタが親しい友人を心から求めていたからこそなのだ。本来なら登場キャラクターたちへ向く感情のことごとくが、エリカへ向けられた挙句の運命のレールゲームシナリオから外れた現状である。

 しかも——あまりにもベルナデッタはエリカに懐いたものだから、他に同性異性を問わず気を許せる友人がほぼいない。人見知りを克服できず、のだ。

(まずい、これ、私のせい? 私のせいだー! どうしよう、どうしよう!?)

 困惑の極みにある今のベルナデッタには、とてもドミニクスルートエンディングの悪辣女王やロイスルルートエンディングの裏社会を牛耳る女主人のように振る舞うことは不可能である。

 ——どうしよう。

 その日、エリカとベルナデッタは、夜が更けてもしばし困惑のまま考え込む羽目に陥ってしまったのだった。

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