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第15話 解呪薬の開発-1

 それからほんの数日、エリカは精神統一しなくては、という境地に辿り着き、とにかくキリルの妄想を振り払うためにあることを決意した。

 ルカ=コスマ魔法薬局の代表である御年三十八歳ふわふわ系女性の『金冠魔法調剤師ゴールドクラウン』リリアン・ナーベリウス局長は、エリカの決意を聞いてこう言った。

「エリカちゃんの言いたいことは分かったわ、許可は出せるけど……本当にいいのね? 貴族だからではなくって、エリカちゃんも淑女よ?」

「はい、それほどまでに開発したい魔法薬があるのだ、と思っていただければ。もちろん、必ず成果が出ると思い上がったりはしませんが、どうしても根を詰めてやらなくてはならない時期もあると、見逃していただきたくて」

「うーん、気持ちは分かるのよ。あなたは優秀だし、結果は出るでしょう。でも、医者の不養生って言葉もあるじゃない?」

「睡眠時間はきっちり八時間取ります。三食の食事も抜かしません」

「それなら大丈夫かしら。約束してちょうだいね、それだけは守るって」

「はい!」

「よろしい。薬局二階の使っていない宿直室と営業時間外の調剤室の使用を許可します。実験機材と材料は、ちゃんと帳簿を付けさえすれば請求したりしないわ。ここに在庫がないものは自力で用意してもらうけれど、いいわね?」

「ありがとうございます! 十分すぎます!」

 エリカの身と外聞を心配するリリアン局長へ、一度もなったことのない体育会系的な元気すぎる返事をして、エリカはルカ=コスマ魔法薬局にことにした。

 こうでもしなければ、雑念を振り払えない。それに、解呪薬リカース開発へ本腰を入れて取り掛からなくてはならない。

(今までの魔法薬とは違って、この世界に存在するかどうかさえ怪しい対『|呪《のろ》い』分野だから結果は出ないかもしれないけれど、やらないわけにはいかないわ。ドミニクス王子だけじゃない、ベルもエルノルドも、『|呪《のろ》い』をかけられてもおかしくない身分なんだから、守らなくっちゃ!)

 そうと決まれば、エリカは手元にある『のろい』関連の古文書や魔法薬学雑誌、教科書、護符アミュレットまで木箱に入れてルカ=コスマ魔法薬局の宿直室へ持ち込み、昼間は受付の仕事をして、夜は解呪薬リカース開発に尽力する生活を始めた。

 困難さゆえに、できれば魔法薬局の同僚や外部の有識者の協力を得たいところだが、どこで妨害を企む魔法使いの家に情報が漏れるか分からないため、あくまでエリカ単独で開発に従事しなくてはならない。

 しかし、前世の薬学とは違って、時間のかかる動物実験や臨床実験をしなくていいことが魔法薬学の強みだ。

 『ノクタニアの乙女』における魔法薬作成のミニゲームには、いくつか法則がある。それに則って二〜八種類の材料の選択、それぞれ一〜十個までの量の調整、三種類の調合手段のどれかを選んでいけば、目的のものが作れる——そういう仕組みが分かっているのなら、片っ端から試すことができる。

(大丈夫! 素直に全部試したらいつまで経っても終わらないけれど、ちゃんとミニゲームらしく法則はある。突然メンデルの法則を持ち出してくるとは思わなかったけれど、よし!)

 やるべきことがここまで単純化されたなら、脇目も振らず走るだけである。ルカ=コスマ魔法薬局の宿直室住まいならば勤務時間外にキリルと出会う可能性はゼロに近く、先日薬を大量に届けたことからしばらくキリルが魔法薬局にやってくる予定もないだろうから邪魔されない。

 こうして、エリカの解呪薬リカース開発が本格的にスタートした。

 だが、その数日後、修行僧のようにひたすら調剤を繰り返すエリカは、ベルナデッタの来訪によってあるヒントを得ることになる。







 宿直室は、簡易二段ベッドとハンガーラックだけが置かれている、はめ込み式の窓が一つあるだけの狭い部屋だ。以前、ルカ=コスマ魔法薬局が二十四時間営業していた時代があり、そのころの名残で休憩室として残されていた。

 今となっては、宿直室の床は人間の背丈ほどもある無数の本の塔が埋め尽くし、ベッドの上にはぐしゃぐしゃの毛布と計算表が散乱し、ついでにエリカが白衣姿のまま床に頭を落として熟睡していた。ベッドで寝ていたものの、途中覚醒して思いついたことを書き記そうとして力尽きた結果である。

 開店前にやってきたベルナデッタが、他の店員に案内されてやってきた宿直室でエリカのその様子を見て、呆れ返っていた。

「もう、何なのこれは! 私の部屋より汚いじゃない!」

 さりげに汚部屋族である自身のプライベートを曝け出してしまっているが、ベルナデッタはそれどころではない。

 ベルナデッタはエリカの頭を両手で抱えてベッドに戻し、叩き起こす。

「ねえ、お姉様? お姉様ったら!」

 甲高い声に鼓膜を叩かれて、エリカはようやくまどろんでいた意識を現実へと浮上させる。

 エリカがのんびり目を開けば、ふわっふわの金髪が視界いっぱいに広がり、ベルナデッタの怒っているような心配しているような顔が見て取れた。

「ベルぅ……?」

「そうよ、珍しくお姉様が店頭にいないから、ここにいると聞いて入れてもらったの!」

「まだ朝でしょ? えっと……開店前のはず」

「そうよ、さあ起きて! 顔を洗って、パジャマを着替えないと遅刻するわ!」

「ふあぁ〜……」

 エリカの間抜けな寝起き声を遮って、ベルナデッタは母親のように急かす。ベルナデッタがやってくるまで、ルカ=コスマ魔法薬局の同僚たちは誰もエリカに干渉しようとはせず放置されていたせいか、新鮮な反応である。

 いつもの白衣と、とりあえずブラウスとスカートを着替えて、エリカは受付係に駆り出され、一旦はベルナデッタは帰っていった。終業後にまた来る、と言い残して。

(ベル、何か急ぎの用事だったのかな……まあいいや、埋め合わせはちゃんとしよっと)

 エリカは、ここ数日解呪薬リカース開発に集中した成果がある程度は得られていたものの、どうにもあと一歩、望んだ結果に近づけないでいた。とはいえ、たった数日で何も成果がないよりはずっとマシ、と気が楽でもある。

 すっかり様子を観察していたらしきリリアン局長に「おやおや、彼女はいいお母さんになりそうだね」と茶化されたこと以外、特段問題もなく終業時間の午後四時を回ると、時計の長針がきっかり四時から角度が一度傾くかどうかという間に、ベルナデッタは再度ルカ=コスマ魔法薬局の扉を開く。

「お仕事ご苦労様、お姉様! さ、少しでいいから外で気分転換をしましょ!」

 そう叫んだのも束の間、ベルナデッタは大あくびをしていたエリカを見て、目を丸くした。

 はしたない顔を見られたエリカは、あくびを噛み殺しながら答える。

「ふあー……ごめん、何だっけ?」

「もう、どうしてそんなにお疲れなの? 大丈夫?」

「うん、まあ、勉強と実験続きで」

 嘘は吐いていない、解呪薬リカース開発のためにエリカが熱心に取り組んでいることは事実だ。ただ、その事実をあまり広めたくないだけである。

 しかし、あまりのエリカの疲れ具合を見抜いてか、ベルナデッタはさらに突っ込んで尋ねてくる。

「ここに泊まり込んでいると聞いたけれど、どうして? そこまですることなの?」

 エリカは答えを濁した。

「……そうね、帰る時間も惜しくて」

 解呪薬リカース開発だ、と馬鹿正直にベルナデッタへ伝えたところで、デメリットばかりではないか。余計な心配をかけたくない、と思っていただけに、エリカはカウンター越しにずいっと身を乗り出してきたベルナデッタの反応が意外すぎた。

「お姉様、私、他には何をすればいい? お姉様のことだから、私に頼めることができるまで、何も言わないつもりだったでしょう? でも、もう大丈夫なはずよね? 私だって成長しているの、できることだって増えてきたわ! 何でも言ってちょうだい、手を貸すから!」

 ベルナデッタは真剣に、まっすぐエリカへ訴えてくる。

 元々、乙女ゲー『ノクタニアの乙女』の看板ヒロインであるベルナデッタは、だ。物語の主人公らしくお人好しで、優しくて、困っている人を見ればすぐさま助けるパワフルガールだ。平民身分だというコンプレックスはあっても、そうした性格からの行動を通して貴族の子女たちと和解し、徐々にコンプレックスはなくなっていく。

 こうした女子は、現実なら「何あの子、あちこちに媚を売って」などと陰口を叩かれそうだが、エリカはベルナデッタをとてもよく知っている。何せ、自分が長時間プレイしたゲームの主人公ヒロインだ。彼女の様々な末路を体験し、その性格と能力が導く未来を本人よりも熟知している。

 だからこそ、誤魔化せないし誤魔化すべきじゃない、やっとエリカはそう思った。

 エリカは、ベルナデッタの熱意と真意にあっさり降参する。

「分かった! ちゃんと計画は話します! 話す!」

 白旗を挙げたエリカへ、ベルナデッタは得意げに「そうでなくっちゃ!」とご満悦だった。

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