断固として、エリカはドミニク王子の説得を断る。
「お言葉は大変嬉しいです。でも、殿下を直接巻き込むわけにはいきません。決して、それだけは」
あくまでエリカは、ドミニクス王子をこれ以上関わらせないのはその身分ゆえ、という建前を通した。ドミニクス王子とキリルには、「せっかく助かった命なのだから大切にしてほしい」とは伝わらなかっただろう。それでいい、そんな大上段からのお説教、エリカだって聞きたくないし、言いたくない。
「もし殿下が何らかの咎めを受けそうになれば、私を差し出してください。私が殿下を利用して企んだことであり、命の恩人だからと
エリカの立場では、もし王城で何かあってもドミニクス王子やキリルを助ける力はない。権力も財力もなく、男爵令嬢という肩書きがあるにすぎないならば、真っ先に敵視されて切り捨てられるべきは自分だと心得ていた。
ここは乙女ゲームの世界だ。創作上の世界、作られたものだが、
——と、それはエリカの立場から考えれば正しいことだ。
果たして、その考えをドミニクス王子が納得してくれるかは別問題であり、説得しなくてはならないなら面倒なことになる。
静まりかえったドミニクス王子の寝室に、何度目かの外からの涼風が入ってきた。あちこちの花弁がそよぎ、数枚がひらひらと舞ってドミニクス王子の天蓋付きベッドにも迷い込む。
枯れかけの白バラの花びらを、ドミニクス王子の細く、しかし男性らしく骨ばった指先が摘んだ。それをエリカとキリルは目で追う。
やがて、ドミニクス王子は目を伏せた。
「分かった」
「殿下、しかし」
「この身分が僕の思いや行いを縛ることも多々ある。それは致し方ない、生まれ持った責任を投げ出すわけにはいかないからだ。これ以上エリカを困らせるのは本意ではない、だから別の方法で恩返しをするとしよう。それでいいね?」
どうやら、ドミニクス王子は立場をわきまえたエリカの考えを尊重したようだった。明らかに納得はしていないが、そこは一国の王子、その身に負う責務と比べれば一貴族令嬢の命や人生など天秤にかけるまでもないと知っていた。
なのに、だ。
ドミニクス王子の話はそれだけで終わらない。キリルのほうへ白バラの花びらを摘んだ指先を伸ばし、それをキリルが宝石でも受け取るように厳かに差し出した両手へ乗せる。
一体何の儀式だろう、とエリカが眺めていると、ドミニクス王子は年相応に、キリルへ向けて愉快そうな表情を見せた。
「キリル、世間では『忠臣は二君に仕えず』と言うが、騎士は主君と愛しいレディに忠誠を誓うものだ」
「は? はっ、それは聞いたことがございますが」
「だから、君はエリカにも仕えるように。誠心誠意、命を懸けて」
キリルはくっつけた両手に白バラの花びらを一枚乗せて、首を傾げていた。
キリルの主君、ドミニクス王子は自分の騎士へ、騎士の三原則——すなわち、主君への忠節、名誉と礼儀、
単純に理解すれば「エリカに協力しなさい」なのだが、愛も恋もロマンも微塵も解していない精神はお子ちゃまな騎士には、そう受け取ることは難しかったらしい。
「!!!??!?!?」
(あ、混乱してる)
両手に乗る花びらのせいで頭を抱えられず、キリルは困惑度合いを示す変顔を披露するしかなかった。キリルの名誉にかけて、その変顔を周知するのはやめてやろう、と同情するほどに。
ドミニクス王子はサラッとキリルの醜態を流し、エリカへ向き直る。
「さて、他に僕へ頼みたいことはないかな?」
とりあえず、エリカは事前に考えていたざっくばらんな支援希望案を伝え、いくつかドミニクス王子の了承を得ることができた。
あとは——放心状態のキリルを放置して、エリカは木製トランクの中身をサイドチェストに置いてから、ドミニクス王子の寝室を辞する。エリカとて平常心ではいられないのだが、自分よりはるかに動揺しているキリルを見ていると不思議と冷静でいられた。人間、自分より動揺している人間を見ると落ち着く、というのは本当だったらしい。
(私が|貴婦人《レディ》かぁ……いや、そこまで年取ってるわけじゃないんだけど、うん)
何となく、エリカは自分の前で片膝を突き、見上げてくるキリルを想像してしまった。いわゆる西洋式のプロポーズの姿勢である。
名前もないモブだからと、ゲーム上では一切露出もないただのドミニク王子の騎士Aのはずなのに、いざ会ってみれば気さくで美形の騎士だ。ちょっと変人だが、腕っぷしも強くて頼り甲斐のある青年。そのキリルが、潤んで希望に満ちた目で自分を見上げてくるとすれば——?
その視線がただの友人に対してではなく、
「ああああ、ダメダメダメ、想像しちゃダメ……!」
エリカは懸命に他のことを考えようと、ダメなキリルを何とか頭に浮かばせる。
普段は遊びたい盛りの大型犬のような扱いだが、きちんと騎士道を重んじる騎士らしく振る舞えば、端正な顔立ちも相まって落ちない令嬢はいない。そういえばキリルの目の色は何色だっただろう、黒か茶色? 今まで恥ずかしくて無意識に目をちゃんと見てなかったのかもしれない、失礼だっただろうか。
「いや、目の色なんて知らなくていいでしょ!?」
エリカ、勝手に想像して、勝手に思考して、勝手にダメ出しである。その興奮度合いでは、もはや周囲の人間など眼中にない。
ダメなキリル想像作戦、失敗だ。どうやってもキリルに恋する乙女のようになってしまう。小っ恥ずかしさのあまり、エリカはぐるぐる頭を巡る明後日の方向の思考を振り払わんと、レディにあるまじき大股で走って王城の門から外に飛び出していった。