(あった、エルノルドの実母エレアノールの章! でも極秘の印が押してある、やっぱり、『公爵家の悲劇』……エーレンベルク公爵家との関わりの話はトップシークレットなのね)
極秘の章には、おおよそエリカの知っている情報もあったが、それらの具体的な年月についても記されていた。
エレアノール・カンタン・パトリシア・アニェース・ラ・レモニア・フォン・エーレンベルク、エルノルドの実母であり、ノクタニア王国最大派閥であるエーレンベルク公爵家出身、現在三十九歳。二十二年前、エルノルドの実父であるニカノール伯爵と密かに恋仲となり、長男エルノルドを身籠る。
しかし、エーレンベルク公爵は二人の結婚を許さなかった。理由は公爵家から下位の伯爵家へ嫁がせることをよしとしない慣習から——何よりも、エーレンベルク公爵お気に入りの長女エレアノールを手放したくないという事情もあったと思われる。
生まれたエルノルドはすぐに取り上げられ、ニカノール伯爵家へ届けられた。そのころすでにエーレンベルク公爵の手配でニカノール伯爵は別の女性と結婚、エルノルドはその二人の嫡出子として認知されている。
その後、エレアノールは表向き消息不明となっている。エーレンベルク公爵家は行方不明という扱いを崩しておらず、しかし死亡ともしていない。エレアノールが殺されるとはとても考えられず、おそらく現在もエーレンベルク公爵の支配下で生きていると思われる。その所在はまったくもって不明だが、いくつか見当をつけるとすれば——。
それらの情報は、瞬く間にエリカの脳内ですでにある情報と照合され、処理されていく。
(現エーレンベルク公爵長女エレアノールの居所は不明? 確か、ゲーム情報では監禁されているのよね。どこにいるか分かれば、エルノルドを出し抜いて助けられるかもしれないわ、そうすればエルノルドにエーレンベルク公爵家への復讐を諦めさせられるかもしれない。居場所として一番有力なのはエーレンベルク公爵邸だけど、公爵領内となれば広大だし、ノクタニア王国最大派閥とも言えるエーレンベルク公爵家の親戚の家となると多すぎて調べるのは不可能に近い。確実に特定してから救助となると、私一人では不可能……ベルナデッタとノルベルタ財閥の力を借りても無理かもしれない、か)
つまるところ、エリカの立場でエルノルドの母を救助するのは不可能に近い。だが、それは
やっと最後のページへ辿り着いたエリカへ、待ちかねていたようにドミニクス王子が声をかけた。
「難しい顔をしているね」
エリカは顔を上げた。ドミニクスの穏やかな目が、エリカを心配していた。
エリカは牛皮革ファイルを閉じ、キリルへ戻してから頭を下げた。
「お力を貸していただき、ありがとうございます。とても有益でした」
「その割には顔が浮かないようだが、まだ足りないことでも?」
エリカは、ドミニクス王子の言葉の裏に、真意が——そう、あるいは「もっと協力しようか?」という問いかけがあると看破した。
——冗談ではない。エリカだけならまだしも、ドミニクス王子に危ない橋を渡らせるわけにはいかない。
エリカは首を横に振る。
「いいえ。これ以上、殿下をわずらわせるわけにはまいりません。この調査だって、分不相応にも殿下へお頼みし、有り難くもご協力いただけた成果です」
それ以上を望むのは、とエリカが婉曲的に断ろうとしたそのとき、諌めるように言葉を発したのは、キリルだった。
「エリカ、それは違う」
エリカとドミニクス王子が、一斉にキリルへ目を向ける。意図せぬ反応だったのか、気恥ずかしげにキリルは目を逸らした。
だが、ドミニクス王子はそれを奇貨として、エリカの説得へ取り掛かる。この王子、見た目や雰囲気と違って積極的だった。
「僕は君に命を救ってもらった。ノクタニア王国第一王子の命を、君はその手腕をもって救ったんだ。たとえ君がどう思おうと、内密にしてほしいと言っても、揺るがぬ事実なんだよ。その大恩を返せないとなっては、王子の名折れだ。どうだろう、君のその企み——キリル曰く、『人助け』に、僕も参加させてくれないか?」
エリカが今まで見てきた中では……ドミニクス王子は無分別に人を魅了するかもしれないが、決して人たらしではなく、甘言を弄する性分でもない。
ドミニクス王子はおそらく、善意をもって誰かを助けたいと願っている。それは自分が助けられたからでもあるし、比較的自由に動けるようになった今、自分もまたできうることをしたいと、長年ベッドに縛りつけられていた反動からか渇望しているのだろう。命のあるうちに誰かの役に立ちたいと、
臨床研修で出会ったホスピスの老若の末期がん患者たち、希少な遺伝性疾患で病院から出ることなく人生を終える子どもたち、交通事故で重度の障害を負って二度と起き上がれなくなった患者たち。彼らもどうにかして
(そんなふうに思わないでほしい。役に立たなければならない、なんて誰が決めたの。役に立たなくたっていい、あなたに生きていてほしい人がいるのに、自分を大事にしないでいいわけなんてどこにもない……!)
不意に、前世の神芝えりかが過去に出会ったそうした人々と、エリカの目の前にいるドミニクス王子が重なった。ある意味、当然といえば当然かも知れないが、その悲壮な思いから来る言葉を耳にしてしまうと、エリカはどうしても黙っていられない。
その切なる思いを踏み躙るのは忍びないが、やむを得ない。