「俺はエルノルド、ニカノール伯爵家の者だ。君の手配していた商品を扱う業者から、君の作品……人形用の服や小物を見せてもらった。俺も一端の商人として、あの作品たちは素晴らしいと思った。どうだろうか、他にも見せてもらいたいのだが」
アメリーの作った人形用の服や小物を見せてほしい、と言われて見せないという選択肢は基本的にない。アメリーとしては、エルノルドが浮ついた男性ではなく、少し偉そうだがまっすぐにアメリーと向き合っていることが分かるだけに、本当に『作品』として評価してやってきたのだろう……とはいえ、その目的は何なのか。本当に商人として商品を見定めにきたのか、それともニカノール伯爵家の一員としてやってきたのか、アメリーにはすぐには判断がつかない。
ならば、とアメリーは自室から人形用の服や小物を持ってきた。どれも手ずからこしらえたもので、御用商人のおかげで色々な素材が手に入るようになったことと、意外にもメイドが高度な裁縫技術——祖母と母が昔お針子をやっていたらしい——を持っていたので教わったおかげで、さらにいい作品を作り出せるようになっていた。
難しいところでは、皮革とツイードを使った乗馬用スカートや花束の刺繍入りブラウス、羊毛フェルトの形を整えて作ったミニチュアサイズのくまのぬいぐるみなどだ。本物と同じ仕上げにこだわり、拡大鏡を駆使して細部まで手を入れたため、職人顔負けの作り込み具合だ。
シルク張りの木箱から出てきたそれらを見て、白手袋を脱いで素手で取って確認したエルノルドは、頑なな表情がわずかに緩み、驚きと感心を示していた。
「なるほど。これは『作品』と呼ぶにふさわしい」
エルノルドが顔を近づけてブラウスの細かな刺繍を観察している姿は、真剣そのものだ。
その様子を見て、アメリーは少々、意外さを覚えた。
(殿方はよく、女性の人形遊びを馬鹿にすると思っていたけれど、この方は随分真剣に見るのね。少なくとも、ぞんざいに扱ったりはしていないし、指先もきれい。こういう繊細なものを扱う心構えはあるようだわ)
商人といえば、その指先はインク跡か手荒れだらけと相場で決まっている。扱う品物にもよるが、大抵はそうなってしまうのだ。
しかし、絹織物やドレス、高級家具、絵画などを扱う商人たちは、まず手袋をし、場合によっては素手で触れなければならない商品を決して傷つけないように、手指のお手入れは欠かさない。特に怠りがちな爪を伸ばすなど論外で、エルノルドはつま先まできちんと手入れをしている。
そういえば、とアメリーはまじまじと男性の手指を見たのは初めてだったことを思い出す。それも、白く美しい手先だ。エルノルドのことは詳しくないが、ハンサムだし、きっと舞踏会では手袋を外して踊るだけで貴族令嬢たちが蕩けてしまうだろう。そんな想像を巡らせているうちに、作品を見終えたエルノルドが顔を上げた。
「アルワイン嬢、相談がある」
「な、何かしら?」
アメリーはいきなり声をかけられ、上擦りかけた声を抑える。エルノルドはまったく気にせず、こう提案する。
「これを俺の商会で扱いたい。ドールハウスを趣味とする紳士淑女は多い、しかも金に糸目をつけない。工芸品はその
「それは、どうして? お針子ならいくらでもいるでしょう?」
「実績や金にならないからだ。それに、君が想像するほどお針子は勤勉ではなく、所詮女の腰掛け仕事にすぎない。そこからアトリエを構え、一流のファッションデザイナーになれるのは、ほんの一握りだ。そこまで行くと、人形の服を作る仕事よりも貴族のスーツやドレスを作ったほうがはるかに実入りがいい。つまりは、需要に供給の手が足りていない、ということ……
エルノルドは饒舌に語る。その目に野心の炎を秘めて、周りにいる人間の心に火をつけるように。
——チャンスを待ちなさい。
老貴婦人はアメリーへそう言った。実際、アメリーはチャンスを掴み、作り上げるものを評価されるに至った。
では、エルノルドは、これからチャンスを掴みにいこうとしているのだろう。アメリーの作品を取り扱うことで、商人としての躍進を虎視眈々と狙っている。
その気持ちが分からないアメリーではない。むしろ、応援したいとさえ思う。なぜなら、エルノルドが真摯に、誠実に己の事情とこれからの未来について話しているからだ。アメリーの作品を評価した上で、貴族令嬢ではなく職人として扱い、その次のステップについて話し合いをしようとしている。
アメリーを、これから大きくなる自分の商売に参加させようとして、だ。
エルノルドは、そこが御用商人とは違った。御用商人は誠実に、アメリーを第一に考えてくれてはいる。しかし、貴族令嬢を商売に参画させようとはしていない。あくまで、趣味の延長上、お遊びで終わらせなくてはならないと考えている。それがアメリーのためだと分かっていても、アメリーにとっては密かに不満が燻っていた。
(私も、そのチャンスにあやかりたい。一緒に、大きなチャンスを掴みにいく体験をしたい)
ある意味では、アメリーは酔っていたのかもしれない。一度チャンスを掴んだことで、その体験の心地よさが忘れられなくなっているだけかもしれなかった。だが、もうアメリーはただの貴族令嬢らしく耐え忍ぶだけではいられなくなっているのだ。
だから、アメリーはエルノルドの提案を断る理由を探し、口に出す。
「でも、無理よ。私は、働くなんて無理。婚約予定の相手といつ結婚するかも分からない、そんな状況で」
イスティエ子爵家に留め置かれている理由、それはアメリーの父であるアルワイン侯爵が、アメリーの婚約者を探しているからだ。それが決まればアメリーはもう実家には戻らず、そのまま婚約者の家に送りつけられるだろう。そして、アメリーは自分の未来を左右するであろう自身の婚約の件には一切触れさせてもらっていないので、現在どうなっているかは分からない。
何とも、無責任な断り文句だ。アメリーは自嘲せずにはいられない。
だが、エルノルドはあっさりとその難関を乗り越えた。
「ならば、こうしよう。まだ決まっていない婚約の前に、君は我が商会専属の職人になって、住居を構え、家を出るといい。もちろん、俺が全力で支援する。君は気が済むまで人形の服を作っていい、その環境を俺が提供するというのはどうだ?」
思わず、「え」と声が出た。アメリーはエルノルドを見上げる。
「必要であれば、アルワイン侯爵にも交渉しよう。君の都合がいいように、だ」
見下ろしてくる鋭利な目が、アメリーへと言外に語る。
——君が『アルワイン侯爵家令嬢アメリー』であることは知っている。だが、それが問題となるならば排除する。
そう言っているかのように聞こえるし、それを言われたくないのだというアメリーの気持ちを汲んだかのようだ。
そんなことを言ってまで、アメリーを自分のもとに迎え入れようとする人間が、今までいただろうか。実の母親でさえ見捨てたアメリーを、父親や異母姉や使用人、果ては貴族学校のほとんどの人々までアメリーを嫌って、近寄るなとばかりの態度を取ってきたというのに、なぜエルノルドはそうまでしてくれるのだろうか。
その疑問は、焦るアメリーの口から飛び出る。
「どうして、そこまでしてくれるの? あなたにそこまでの利益があるなんて、思えないわ。それに、お父様もお許しになるとは……」
「どうして、だと? ならば答えよう、俺には野望がある。ただそれだけだ」
エルノルドが強く拳を握りしめる様子を、アメリーは見逃さなかった。野望の中身にまで立ち入ろうとは思わないが、エルノルドによほどの決意があることはうかがえる。
アメリーはもう一度、エルノルドの顔を見上げる。よくよく見れば、猛禽類のような鋭利な瞳は、きれいな鳶色をしていた。
このとき、アメリーは何となく、自身の未来を思い描いた。エルノルドに請われて人形用の服飾職人となって、働いて、たくさんの正当な評価を得て、その先は……どうなるのだろう、と。
『アルワイン侯爵家令嬢アメリー』になるのか、それともただの職人アメリーとなるのか。王都の一等地にアトリエを構えるかもしれない、どこかの貴族の屋敷で一日中泣いて暮らすかもしれない。もしかすると、エルノルドと末長く仲良くする未来だってあるかもしれない。
未来は無限に広がり、
そうと決まれば、アメリーは口端を固くし、エルノルドをしっかりと見据えて頷く。
「分かったわ。あなたに協力する、そのために私にも協力して」
望んだ結果だ、どうだ。アメリーは挑戦的に見上げる。
すると、ようやくエルノルドは微笑んだ。
「俺の商会を大きくして、力と金を手に入れる。そのためなら、手段は選ばない。力を貸してくれ、アメリー・アルワイン」
このときの二人の握手は、商談成立と協力関係の始まりを意味する。
当然、アメリーはまだ知らなかった。エルノルドの敬愛する実母エレアノールのことも、エルノルドが強く制裁を望むエーレンベルク公爵家のことも、社交界でその件が『公爵家の一件』とだけ噂される公然の秘密であることも。
それでも、アメリーはエルノルドの手を取ったのだ。
こうして、エレアノール商会はアメリー・アルワインという優秀な職人を手に入れ、彼女の住まいや生活の世話全般をアルワイン侯爵との交渉で引き受け、さらにはとある大商家の後ろ盾を使って匿うこととなったのだった。
エルノルドの野望は、アメリーを