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第10話 アメリーという少女-5

 無論、完全に実家の手が届かないわけではなく、アメリーの挙動が報告されていないとも限らないが、少なくともイスティエ子爵家屋敷にいる人々は、アメリーを嫌ってはいなかった。むしろ、当たり前のように仲良くなりたいという気持ちさえ持っていたのだ。

 早口な御用商人のおしゃべりと、アメリーを我が家のお嬢様とばかりに自慢するメイドの楽しそうな口ぶり、それに圧倒されて思わず無口になるアメリー。久々に悪意ない人々と接してアメリーはどうしていいのか分からないまま、丁寧に内側にビロードを張った箱に入った布の端切れを手に取って見ていくことしかできない。

「そちらの端切れは王都中のアトリエを巡って不用品を回収する業者から買い取ったもので、いいものは早い者勝ちになるものですから、もう面倒ですし業者にくっついてアトリエ巡りをしましたの。布だけでなく、短くなったチャコールペンやレースの切れ端、錆びた裁ち鋏まで回収するなんて恥ずかしながら私、知らなかったものですから勉強になりましたわ」

「それって、どうするんですか? 裁ち鋏は直して使うとか?」

「ええ、そうよ。消耗品は修道院に寄付したり、まだ使えそうなものは修理して、品質が良ければ意外と高値が付くのよ。本当、普段扱っている品物なのに全然知らなかったわ。おかげで業者から呆れられてしまって」

 メイドと御用商人の会話に、アメリーは耳を傾ける。口を挟む勇気はなく、しかしそれだけでも楽しい雰囲気の一員になっているような気分だった。

 思えば、後妻としてアルワイン侯爵夫人となったアメリーの母は、ほとんど年齢も変わらないアメリーの異母姉に逆らうことができなかった。老境に差しかかるアルワイン侯爵が若く美しい後妻を娶って、愛しているのなら、その妬みや恨みの矛先は娘のアメリーに向かっていった。それに、アメリーの父アルワイン侯爵は歪んだ性根の持ち主で、アメリーを虐めて心を傷める妻に悦び、慰めるきっかけを生むためにあえてアメリーへのいじめを放置したのだ。当主の許しを得たとばかりに異母姉も、使用人たちや家庭教師もアメリーをぞんざいに扱い、嘲笑の対象とした。

 だが、アメリーは助けてくれなかった母を恨むことはなかった。

(所詮、貴族間の契約で売られた身の母にできることなんて、何もなかった。そのくらい、幼くても分かっていたわ。可哀想な母を見ることが趣味の父に逆らえる人間なんて、あの家にはいない。私はただの……憂さ晴らしの道具にすぎなかった。家の中を平穏に保つためのスケープゴート、ただそれだけ。泣いてばかりの母に助けを求められやしないのだから)

 実家では誰一人、アメリーに優しい言葉をかける人間などいなかった。親しく接することも、気遣うことも、まるで当主の命令で禁止されているかのように皆が振る舞う。それが十数年間まかり通って、貴族学校でさえもアメリーに嫉妬と羨望、そして恐怖と怒りの目が向けられてばかり。

(きっと神様が私のことを嫌いなのだと思っていた。だから、みんなが私を嫌う理由があって、私は嫌われて当然だとさえ思ってしまった。でも、薄々気付いていたわ。みんなが嫌っているのは『アルワイン侯爵家令嬢アメリー』。ただの『アメリー』のことは興味さえなくって……私に肩書きさえなければ誰も敵視しないんだ、ってことを)

 だから、今ここにいるメイドや御用商人はアメリーのことを敵視せず、おしゃべりを求め、楽しそうな顔を見せている。彼女たちにとって、アメリーは敵ではなく、嫉妬の対象でもなく、ただの『お嬢様』なのだ。

 それに納得したとき、アメリーはすとんと自分の境遇について腑に落ちた。肩書きがアメリーを苦しめたのなら、いっそのこと——。

「アメリーお嬢様! 見てください、上等な麻生地ですよ! ほら、触ってもチクチクしません。これってすごく腕のいい職人じゃないとできないんですよ!」

「あら、よく知っているじゃない。それはね、南方の王朝に仕える機織り職人集団が見習いのときに作るもので、一流の職人になるとどんな糸も滑らかな布地に仕上げることができるんですって」

 目の前の会話は、今までアメリー自身が羨望の眼差しで見つめていたそのものだ。おしゃべりの楽しさを、アメリーは体験したことがない。いつも誰かがその楽しさを堪能している場面を黙って見ているだけ、自分には得られないものと諦めるしかなかったものだ。

 そして、アメリーは自分でも驚くことに、無意識のうちに進み出て、口から言葉が溢れさせる。

「ねえ……もっと教えてもらってもいいかしら? その、世の中にどんな生地があるのか、私、詳しく知らないの」

 不思議と、二人に拒まれる恐怖はなかった。それは貴族の権威を振りかざしてのことではなく、メイドと御用商人にはアルワイン侯爵との直接的繋がりはなく、『アルワイン侯爵家令嬢アメリー』や『アメリー』をいじめる理由がないからだ。

 だから、アメリーは容易く勇気を言葉とともに出せた。

 貴族学校で、老貴婦人に言われたとおりだ。人生はいつ何が起きるか分からない、チャンスを待ちなさい。その言葉のとおり、きっと今がアメリーが篭ってきた殻から脱する絶好の機会なのだろう。

 決断の甲斐あって、メイドと御用商人は、屈託のない笑顔でアメリーを迎え入れた。

「もちろんですよ。私どもも勉強になりますから、お嬢様のために仕入れを頑張りますね!」

「あ、そうだ! お嬢様、あのワンピースをお見せしても? 具体的に、何に使うのかをお伝えしたほうが」

 メイドの提案はもっともだ。アメリーはそう思って、自室に戻ってあのミニチュアワンピースを持ってきた。

 すると、どうだろう。ミニチュアワンピースを手に取った御用商人もまた、先日のメイドと同じ反応をした。

「これは見事な……! 素敵、丁寧な作りにセンスの良さ、本当にこれが人形用だなんて思わない……そのまま大きくして人間用のドレスになってもいいくらい。はあ……これほどの傑作に出会えるなんて、本当に驚きましたわ」

 御用商人の漏らした感嘆のため息は、嘘ではないだろう。本当に、心の底からミニチュアワンピースの出来を認め、うっとりと眺めている。なぜだか、その横でメイドが誇らしげにしていた。

 基本的に、このノクタニア王国出身の女性は幼いころ、人形遊びを経験したことがあるはずだ。藁で作られた粗末なものもあれば、木彫りや蝋、布を使った貴族の令嬢向けのものまで様々で、着飾らせたりごっこ遊びに使ったりしてよき友人となってきた。だからこそ、懐かしさを覚え、かつての友人を思い出し、ミニチュアワンピースの本当の価値を知っている。この服を自分の持っていた人形が着ていたら、どんなにいいだろう。誰に指図されるわけでもなく、そんなふうに想像を巡らせるのだ。

 やっと現実に戻ってきた御用商人は、ミニチュアワンピースを手に、まだ興奮収まらない様子だった。

「これは素晴らしいですよ、お嬢様! きっとこのワンピースが欲しいとおっしゃる方々が大勢います! いえ、でもお嬢様は売りたくて作ってらっしゃるわけではないのだし……うーん、それでもこれを表に出さないのはもったいない。もし、ですよ? もしお嬢様が試しに販売してみたい、というご希望がございましたら、ぜひ私めがお取次いたしますわ。名前を出さずとも、大切にしてくださる方にしかるべき額でお届けできるなら、それはきっと、お嬢様も張り合いがあるのではないでしょうか? 決して無理強いはいたしません、どうかお考えくださいまし」

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