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第10話 アメリーという少女-4

 老貴婦人の講義も終わりが来て、アメリーは貴族学校を卒業した。家に戻って婚約相手を決める、として父アルワイン侯爵に無理矢理といったほうが正しいが、とりあえずアメリーは実家のアルワイン侯爵邸ではなく、花嫁修行のためとして遠縁のイスティエ子爵家に預けられた。

 そこでは虐げられることもなく、しかし干渉されることもなく、花嫁修行とは名ばかりの軟禁状態にあった。外出は必ず使用人の付き添いが必要であると制限されるものの、屋敷の中は自由に出歩けて、使用人たちもアメリーを相応に敬う。ただ、アメリーはいつ実家に不愉快な告げ口をされるかと恐れ、やはり大半の時間は与えられた部屋に引きこもって、人形の服や小物を作りつづけた。

 奇妙なもので、イスティエ子爵家ではアメリーは気難しい客人として扱われ、人懐こい年若いメイドや年老いた料理人といった使用人たちはアメリーを見るたび「美人だ」、「綺麗な髪色だ」と屈託のない無邪気さで褒め、午後のおやつの希望を聞き、用事がなくても悪意なく話しかけてくる。

 今までの対人経験の酷さから、アメリーは大いに困惑した。あの馴れ馴れしいメイドやにこやかな料理人たちの真意は何だ、何か利益あって話しかけてきたのではないか、距離を縮めて何かの目的で騙そうとしているに違いない、と。

 内心怯えながら、アメリーはイスティエ子爵家の使用人たちに素っ気なく対応し、距離を取ろうとする。しかし、使用人たちは「お嬢様は恥ずかしがっているのだ」とアメリーの予想を超えた見当外れの予想をして、ささやかでおかしな攻防戦が続いた。本当はイスティエ子爵家には女児がいなかったため、貴族の花形ともいえる令嬢アメリーの逗留を喜んでいただけなのだが……互いは最後まですれ違い、その溝が埋まることはなかった。

 ただ、溝があろうがなかろうが、運命のレールはさっさと進んでしまう。

 ある日のことだ。イスティエ子爵家屋敷に、一人の御用商人がやってきた。早くに夫を亡くした未亡人で、幼い子どもを養いながら商売をしている女性だ。最近、若いご令嬢がいないはずのイスティエ子爵家へ女性ものの装飾品や化粧、ヘアオイルを注文されて、不思議に思った御用商人はメイドへ尋ねた。

「これはどうするの? あなたが使うの?」

 すると、メイドはこっそりと、しかし誇らしげにこう言ったのだ。

「いえいえ! 秘密なんですが、今、旦那様の遠縁のお嬢様がいらしていて、そのお方のためなんです。そのお方、本当に美人で、貴族のご令嬢ってこんなにお美しいんだ、ってもうみんな見惚れてるんですよ」

「まあ、そんなに? なら張り切って仕入れないといけないわね」

「お願いします! あ、そういえば、お嬢様から余り布はないかと聞かれてたんだった……うーん、綺麗な布とか手に入りませんか?」

「いいわ、探してみる。何に使うのかしら? お裁縫なら糸と針も必要でしょうし、レースなんてどうかしら?」

「そうだわ、他にも必要なものがあるのかも! お嬢様にお尋ねしてみますね!」

 御用商人が帰ったあと、メイドからその話を聞かされたアメリーは、何とも言えない複雑な表情を見せつつも、二人の善意を拒まなかった。

「用意してくれるというのなら、お言葉に甘えて……必要なものをメモしておくわ。今度、彼女が来たら渡してちょうだい」

「かしこまりました! あの、アメリーお嬢様は何をお作りになるんです?」

 おずおずと尋ねてきたメイドの好奇心は、アメリーの領域に土足で踏み込んできたようなものであまり愉快ではなかったものの、無碍にするのも悪い。アメリーは少し考えてから、棚の引き出しから隠していた人形用の小さな服を取り出し、レースとビーズをあしらった青いワンピースを一着、メイドに手渡した。

「……こういうものを作っているの」

 それは手から肘までの腕の長さよりも短く、しかし精密に一寸の狂いもなく、人間の女性用の衣服がそのまま縮小したかのようなワンピースだ。細いレースで縁取りし、胸元には宝石の代わりにカットの美しい大粒のビーズが輝く。青く染められた絹の端切れから作られたワンピースは、布地を多めに取ってふわりとスカートがドレスのように膨らんでいる。

 アメリーの作品、青いミニチュアワンピースを一目見たメイドの顔が、魔法で照らされたかのようにぱあっと輝く。

「すごい! 何ですか、これ! お姫様が着てそうな可愛らしいお洋服じゃないですか!」

 いきなりの黄色い叫びに一歩引いたアメリーは、メイドが目を輝かせてミニチュアワンピースをつま先で丁寧に触れるさまを見て、驚く他ない。いつもは忙しなくドジばかりするメイドも、ミニチュアワンピースを前にしては慎重に慎重を重ねて触れている。まるで大事な先祖伝来の貴重品を壊すまい、とするかのような気遣いだ。

 戸惑いつつも、アメリーは我に返り、本題に移る。

「そ、そういうわけだから、後でメモを渡すわ。人形用だから高価なものはいらないの、ほんの端切れや売れ残りでいいから」

 アメリーはミニチュアワンピースを取り返して、夢見心地から抜け出せずにいるメイドを部屋の外へと追い出す。

 そして、数日後のことだ。

 アメリーのもとに、メイドがまたやってきた。

「お嬢様、例の品を扱う商人の方が、お嬢様にお目通り願いたいそうです。何でも、張り切って色々と仕入れたので、お好みの品をお選びいただきたいとのことで。どうしましょう、取引用の使用人休憩室にいるんですが、お会いします?」

 アメリーはため息を吐いた。このメイド、アメリーがこのイスティエ子爵家屋敷にいることを商人に喋っている。おしゃべりな使用人は嫌われるものだ、仕方なくアメリーはメイドを叱る。

「いい? 何でもかんでも他人にしゃべるものではありません。商人の口は軽いとは言わないけれど、噂話でさえお金になるなら売り払う人々よ。それに、家の内情を外部に漏らすのは褒められた行為ではないわ。あなたはそそっかしいところがあるから、いつか大きな失敗をしてしまうわよ」

「ひぇっ、申し訳ありません!」

「今回は、この家の誰かが被害を被ったわけではないからいいとして、待たせるのも悪いから、その商人に会うわ。それに……私を気遣ってくれてありがとう」

「は、はひ! うぅ、ごめんなさいぃ!」

「もういいわよ。行きましょう、休憩室はどこにあるの?」

「こちらです、ご案内します!」

 慌ただしく、メイドはアメリーを商人の待つ使用人休憩室へ先導していく。本来ならばメイド長かこの家の女主人がメイドの躾をしなくてはならないのだが、イスティエ子爵家にメイド長はおらず、先任のメイドも忙しく、イスティエ子爵夫人もだいぶ前に死去したと聞く。となれば、このメイドは誰にもそういったことを教わる機会がなかったのだ。

(まるでイスティエ子爵家の女主人のように振る舞うのは、差し出がましくて嫌だけれど……仕方ないわ)

 このときばかりは、アメリーはメイドのためにと主人たる貴族として自省を促したわけだが、決して本意ではなかった。今回はともかく、メイドの気性次第では逆恨みされてもおかしくなかったのだから。

 それはさておき、使用人休憩室に向かったアメリーとメイドは、すぐに御用商人と顔合わせを果たす。

「まあまあ、なんてお綺麗な! あら、申し訳ございません、私、イスティエ子爵家のお世話になっております者で、こちらの品々を仕入れいたしました。どうぞ、手に取ってご覧くださいな。その箱の中には、いただいたメモの品が入っております。そちらのことでご相談がありまして、お時間がよろしければぜひお嬢様のお話を聞かせてくださいな」

 あまりにも親しく、楽しげに話しかけられたものだから、アメリーはすっかり気圧されてしまった。

 メイドも商人も、なぜこんなにもアメリーへ無垢な笑顔を向けられるのだろう。アメリーのことが嫌いではないのだろうか。

 そんなふうに疑問を持ってから、アメリーはやっと、アメリーを敵視する人間がいないということに気付いたのだ。

 ——ここは、安全なのだ。たったそれだけのことに、何週間かけて気付いたのか。

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