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第6話 上手の商談、下手の提案-1

 大商人アレサンドロ。革張りのソファにあぐらをかいて座り、着崩した和服のようなローブを何枚か羽織る、小柄なドワーフの老人だ。元は著名な盗賊だとか、海賊だったとか、色々と後ろ暗い経歴が見え隠れするものの、ドワーフの特徴である顔下半分を覆うひげが、。ひげの生えそうな部分はすっかり大きな傷ばかりで、生えなくなってしまったのだとか。これはひげを尊ぶ種族ドワーフにとって死活問題、おかげで尖った耳くらいしかドワーフらしい部分のなくなったアレサンドロは、ドワーフ社会に戻れなくなってしまった……ということらしい。

 とはいえ、彼は天性の商才があったため、何とか人間社会に溶け込んでノクタニア王国王都の市場を取り仕切る長にまで上り詰めた。人生、何があるか分からないものである。

 齢九十を越える大商人を前にして、エリカは余裕をもって微笑んで、挨拶をしてみせた。

「こんにちは。お加減はいかが?」

「寄る年波にゃ勝てんよ。どれだけ医者にかかっても、にっちもさっちも行かなくて困る」

「うちに来てくださったら、いい薬をお出ししますよ。その前に契約先の医師の診断が必要ですけれど」

 すると、アレサンドロはおかしそうに、呵呵と笑った。

「今日は売り込みに来たのかい? 違うだろう」

「ええ、入手したい魔法薬の原料があって、ご相談に。最近、シーサーペントの内臓は入荷していますか?」

「んー、そうだねぇ……おい、カサレラ。最近の帳簿を寄越しな」

「へ、へえ!」

 さっきの禿頭の番頭が、これでもかと分厚い帳簿を手に、アレサンドロのもとへ懸命に急いでやってきた。まるで図鑑か何かかという大きな紙を紐で綴った帳簿だが、アレサンドロは手慣れた様子でページをめくり、さっさと目的の項目を見つけ出した。

「あった、あった。生ってわけにゃいかないが、干したやつならあるよ」

「どのくらい?」

 尋ねたエリカへ、ニヤリとアレサンドロはもったいぶって売り文句を口にする。

「そうさな、通常シーサーペントの一体分の内臓をかき集めると大樽四つになるが、こいつは一体で十樽分ある大物だ。骨の密度と層からして百歳はゆうに越す個体だよ」

「すっごい……それください」

「おいおい、パンを買いに来たわけじゃあないんだ。これだけのブツなら」

「金貨でよければ即日払えますよ」

「えっ!?」

 エリカとアレサンドロが反応して視線を向けたが、今驚きの声を上げたのはキリルだ。

 口を押さえるキリルからとりあえず顔を逸らし、二人は『商談』を再開する。いや——本格的に開始する、といったほうが正しいだろう。

 ってきたエリカは、身を乗り出すアレサンドロへ丁々発止の問答を繰り出したのだから。

「ノルベルタ家傘下の銀行に預けてありますので、すぐに引き出せます」

「ふむ。じゃあ、十万ベザント金貨でどうだい? 十樽全部引き取ってもらえるなら格安で売ろう」

「それならもっとまけてください。十樽も置くの大変なんですから」

「それはそっちの事情さ」

「倉庫代をケチろうとしていますよね? 今、樽は荷主から預かって路上に置いているんじゃないですか? このまま私が買わないと、一度ちゃんとした雨漏りのしない倉庫に入れないといけないし、大きめの倉庫を借りるしかなくて余分な倉庫代が発生しちゃいますものね。しかも、そんな大物、少しならまだしも、全部がいつ捌けるかさえ分からないじゃないですか。もしかしたら何年も倉庫で眠ることになったりして……そうなったら、倉庫代がすっごくかさみますよね?」

「八万だ」

「もう一声」

「七万九千」

「刻みますね」

「他に何を買ってくれる?」

「魔力のこもった骨はありますか? できれば鳥類が扱いやすいんですけれど」

「それだけじゃ軽いな。もうちょっと」

「じゃあ、暴食の悪魔オルクスの眷属豚の材料はありませんか? あれは食べすぎや胃もたれにとても効くんです。連日の晩餐会でお悩みの王侯貴族にいつでも需要がありますから、いくらあっても大丈夫です」

「よし、在庫を全部持っていけ。それで八万だ。これ以上はまからないぞ」

「分かりました。それじゃあ、全部うちの魔法薬局裏にある貯蔵庫へ運んでおいてくださいね」

 この間、ざっと三分である。

 早口ながらも滑舌よく、打てば響くようなやり取り。値段交渉とセット販売のギリギリまでの調整がこの会話に集約されているためか、アレサンドロの部下であろう部屋中の人々、それにキリルも思わず手を止め、集中して耳を傾けていたほどだ。

 ちなみに、『オルクスの眷属豚』はどの部位も魔法薬の材料として珍重されており、胃薬のほか、特殊加工を施した肉粉をほんのひと匙ほど焼く前のパンにこねればあら不思議、一口で腹が満たされるダイエット食にもなるのだ。これはエリカが魔法薬作りのミニゲーム知識を活用して作った商品で、特許を取ってノルベルタ財閥で商品化し、世の痩せたい女性たちにバカ売れしているのである。

 背伸びして、アレサンドロは指でちょいちょいと番頭を呼ぶ。

「おい、カサレラ。聞いただろう、全部手配しろ。金勘定はこっちでやっておくから、ブツだけ運んどけ」

「へい!」

 アレサンドロが放り出した大きな帳簿を受け取り、大慌てで走っていく番頭の背を眺めていると、ふとエリカはキリルがあんぐり口を開けて呆けているさまを目撃してしまった。しかも、何か納得したように頷き、にっこり笑って拍手まで始めてしまったのだ。

 大丈夫か、キリル。でも、割といつもおかしなことをしているから、おかしくないのか? いやいや、やっぱりおかしいだろう。一瞬だけ意識が現実逃避を起こしかけたが、エリカはキリルを正気に戻そうとおそるおそる声をかける。

「キ、キリル? どうかしましたか?」

「いやぁ、エリカはしっかり者だなぁと思って!」

 エリカとアレサンドロとのやりとりを見て、深く深く、キリルは感心していただけだった。そういえば、これまでは道中の護衛がメインで、一緒に商店の中まで入って交渉の場を見せることはなかった気がする。

 一方、アレサンドロは目を細めて、たっぷりと美青年だが変人奇人な騎士に呆気に取られていた。

「こんな口八丁の値引き見といてそれだけかい、兄ちゃん」

 そんなアレサンドロの独白をよそに、突如キリルは何かに気付いたとばかりにまた声を上げる。

「はっ!? ちょっと待った!」

「な、何ですか」

 キリルはエリカを呼び寄せ、上背をかがめて深刻そうに小声でささやく。

「シーサーペントとやら、あれは、確か殿下のためのものだろう? エリカが個人であれほどの大金を出すというのは、さすがに問題がないか?」

「今は急ぎなので、あとでかかった費用は魔法薬局へ請求しますよ。とはいえ、けっこう高額なので、すぐに全額は返ってこないでしょうけれど」

「いかん! それはいかん! しかし俺も財布はそれほど分厚くない、むしろ薄い!」

「それはいつも食堂で大食いしすぎるからでは」

 この騎士、王子殿下の近衛であるはずなのに、なぜかいつも懐が素寒貧なのだ。

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