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第5話 市場に用事がありまして-2

 そうして市場に向かうと、昔のやらかしがすっかり伝説となっており、オットーのような何も知らないはずの商人たちでさえエリカ——とキリル——を恐れる始末だった。

(大半は誤解じゃないだけに、噂話を訂正もできない……うーん、ちょっとやりすぎたかも)

 前世ではそこまではっちゃけた人生を送らなかっただけに、エリカは手加減を知らなかった。そのせいで、収集のつけ方も分からず、尾ひれはひれのついていく噂話を放置するしかない。

 歩きながら、はあ、と思いっきり肩でため息を吐くエリカに、「それはそうと」と珍しく空気を読んだのかキリルが話題を変えた。

「いつも思うんだが、エリカほどの才覚があればサティルカ男爵家を発展させるなり、自前の魔法薬局を持つなり、いくらでも出世しようがあるのに、どうしてそうしないんだ?」

 あまり話題は変わっていなかったし、キリルはちょっと棒読みだった。

 であれば、エリカはジト目で問い返す。

「王子に尋ねておけ、って言われたの?」

 図星を突かれたのか、キリルは分かりやすく驚いて、慌てる。

「い、いやいや、純粋に気になって」

「(俺も、って言った……)まったくもう。今はそのときじゃないの。それに、私だけが幸せになろうとしたって、だめだから」

 エリカは思う。何でこうも、前世も今世も、人間は栄達を求めるのだろう、と。

 いい大学に入って、いい企業に就職して、立派な人生を歩んで——もう顔を憶えてもいない前世の親からは、いつも口を酸っぱくして言いつけられてきた。まるで、

 じゃあ——そうできなければ、私の人生には価値がないの?

 そう親へ問いたかったが、前世では叶わなかった。大人しい、親の言うことを聞く子どもがいい子だ、とされていたからだ。

 それを思い出すたびに、エリカは心が

(たくさん学んで、自分のために稼いで、その先に何があったの? 死んだらすべてが無駄になって、どうせ家族以外ろくに思い出されない、偲ばれない人間が一人できただけだったじゃない。そうやって自分のためだけに働いて……何が残るのよ)

 前世で『ノクタニアの乙女』をプレイしていた時間以外を思い出すと、いつもそうだ。いつも後悔して、懺悔ざんげして、一体全体自分は何のために生きていたのか、と自問自答してしまう。

 エリカはそれが何よりも嫌だった。だから、反省した。あんなことにならないように、と自戒して、この世界では——もう後悔しないように生きよう、と誓ったのだ。

(初めて乙女ゲームをやって、必ず誰かが不幸になるエンディングからみんなを救おうと思ってルートを攻略していったあのとき。あれが、何よりも楽しかった。やりがいがあった。私はそれをもう一度やりたいだけ。そうすれば、きっと)

 きっと、もう後悔しないで済む。エリカは、そう信じていた。

 悪夢のような前世の後悔を、振り払うために。

 そして、そんなことは今の世界の誰にも言えないことだ。たとえ家族でも、婚約者でも、親友でも、絶対に話せやしない。今隣にいるキリルにさえ、だ。

 本心を吐露できない罪悪感に駆られながらも、エリカはどうにか、自己の栄達ばかりを求めない理由——自分だけ幸せになったってしょうがない——を口にできた。

 それに、口にしてしまえば心が軽くなった気もするし、そうあるべきなのだと確認できて、存外すっきりした。

 おまけに、キリルは何やら感心している。

「ふむ。エリカのそういうところが、殿下が信を置くに値する。もちろん、俺もだ! エリカが他人を陥れてでも自分の利益を掴み取るような輩ではない、と知っているからな!」

「それはどうも、素直に感謝しておくわ」

 素直と言いつつ素直ではないエリカは、照れ隠しに顔をキリルから背けた。この青年は、とにかく好意がまっすぐすぎて、眩しいのだ。

 早足の歩調が少し遅くなったころ、二人はやっと目的の店舗に辿り着く。

 何の変哲もない、雨の染みが残る石造りの二階建ての建物だ。一見、店舗には見えないが、エリカは堂々と建物で唯一、真新しい焦茶色の木製の扉を開けて中へ入る。

「こんにちは。アレサンドロさんはいらっしゃいますか?」

 慣れた調子でやってきたエリカを、まるで倉庫のようにそこかしこに木箱や樽の荷物を積んでいる天井の高い屋内で働く男性たち——チェック表に書き込んで走り回る人や、荷運びの人足たち——が、明らかにギョッとした顔で出迎えた。さすがにエリカも不機嫌になりつつあるが、そそくさとこの場の責任者——顔見知りの番頭ばんとうが、禿頭を下げてやってきた。

「エリカお嬢様、わざわざお越しいただかずとも、手前てまえから出向きましたものを」

「いえ、大丈夫よ、番頭さん。魔法薬の原料入手について、ご相談があったの。こういうことはあいだに人を入れると不正確になるから、ちゃんと足を運ぶわ」

「ですが、畏れ多い」

 ああでもないこうでもない、と押し問答に突入する直前、すっかり壁となっている木箱の山の向こうから、しわがれた大声がかかった。

「エリカ、こっちだ。早く入んな」

 家主の許可が下りた。エリカは番頭の横をすり抜け、奥へと颯爽と歩を進めた。天井の簡素ながらも蝋燭の多いシャンデリアの作り出す、背後を歩くキリルの影のせいでエリカの視界が暗くなる。それでも、荷物の山の奥にいる人物の顔ははっきりと見えた。

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