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ドロドロトゥルーエンドをハッピーエンドへ!〜元リケジョにやらせることじゃない〜
ルーシャオ
異世界恋愛ロマファン
2024年07月09日
公開日
146,488文字
連載中
ふと気付けば、そこは乙女ゲームの世界だった——神芝えりかの記憶が蘇ったサティルカ男爵家令嬢エリカ・リドヴィナ。乙女ゲーム『ノクタニアの乙女』の世界において彼女は魔法薬局の看板娘、つまりはモブキャラだったはずだが、そこは神芝えりか時代のゲーム知識を活かしてハイスペックな魔法薬調剤師へと変貌を遂げていた。
その目的はただ一つ、「攻略するキャラクター以外全員バッドエンド」と称される『ノクタニアの乙女』のエンディングをすべて回避し、ドロドロな結末を辿るトゥルーエンドさえもハッピーエンドへ意地でも軌道修正するためだ。
何だかんだとゲームヒロインであるベルナデッタ・ノルベルタにお姉様と慕われつつも、攻略可能キャラクターたちの生存確保はもちろん、トゥルーエンドに関わるエリカの婚約者ニカノール伯爵家嫡男️エルノルド・トラウドルをめぐる悲劇と謀略を解決していく——それが、今のエリカの生きる道なのだ。

第1話 転生してもえりかはエリカ

 柔らかい風が咲き誇る春の花を撫で、ノクタニア王国王都の路地に喜びの季節の知らせをもたらす。


 広大な王都の中心部、王城のほど近くにある貴族学校には、毎年王侯貴族の子女が何十人と入学してくる。各地に散らばる領土から初めて王都に上った子どももいれば、王都に住んでいても家庭の事情でずっと家庭教師に教わっており高等部に編入するという少年少女もいる。全員が共通するのは、裕福な家庭か名誉ある家柄というバックボーンを生まれながらに持つということだ。


 石造りの堅牢な校舎が天を衝くように伸び、学校敷地には林さえあって、学校の門はどこの城だろうと見劣りしない黒鉄製の薔薇とイバラが生い茂る見事な鉄柵門だった。


 その鉄柵門が開き、新入生たちを出迎える。


 貴族学校の制服を着た金髪の少女たちがわあと歓声を上げ、緊張した面持ちの少年たちは可愛らしい武者震いを堪えている。


 その中の一人、エメラルドのごとき輝きを放つ黒髪——この世界では、類稀なる魔法の素養を持った人間はその髪に宝石の輝きを持つ——を金とピンクのリボンで一つに結った六歳の少女は、ふと、違和感を覚えた。


「あれ……?」


 隣にいた見知らぬ赤毛の少女が、心配して声をかけてくる。


「どうしたの? 大丈夫?」


 黒髪の少女は、突然のめまいにうずくまる。


「きゃあ、どうしたの!? 誰か、先生、こっちに来て!」


 赤毛の少女が慌てふためいて大人を呼んでいる。


 黒髪の少女はそのまま頭を小さな細い両手で抱えて、石畳に両膝をつく。


「あ……ぁ……なに、これ……? あたま、おかしく……なっちゃ……」


 ぐるぐると目が回る。頭の中に走馬灯のような映像が急速に再生され、押し込まれる。


 黒髪の少女は経験のない気持ち悪さに耐えきれなくなり、ついに目を固く閉じて、嵐が過ぎ去るのを待とうとした。


 だが、ぶつん、と糸が切れたように、黒髪の少女の記憶は途切れた。


 代わりに、別人の記憶が——瞬時に黒髪の少女は理解してしまった。それだと——まるで侵略するように、抗うこともできずに、己の頭に染み込んでくるのを、ただ受け入れるしかなかった。


 黒髪の少女の名は、エリカ。サティルカ男爵家令嬢エリカ・リドヴィナ。


 そして、前世の名は——『神芝えりか』。


 次に貴族学校の医務室のベッドでエリカが目覚めたとき、エリカはエリカではなく、『神芝えりか』の記憶を持ったエリカ、となっていた。


 エリカが目を開けた途端、ベッドへと駆け寄ってくる老医師と女性教師がこう言った。


「エリカ・リドヴィナ、気分はどうだね? どこか痛みは? 何が起きたか話せるか?」

「魔法学的な要因で突然痛みが出ることもある。君の血統に魔法使いはいるかね? それか、家系にかけられた呪いなどは? そのあたり、サティルカ男爵家から情報開示してもらわなくてはならないのだが」


 二人の大人の言葉はほぼ同時で、特に老医師の話など六歳の少女には理解しがたいことばかりだ。


 しかし、エリカは上体を起こして、ニコリと微笑んだ。


「ご心配をおかけいたしました、先生がた。もう大丈夫です、きっと入学を前にして緊張し、気持ちが昂ってしまったのでしょう」


 貴族令嬢らしく、エリカは文句のつけようのない返事をして、大人二人を安堵させた。


 六歳の少女にしてはらしくない返事だ、と彼らは疑問を持たなかった。だって彼らは、ここにやってくる前のエリカ・リドヴィナを知らないのだから。


 だから、エリカの呟いた言葉の意味を理解することもなかった。


「前世、ね。それが正しいのかしら……うーん」


 ともかく、エリカは今後も様子を見ることにして、入学式には出席せずに早めに女子寮の自室へ行って休むように、と言いつけられた。


「はい、分かりました」


 エリカはそう言って、素直に女子寮へと向かう。


 行ったこともなければ案内されたこともない、貴族学校の女子寮へと、確かな足取りで向かう。


 だって、エリカは知っている。


「女子寮は教会の雑木林の隣、目の前には女神の像の広場。ロイスルルートのエンディングは広場で魔法の誓約が交わされてハッピーエンドだったし、ドミニクス王子を介抱する最初のイベントも広場だったわ。ヒロインのベルナデッタが啖呵を切るのもここだし、あのイベントスチル好きだったのよね」


 ふふふーん、と鼻歌を歌いながら、エリカは誰もいない女神の像の広場で、空を見上げた。


「『神芝えりか』はAに転生……これはそう、あれね。私は、帰ってきた!」


 エリカは一応小さめの声で叫ぶ。あまりにも喜びが溢れてしまい、つい叫びたくなったのだ。


 ガッツポーズを取る黒髪の少女エリカは、この世界がどこであるかもちろん知っている。


 ここは、そう——。


「乙女ゲーム『ノクタニアの乙女』のメイン舞台、ノクタニア王国貴族学校! 夢にまで見たゲームの世界に入れたなんて、すっごい……語彙が失われる……」


 喜びがエスカレートして年相応にはしゃぎ放題のエリカを、誰も見ていないことだけが救いとばかりの醜態だった。


 乙女ゲームの世界に転生したを噛み締め、エリカはいい笑顔で自身の前世のを認めた。


 同時に、エリカは思い出した。


「……そういえば、このゲーム。まさか……主人公メインヒロインと結ばれなかったキャラクターが残らず悲惨な目に遭うことも、ゲーム準拠なの?」


 エリカはさあっと顔が青くなった。『ノクタニアの乙女』全エンディングルートのシナリオを思い出せば、どんどんと血の気が引く。


 主人公メインヒロインはいいのだ、幸運の女神ですらある。


 だが、それ以外の各エンディングで出番のあるキャラクターは、残らず陰謀、処刑、粛清、破滅といった悲劇のオンパレードだ。


 こうしてはいられない。ただその思いを抱いて、エリカは女子寮に飛び込んだ。


 『神芝えりか』は死んで、今世ではエリカとなった。


 その前世の記憶が正しければ、『神芝えりか』という女性がいた。女性ながらとても頭脳明晰な天才で、とある高名な医学系研究所に薬学専門家として就職していたが、流行病にかかってあっさりと三十路手前で死んでしまった。


 『神芝えりか』はその天才ぶりから、気味悪がる家族にずっと厄介者扱いされていて——大学入学を機に他の大学生と同じく一人暮らしを始め、六畳一間のアパートをまるで聖域のように終の棲家にしたそうだ。もっとも、それは十年ぽっちのことだったけれど、彼女はそのアパートの一室に誰も他人を入れることなく、住み良い家とすべく努力した。清潔で、趣味のものに溢れ、寝心地のいいベッドがあって、そこに一生住んでいたいと思えるように給料を費やした。


 ただ、彼女の趣味は、死ぬ前の一年間にハマった据え置きゲーム機の乙女ゲームだったわけで、彼女の死後に部屋を片付けに入った親戚たちはそれを見てどう思っただろうか——いいや、そんなことはどうでもいい。


 オタクだったけれど、仕事の合間に少しずつ進めた乙女ゲームはほんの一本だけ。大事に大事に攻略していって、楽しくってしょうがなかった。一年間同じゲームを何度も何度も繰り返し遊んで、攻略サイトというものの存在を知って、二次創作というものの存在を知って、より深くそのゲームの世界に入り込んでいこうとしていた矢先に、『神芝えりか』は死んでしまった。


 これからだというのに、空想の世界に入り込むことを覚えたばかりだったというのに、『神芝えりか』は乙女ゲーム『ノクタニアの乙女』を完全に堪能しきることができなかった。


 その未練が祟ったのだ、きっと。


 ノクタニア王国貴族学校初等部プライマリに入学したサティルカ男爵家令嬢エリカ・リドヴィナは、貴族学校の門をくぐる直前、前世の記憶と、この世界——乙女ゲーム『ノクタニアの乙女』についての知識を得たのだった。


 ただし、エリカの歩む人生についてはほとんど知らない。


 なぜなら、エリカは攻略対象キャラでもライバルキャラでも何でもなく、徹頭徹尾《ただのモブキャラ》だからだ。

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