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生死を分かつ 上

 低い唸り声が木霊した。朽ちた遺骸が音を立てて崩れ、遺塵と化す。闇に濡れる通路を往き、錆びたバルブに手を掛けたダナンは周囲に視線を這わせ、敵の有無を確認する。


 低い獣の声が一つ、金属を擦り合わせた不快な鳴き声が一つ、幾重にも鳴り響く銃声が四つ……。撥ね飛ばされた機械腕が人工血液を撒き散らし、持ち主である遺跡発掘者と共に壁へ叩きつけられ無惨に弾けていた。人体と壁が一体化する程の衝撃で血肉が飛び散り、臓物が破裂する生々しい死の音色。機械腕を唸らせたダナンは、パラパラと剥がれ落ちる鉄錆を踏み躙り、銃を構えるステラを扉の前に立たせる。


 「ダナン……」


 「静かに」


 「……」


 「扉を開けたら中へ入れ」


 「ダナンは……大丈夫なの?」


 「問題ない」


 揺らめく影が形を成し、鮮血で濡れた爪が地面を削る。全身の毛を逆立たせ、滾る殺意に果てしない獣性を宿す影狼が、錆びたバルブの音を聞きつけ、暗く窪んだ双眼にダナンとステラを映す。


 唸る機械腕と回るバルブ。人間の頭を容易く握り潰す膂力により、錆びたバルブが少しずつ回る。だが、扉が完全に開き切るよりも、影狼の爪が二人を引き裂く方が断然速い。


 銃身をスライドし、弾丸を装填したステラが震える手でグリップを握る。オープンサイトの照準器では影狼の素早い動きに対応することが出来ず、引き金に掛けた指が躊躇いを見せていた。少し引いては力を緩め、照準を合わせて再び力を込める未熟な意思……。


 荒い呼吸と呼応するように、早鐘を打つ心臓の音がやけに五月蝿く、煩わしい。生唾を飲み込み、ままよと引き金を引こうとしたステラよりも先に、ダナンのアサルトライフルが火を吹いた。闇を裂く閃光と戦場を連想させる硝煙の香り……鋼鉄並の硬度を持つ影狼の体毛に弾かれた弾丸は、滅茶苦茶に跳弾しながら火花を散らし、その隙間を縫うようにダナンは刀剣ヘレスを抜く。


 呼吸を浅く、殺意を鋭く、獣性を狂わせて。影狼の鋭利な爪がダナンのボディアーマーを削ぎ落とす。一呼吸、攻撃のタイミングをずらし、回避に専念していた青年の瞳がガラ空きの胴体を見据え、硝子を思わせる刃を突き立てた。


 溝水のように黒い血がゴーグルへ降り掛かり、視界を塞ぐ。臓腑を分子分解レベルで斬り裂かれても尚、影狼は致命傷を理解しない。耐え難い飢餓感と身を焼く殺意が生存欲求を蝕み、極限にまで萎縮した脳が理解を拒む。憎悪に燃える暗い眼にダナンを映し、牙を剥いた影狼は飢えを満たす為に、狩りを成す為に死を求める。


 寸劇を成して、生死を断つ。ステラから見たダナンの戦い方は一瞬の攻防を制し、敵の命を断つ戦い方だった。爪が振るわれると分かっているのならば回避に徹し、その際に見えた隙を突く間隙の戦。瞬間的に戦略を練り、その刹那に行動するダナンの姿は戦い慣れた戦士のそれ。


 ゴーグルに付着した血を拭い、紙一重で爪を躱したダナンは影狼の腕を断ち、返し刃で首を落とす。しかし、首を落とされた程度では影狼は死なない。強烈な飢餓感と強靭な生命力、自立する波立つ筋繊維……人間という獲物を前にした影狼の死体は、残った腕を振るおうとした瞬間にダナンの機械腕から展開された超振動ブレードにより心臓を潰され、膝から崩れ落ちると絶命する。


 「ダナ」


 「無事か?」


 「……うん」


 「行くぞ、目的地は近い」


 もう一度バルブを握り、力一杯回し始めたダナンは扉を完全に開き、薄紫色の電灯で覆われた通路を見渡す。


 「此処は?」


 「上へのエレベータールームだ」


 「遺跡のエレベーターはゲートだけじゃないの?」


 「普通の遺跡発掘者はまず使わないエレベーターだな。此処を使う連中は大体金を払えない貧乏人か、スネに傷がある連中。二進も三進もいかなくなった遺跡発掘者か、何処かの組織に売り払われた人間……。訳アリの人間がよく使う場所だ、此処は」


 上下左右隈無く伝う通気パイプとその隙間を縫う多眼鼠、多頭多足虫の生きる巣と化した元遺跡発掘者、呻きながら溶ける腐敗した作業服の人間……。天井から金属音が鳴る度に四肢の何れかを失った人間が落とされる地獄のような空間。身を強張らせ、ダナンの袖を力強く握り締めるステラは、直ぐ隣に落ちた作業服の人間を眼に映す。


 両腕が拉げ、白い骨が皮膚を突き破って飛び出ていた。幸い……否、不幸にも生き長らえてしまった労働者は遺跡に蔓延する毒素を直接吸い込み、藻掻き苦しみながら腐れ死ぬ。


 「ダ、ダナ」


 「見ない方がいい」


 もう一度、労働者が落とされ生き長らえてしまう。毒素によって命を落とすと思いきや、虫と鼠が労働者を覆い尽くし、生きる巣に作り変えた。内臓器官を貪り食われ、痛覚を司る大脳皮質に卵を植え付けられた労働者は、生きたまま食われる恐怖を感じる苗床となる。


 「あの外生物は俺達を襲わない」


 「ど、どうして?」


 「生きている人間を襲って個体数を減らされるよりも、瀕死の人間を出来る限り生かした方が種として都合が良いんだろうな。何年も遺跡に潜っているが、奴等が生きた人間を襲っているところを見たことが無いし、俺も襲われた事が無い」


 干からびた死体の腕を踏み砕き、直ぐ目の前を通り過ぎた多眼鼠を一瞥したダナンはガスマスクのフィルターを交換する。


 「ステラ、遺産について色々と説明する前に仕事だ」


 「仕事……?」


 「治安維持軍からの依頼だな。お前の負担が少ない作戦をリルスが考案したが……もし無理なら先に言え。先に俺一人で片付けてくる」


 「えっと、その場合アタシは此処で待ってるの?」


 「いいや、安全な場所で待っていて貰う。ステラ、遺跡に安全な場所なんて無いんだ。戦場でも……上の方が幾分がマシだ」


 パイプの森を抜け、細長いエレベーターが鎮座する空間に辿り着く。機械腕からハック・ケーブルを伸ばしたダナンは制御装置の接続ソケットへ差し込み、


 「無理にとは言わん。お前がどうしたいか、お前の選択を尊重する。ステラ、無理なら無理と」


 「やるよ」


 「……」


 「それ、アタシの仕事でもあるんでしょ? なら、やる。出来る限り、みんなの力になってみせる」


 「……ステラ、説明を求めるなりした方がいい。お前、死ぬかもしれないんだぞ? 分かってるのか?」


 「遺跡発掘者の道を教えようとしてるダナンが言えたことじゃないでしょ? それに、言ってたじゃん……アタシの為の作戦があるって。つまりさ、アタシにしか出来ないことがあるんでしょ? ダナン」


 少女の瞳に星が宿ったような気がした。ゴーグル越しに瞳が煌めき、強い決意を見せたステラに気圧される。


 過去、己が血と硝煙によって得た覚悟とは違う意思。自分が成すべきことを理解し、自分の為、誰かの為に歩み出そうとするステラを誰が止められようか。飲み込んだ言葉を溜息にして吐き出し、少女の頭を軽く撫でたダナンは「そうか」と一言呟いた。


 「取り敢えずエレベーターに乗れ。詳しい話は中でする」


 「信用してくれるの?」


 「……信用とか信頼とか、お前とリルス、イブ以外じゃあり得ない。いや、リルスと二人で仕事をしていた頃は……アイツすら信じちゃいなかった」


 「どうして?」


 「……多分」


 怖かったんだ、ずっと……。エレベーターの中へ足を踏み入れたダナンは、ステラが乗り込むと同時に扉を閉め、上昇機構を作動させる。


 「怖かったの? ダナンが?」


 「俺だって人間だ。怖いものもあるし、恐れているものもある。……俺もお前と変わらない。違うか? ステラ」


 「……そうかな」


 「そうだよ、多分」


 壁に背を預け、腕を組んだダナンは少しだけ笑みを浮かべ、首を傾げる少女を見つめるのだった。


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