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泡立つ血潮 下

 扉を開け、アサルトライフルを構えながら突入したエデスとディアナの視界に映ったモノは二人分の人影だった。


 「エイリ―」


 男とも女とも云えない中性的な声。脳髄と歯車が複雑に絡み合う奇妙な被り物をした影は、小刻みに震え、咽び泣く男……エイリ―に黄緑色の小瓶を掲げ、うんざりしたように「愚かしく、卑しく、俗に汚れた魂はかくも穢らわしい。そう思わないか? 君は既に大義を忘失し、腐敗した信念に毒されてしまった」と、愉快そうに、苦しげに、悲哀に満ちた声で語りかける。


 「貴様ら、両手を頭の後ろに組み、そのまま伏せろ。下層街治安維持兵だ、抵抗しなければ楽に殺してやる」


 「下層街治安維持兵……」


 「そうだ、その手に持っているブツを捨てろ。さもなければ五秒後に殺す。生まれて来たことを後悔してしまう程に、この世で一番不幸なのは自分だと思わせながら殺してやる。選べ、震え狂う神」


 レーザーポインターの赤い点が影の頭を狙い、もう一つの点がエイリ―の眉間にピタリと止まる。小刻みに震えていたエイリーがより一層激しく身体を震わせ「教祖様!! 御慈悲を、もう一度私にチャンスを下さい!! 次は、次こそは必ずや上手くやってみせます!! だからどうか……私めに寛大なる慈悲を……」命を奪う為に銃口を向ける二人の兵士ではなく、教祖と呼ばれる影に縋り付く。


 「エイリ―、私は悲しいのだ。何故だか分かるか?」


 「わ、私が己の欲望にばかり目を向け、教団を蔑ろにしていたからです!!」


 「違う」


 「貴方様の御心を見ず、教団の教えに背いたからですッ!!」


 「違う」


 「な、なら、何故」


 ヌルリと……獲物に首を伸ばす蛇を思わせる動きでエイリーの双眼を覗き込んだ教祖は、そっと囁くように、子供に物事を教えるかのような声色で「何故君は死を望まない? 生きていたいと願うだなんて……私はその事実に悲しんでいるんだ」と、極度の恐怖で顔を歪ませたエイリ―に耳打ちする。


 「私は常々考えていたんだ。君の行動を、思考を、感情を……。何れ私の願いを理解し、祈りの為に大義を抱くのだと強く信じていた。だが、君は結局私のファウストにもメフィスト・フェレスにもなれやしない……。グレートヒェンは何処かへ消え、全てを奪い、ヴァルプルギスの夜を催さない君は器ではなかった……。それが実に悲しく、哀れで、愚かしい」


 乾いた銃声が鳴り響き、空薬莢が宙を舞う。硝煙が上るアサルトライフルの引き金を引いたエデスの弾丸が教祖の被り物を撃ち抜き、装飾品である歯車と脳髄が血飛沫のように散る。


 「ボス、射撃命令は」


 「撃てッ!!」


 「―――ッ!!」


 「射撃開始!! 目標は震え狂う神の教団二名!! 殺害を許可する!! ウルフ5撃て、殺せ!!」


 コンクリート壁を滅茶苦茶に破壊し、火薬の匂いがフルフェイス・ヘルメットの換気機能を通して香った。視界を塞ぐ粉塵の中、未だ消えぬ熱源反応を追って引き金を引き続けるディアナはブレードを抜くエデスを見る。


 近接戦闘をするつもりか? この弾幕の中を突っ切り、直接首を落とすつもりなのか? 一瞬だけ緩む指が、ヘルメット内に響く「撃ち続けろ!! 俺のことは構うなウルフ5!!」エデスの指示に引き金を引く指が力を取り戻す。


 粉塵を振り払い、虎狼のような身の熟しで教祖の懐に潜り込んだエデスのブレードが激しい剣戟の刃を振るう。真紅の火花が飛び散り、時折アサルトライフルの射撃音が木霊してはエデスのブレードと縦横無尽に振るわれる影がかち合い弾け、一進一退の攻防を繰り広げる。


 鞭のようにしなり、爆薬のような破壊力を以て振るわれる影。それは、教祖の背中から展開されている十二枚の機械翼。弾丸の防御から、敵の迎撃まで攻防一体を担う鋼の翼はエデスの猛攻を防ぎ、エイリ―に向かう無数の弾丸を全て弾き落としていたのだ。


 「今は教義の真っ最中だ……治安維持兵、君達は少し黙っていて欲しい。私は……悲しんでいる。どうして皆不幸へ突き進み、自らを苦痛の鞭で叩きながら生きているのか……」


 顔を両手で覆い隠し、金糸のような髪を振り乱した教祖が指の隙間から涙を流す。


 十二枚の翼を巧みに動かしエデスを圧倒した教祖は、彼を鋼鉄製のコンテナへ吹き飛ばし、左腕を付け根から切断すると、想像を絶する痛みに絶叫するエデスへ悲哀に満ちた溜息を漏らす。


 「死は避けられぬ恐怖、生は燃え盛る地獄を歩む苦痛。死にたいから生きるのではないし、死にたくないから生きるのでも無い。矛盾に満ちた生ほど苦難に満ち、ただ一人で迎える死ほど苦痛に満ちたモノはない……。何の為に生き、何の為に死ぬ。その答えはただ一つ……満足する死を得たいから、人は生きる。一重に……どうかこの瞬間に祈ると、美しい君を、幸福なる瞬間を永遠に噛み締めたいが故に……願うのだ」


 「きょ、教祖様、わ、私めは」


 「ファウストはメフィスト・フェレスに心を売って明日を得た。マクベスは、三人の魔女の助言に乗って地獄に堕ちた。ダンテは地獄の門を潜り、天へ至る頂きにてベアトリーチェの赦しを得た。……エイリ―、君には誰が居て、誰が君を求めているという言うんだ? 何も失わず、奪えず、得るばかりの君を誰が求めるんだ? あぁエイリ―……君は実に悲哀に満ち、鈍く、愚かしい……。エーイーリー……愚鈍なる者」


 身体が震え、アサルトライフルの引き金を引く指が緩む。ガチン―――と銃身がスライドし、弾薬切れを悟ったディアナは異形の神聖を纏う教祖に恐怖する。


 狂気に呑まれる心があった。言い得ない恐怖が心の端に楔を打ち、精神と連結させる。彼或いは彼女が話す言葉一つ一つがディアナの違和感を払拭し、歪んだ神聖を押し付け無理矢理納得させようとしていた。


 此処から逃げ出したい。任務を無かったことにし、職務を放棄したい。一歩後退り、バイザーに逃走経路を映すディアナの視界に……血を流して倒れるエデスが見えた。


 「……」


 恐怖に、狂気に呑まれた後、己が逃げ出したら彼はどうなるのだろう。


 「……」


 確実に殺される。震え狂う髪の教団が死にかけの兵士を見逃す筈が無い。当たり前だ、彼等は狂っていて、命の価値が己等とは違うのだから。


 「……ッ!!」


 叫び、ブレードを抜いたディアナは教祖に斬り掛かり、鋼の翼に弾かれる。コンテナに激突し、激痛に呻くも再び立ち上がった彼女の瞳には、憤怒の炎が揺らめいていた。


 舐めるなと唾液に濡れた言葉が漏れる。屈したりしないと心が震え、精神が奮い立つ。脇腹に突き刺さった翼を引き抜き、アーマーの筋収縮機能を起動したディアナは応急処置を施しブレードを再び握る。


 任務の為に誰かを殺す。誰かを殺す為の正当性は何処にも存在しない。兵士という職業は人を殺す為に戦い、目標を成す為の殺しは手段と目的の二面性を持つ罪悪の鏡なのだ。己の手で敵を殺し、己の為に殺す究極のエゴ。


 誰かを守るだとか、未来を守るだとか、そんな高尚な事を言っていても結局根底にある思いは自分という自我を守りたいエゴだ。それを認められないから人は戦いや殺しに意味を求め、免罪符を得ようと足掻く。しかし……それさえ認めてしまえばエゴは力となり、覚悟という不退転の決意の源泉と成り得よう。


 「……ボス」


 「……」


 「私は、貴男のように成れません。絶対に」


 薄い呼吸を繰り返すエデスが小さく頷いた。それを見届けたディアナは逃走経路を非表示にするとブレードを構え。


 「だから」


 「……」


 「私は私の守れる範囲の人を守ります。その為に……敵を殺す。それが兵士という職業でしょう? 課長」


 鋼の翼を羽ばたかせ、嘆く教祖を見据えるのだった。 


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