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泡立つ血潮 中

 撃って、刺して、潰して、殺す。バイザーに飛び散った血飛沫を拭い、夥しい量の鮮血で濡れたタクティカル・グローブが重く感じる。


 不意打ちを狙う黒装束を何人殺したか分からない。五人……いや、十人以上殺しているのかもしれないが、最早数を数えるのも億劫になってしまった。地面を覆うコンクリートから這い出す腕を踏み砕き、黒頭巾で包まれた頭を撃ち抜き殺す。空になったマガジンを抜き取り、新しいマガジンを装填する動作は何十回と繰り返した訓練と変わらず、殺す為の予備動作に過ぎない。


 殺しという行為を正当化する理由が見当たらない。兵士という職業に就いている以上、人を殺す覚悟は出来ているつもりだった。粘つく血液をブーツの靴底が噛み、返り血で染まったアーマーが明滅する電灯に照り輝く光景……戦場に立ち、無造作に人を殺す己の姿を見た両親は何を思い、どんな言葉を掛けてくれるのだろう。職務を全うする娘だと褒めてくれる可能性もあれば、人殺しと罵る可能性も否めない。


 だが……この殺戮行為に意味があるのだとしたら、それはきっと任務の為だという理由がある。兵士としての任務を果たす為に手を血で染め、殺しという行為を以て道を切り拓く。兵士とは上から与えられた任務を職務とし、その先に在る何千、何万という命を守る為に殺しを手段として用いているのだ。


 犯罪によって失われる命の先には無限の未来が在る。未来は絶望に満ちた世界を照らす希望の種となり、長い時間を経て光となる。女子供は明日の為の礎で、男はそれらを守るための剣と盾。人を守り、明日を得る為に兵士は銃を握り、引き金を引く。自分達の戦う意味と理由は、それだけで十分ではないか。だから……瞬く閃光と堪え難い叫喚の中で、人の倫理を軽々と打ち砕く戦場に、己は立っている。


 手が、指先が、引き金を引き絞る関節が、楔を打ち込まれたかのように拘縮していた。一人殺した先にまた一人と黒装束が現れ、獣のような雄叫びを上げながら突っ込んで来る。何度やっても同じだと叫ぼうとしたが、喉が乾いて上手く声が出せない。声を発せない代わりに引き金を引き、敵を撃ち殺す。真っ赤な鮮血が噴き出し、アーマーに飛び散った。


 未来を守る為に戦っているだと? 人の為に戦っているだと? 希望の為に、光の為に殺しを敢行するのは矛盾した行為だ。ジレンマを見て見ぬフリをして、殺した相手にも未来があったという事実を無視する殺しは傲慢以外の何物でも無い筈だ。任務という赦しを得ているからと云って、職務という免罪符を掲げて血に濡れる己は決して善とは言えず、悪以外の何者でもない筈。ならば、己は何の為に戦っている? 誰の為に戦っている? 何故、人を殺しているのだろう?


 「苦しいか?」


 「……」


 「苦しくても、痛みに呻いても、殺しの手を止めるな。その迷いが、油断が、躊躇いが貴様の命を奪う。疲れていても敵は此方の状態などお構いなしに銃を撃ち、刃を煌めかせて喉首を掻っ切ろうとする。ウルフ5、辛いのなら貴様は兵士なんぞ辞めてしまえ。上で違う仕事でも探すんだな」


 一切の疲労を感じていないかのようにエデスが黒装束を斬り殺し、刃で貫かれた死体を灰色のコンクリート壁へ叩き付ける。ズルズルと血痕を描いてずり下がる死体へ数発弾丸を打ち込みながら。


 戦う為に生まれた生粋の軍人、完成された兵士、過酷な環境下でも精神に揺らぎを見せない鋼の男……。普段目にするうだつの上がらないエデスと、己の目の前で死の舞踏を繰り広げる下層街ゲート管理局課長の姿は全くの別人で、フルフェイス・ヘルメットの内側で荒い息を吐くディアナは額に汗を滲ませる。


 殺して、殺して、殺し尽くした先に何があるのかディアナには分からない。か細い人間性にしがみ付き、戦場の混乱が巻き起こす豪風の中で拙い蝋燭の明りを守るように、兵士と人間の狭間で揺れる彼女の心は既に憔悴仕切っていたのだ。


 終わりが見えない。戦いから逃れられない。守る為では無く、生きる為に殺す己が居る。強烈なエゴがディアナの内で轟々と燃え上がり、生存欲求の欲望を恥や外面を剥き出しにしているのだ。


 「反論も無しか。構わん、ポイントを確認しろ。目標までの距離を測れ」


 「……」


 「迅速に行動しろウルフ5。貴様は俺と行動しているんだ、上官の指示を理解したならば早急に」


 「何時……」


 「……」


 「何時……終わるんですか? この地獄は……私は、何時解放されるんですか?」


 一瞬の静寂の後、突然ディアナを殴り倒したエデスはバイザーに銃口を突き付け。


 「貴様に耳は無いのか? 質問は許可していない。貴様の疑念、疑問、質問に答える必要は無い。理解したのなら行動しろ、ウルフ5」


 感情を排除した冷徹な声が通路に響いた。


 「十七秒だ」


 「……」


 「貴様の身勝手な迷いで無駄にした時間は今尚刻々と累積し、他の部隊に負担を押し付けている。動け、動いて部隊に貢献しろウルフ5。貴様の軍人としての誇りと兵士の責務を果たせ」


 下層の人間は屑だ。どれだけ殺しても心が痛まないものだと思っていた。しかし、現実は違う。敵であろうと、相手は己と同じ人間なのだ。人間が人間を殺すことに違和感を覚えない者など居る筈がない。


 「しかし、課長、相手は人間です……‼」


 「貴様は下層街の人間など犬畜生以下だと思っていたようだが?」


 「でも……それでもッ!!」


 胸倉を掴まれ、壁に押し付けられた衝撃でディアナの呼吸が一瞬止まる。


 「フォックス1、聞こえているか?」


 『はい、ボス』


 「其方の状況を報告しろ」


 『倉庫街は制圧完了、ハウンド2及び3は残存戦力を掃討中。ハウンド1、ウルフ1、2は周囲一帯を警戒中です』


 「分かった。フォックス1」


 『はい』


 「通信を三分間切断する。いいな?」


 『理由をお聞かせ下さい』


 「教育の為だ。新兵に言って聞かせることがある」


 『……手早くお願いしますよ、課長』


 「迷惑を掛ける」


 首を圧迫していたエデスの力が緩み、咽込みながら地面に尻もちを着いたディアナ。彼女へ背を向けたエデスは「戦いに意味など在る筈がない」と冷たく言い放つ。


 「……」


 「ディアナ、人を殺して得る明日なんか俺達からして見れば角砂糖のようなものなんだよ。少し突いたら脆く崩れて、溶けて無くなってしまう甘美な夢。……無意味だとしても、無価値だとしても、それでも俺達は守らなくちゃいけないんだ。何故だか分かるか?」


 「……私達が、兵士だからですか?」


 「そうだ、俺達は治安維持兵の兵士なんだ。残酷な現実を目の当たりにしても、堪え難い現実を知っていても、人が生きる甘い夢を壊しちゃいけない。人を殺す罪も、地獄を直視する悪も、全て飲み込みながら生きるしかないんだ……ディアナ」


 「……飲み込んでも、それを噛み砕ける筈がありません。私は、このまま戦場に居たら、ずっと迷ってしまうッ!! きっと、いえ、絶対、そうなるに決まって」


 「それはそれで、これはこれだ」


 「……え?」


 「ディアナ、その迷いはお前の美徳だと俺は思う。戦いがすぐ傍にあって、人を殺し続けた先にあるのは無だ。何も無いから心が麻痺して、何時かそれが当たり前だと思ってしまう。だからな……お前はそれでいい。戦場の外で迷い続けて、自分が誰の為に戦っているのか自分自身に問い続けろ。だから、それはそれで、これはこれなんだよ……ディアナ」


 「……課長は」


 戦いに、戦場に、慣れてしまったのですか? その言葉を紡ごうとした瞬間「時間だウルフ5、俺達の務めを果たす」と、エデスは冷酷な兵士の声に戻り。


 「ポイントは近い。弾倉及び装備を確認した後、突入する。いいな?」


 「……はい」


 通路の奥に見える扉を見つめるのだった。


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