フルフェイス・ヘルメットの内側に蒸すような熱気が立ち込め、視界を補うバイザー・ディスプレイの光が妙に眩しく感じられた。
大きく車体が揺れる。二、三度角を曲がり、直進した走行車両が大きな振動と共に爆炎に覆われ、車内に緊急警報が響く。真っ赤な警告灯が治安維持兵のフルフェイスを血を連想させる朱色に染め、無機質な機械音声が『攻撃を感知しました。退避して下さい』と小うるさい母親のように何度も警告していた。
逃げたいのは誰だってそうだ。防弾強化ガラスの向こう側は既に真紅の業火で覆われているし、ロケットランチャーを構えるマフィアの戦闘員も確認出来た。今直ぐにでも車両を止め、反撃に出るべきだと提言しようとしたディアナの肩を、別の兵士が首を振りながらゆっくりと掴む。
「落ち着けよ新入り。課長からの指示を待て」
「ですが、攻撃を受けているんですよ? 今直ぐに反撃を」
「もう一度言うぞ? 課長からの指示を待て。あの人の判断が俺達の意思であり、絶対的な遵守事項だ。落ち着け、新入り」
炎の中を突っ切り、目の前に立ち塞がったマフィアを跳ね飛ばしながら進む走行車両。ビルの屋上からロケットランチャーを撃ち込もうとしていた戦闘員の眉間が、自動ターレットに撃ち抜かれ、頭から地面に落下すると赤い血の華を咲かせた。
「ハウンド部隊及びハウンド1、聞こえているか?」
「此方ハウンド1、どうぞ」
「間もなく敵地に到着する。先遣隊としての任務を果たせ」
「了解」
「ウルフ部隊戦闘準備。ハウンド部隊に続き、サポートに徹しろ。続いてフォックス部隊、貴様等の任務はマフィア連中の物資及びデータ解析だ。戦闘行為は最小限……小銃のみ携行を許可する」
「ウルフ1、了解」
「フォックス1、了解」
バリケードを粉砕し、シャッターを抉じ開けた走行車両がバックドアを開く。重苦しい闇の中から重厚な金属音が木霊し、銃口を向ける戦闘員の胴体に射出型杭打ち機を撃ち込む黒い影が鈍色の単眼をギョロギョロと蠢かせる。
戦闘用装甲強化外骨格『震電』……。走行車両から現れた三機の強化外骨格の肩に描かれたエンブレムは獲物を食い殺す猟犬。真紅の単眼に戦闘員を映した震電は、ロケット弾頭を素手で掴むと敵が集中している方向へ投げ返し、右腕部装甲に取り付けられたミニガンの機銃を唸らせると死の宴を開始する。
「ハウンド2」
「此方ハウンド2、ハウンド1どうぞ」
「お前はハウンド3と共に倉庫街を制圧しろ。俺はウルフ部隊二名と共に主要倉庫を叩く」
「ハウンド2、了解」
「ハウンド3、了解」
鋼の鬼、鉄の猟犬、死を告げる重騎兵。震電を駆る人間は正に鉄鬼と呼ぶに相応しい鋼武者。己が裁量を上へ預け、積み重なる骸を一蹴する様は味方であっても恐ろしいことこの上ない。
戦闘員を圧倒的な武力で殲滅し、ミサイル弾頭をも超硬質ブレードで一刀両断した震電は通信越しに「課長、倉庫内勢力の殲滅が完了しました」と次の指示を待つ。
「フォックス2、3、4、中継基地設営を急げ。ウルフ1、2はハウンド1と共に施設内部掃討及びオート・ビーコン設置。ウルフ3、4はハウンド2、3の援護に回れ。ウルフ5」
「は、はいッ!!」
「貴様は俺と行動しろ。フォックス1」
「指示を」
「設営が終わり次第各部隊の通信統制及び、情報更新を怠るな。此処は貴様に任せる」
「課長は何処へ?」
「サイレンティウムから与えられた任務を果たす。走行車両の戦闘権を一時的に貴様に委譲する。勤めを果たせ」
「了解しました、ボス」
「ウルフ5」
「はい!!」
「焦るな」
「……」
「機を逃さず、隙を与えず、死を願え。行くぞ」
叫喚と悲鳴に濡れる倉庫の奥へ駆けるエデスの後を追うディアナに、レーザー・ポインターの赤い点が浮かび上がった。バイザー・ディスプレイが赤の警告色に染まり、危険の二文字が映るが危機は一発の銃声によって消える。
アサルトライフルの銃口から上がる硝煙と、走りながら正確に敵を撃ち殺すエデス。慣れた手つきで弾倉を入れ替え、立ち塞がる敵の首を徒手空拳で圧し折る姿は手練れの戦士……殺しを生業とする手練れの兵士。
「止まるな、進め」
「……はいッ!!」
喉が痛い程に乾いていた。戦闘装甲服に包まれた身体が燃えるように熱い。タクティカル・グローブの内側に汗が溜まり、引き金に掛ける指が僅かに震えている。
先が見えない戦い程怖いものは無いと思っていた。膠着状態に陥った戦況は兵士の心を削ぎ落す心理的環境兵器であり、終わりの無い奈落。だが、それ以上に敵味方入り乱れる戦場は、新兵の精神を蝕む劇毒に他ならない。
木っ端微塵に吹き飛ばされた肉片と黒焦げになった死体、正確無比に眉間と心臓を撃ち抜かれた戦闘員の死体、身体を圧し潰されたミンチ肉……。フルフェイス・ヘルメット内の換気機能を起動したら、倉庫内の死臭が直接ディアナの鼻孔をつくだろう。戦場を知らなかった彼女の精神を臭い立つ毒が滅茶苦茶に犯し尽くす筈。生唾を飲み込み、血の池を蹴ったディアナはバイザーの暗視機能を起動し、エデスが蹴破った扉の奥へ進む。
「止まれ」
キラリ……と、闇の中で光が散った。暗視機能が拾う光がモザイクを形成したのか、異常が発生したのか不明。しかし、女の勘とでも云うべきか……無意識に頭部を庇ったディアナのアサルトライフルの銃身に銀の短剣が突き刺さる。
異様に手足が長い黒装束が襲い掛かる。前方、後方、天井の三方向から忍び寄っていた黒装束は皆一様に瞳孔が開いており、精神興奮剤を服用しているように見えた。
「―――ッ!!」拳銃を抜き、引き金を引く。跳弾など気にしていられない状況の中、身体に叩き込まれていた近接格闘を頭の中で思い描き、首に刃を突き立てようと飛び掛かった黒装束の顔面を蹴りながら、片手に握ったナイフを長い腕に突き刺し動脈を一直線に斬り裂き折る。
機械化手術か? いや、違う。溢れ出る鮮血は人間の血液だ。機械体が相手ならば、人工血液の赤黒い血が流れるし、ナイフで斬り裂くことなど出来る筈がない。ぐるりと首に纏わり付く黒装束の足を腕で押さえ、脇腹に忍ばせていたワイヤーを射出するとエネルギー・パックから電流を流す。
蒼い紫電と焦げ付く血肉。手足をピンと伸ばした黒装束の衣装が焼け焦げ、顔全体を覆っていた覆面から継ぎ接ぎだらけの醜悪な面貌が現れる。下をだらりと突き出し、闇の中でギラつく瞳は狂人のそれ。ブンと膨らむ奇怪な頭を振り子のように揺らした黒装束は、金切り声を上げながら電流をものともせずに、ディアナの装甲に薄汚いボロボロの歯を突き立てる。
落ちる歯と砕ける歯、歯茎から血を流し、諦めの悪い犬のように歯を突き立てる黒装束は最早人の形をした獣に違いない。犬畜生以下の地獄の餓鬼。声にならない叫び声を上げたディアナは、水頭症を思わせる頭へ弾丸を数発撃ち込み、痙攣する死体を力の限り踏み潰す。
「―――ッ!!」
「行くぞ」
エデスの声が通信機越しにディアナの鼓膜を叩く。
「満足したか? 時間は有限だ、雑魚に構っていないで行くぞ、ウルフ5」
「満足したかって、私は―――」
折り重なる死体の山と流れ出る血の河。死山血河を築いていたエデスが片手に握った超硬質ブレードを振り、血を払いながら息のある黒装束へアサルトライフルを撃つ。
「これ、全部、課長が?」
「当たり前だ」
「……」
「全員殺せば道が拓く。ウルフ5、一人の敵に時間を掛け過ぎだ。手早く、迅速に、確実に殺せ。いいな?」
「……はい」
抑揚の無い声でそう語ったエデスは、フルフェイス・ヘルメットのバイザーに付着した血を拭い、再び駆け出した。