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電子の海 中

 HHPCの接続ソケットにコネクト・ケーブルを差し込み、眼鏡のレンズに情報解析機能を展開したリルスは可視化された電子の海を瞳に映す。


 商業区を飛び交うネット回線の情報網、インフラ設備が発する電波系、情報端末から流れる電子の粒……。ネオンに包まれた商業区は煌びやかなアクアリウムの様相を見せ、人の手で生み出された幻想を以て街のもう一つの顔を彼女に見せる。


 高度情報化社会……その言葉がリルスの脳裏を過る。歓楽区や居住区とは比べ物にならない程に発達した情報社会は、現実と非現実の間に存在する仮想拡張の世界。情報技術に精通した人間だけが視認することを許された世界は、美しさと憐憫さを兼ね揃えた電子の海。


 「こんにちは、貴女がリルスさんね? 初めまして、私はテフィラ。以前兄がお世話になりましたね」


 「……」


 電子の世界に揺蕩い、宙を自由自在に浮遊するテフィラはクスクスと愉快そうな笑みをリルスへ投げ掛ける。


 生身の目では姿が見えず、情報解析機能が起動した状態のレンズを通して視認する事が出来る存在……電気信号模擬体。ネット環境を媒介にして肉体と精神を切り離し、回線と情報の中でのみ生きる者。技術的には可能だが、精神負荷問題の対処や高額な肉体保護機材の導入が必要な為に廃れた過去の遺産。


 「どうしたのかしら? 在り得ないモノを見たなんて顔をして……そんなに電気信号模擬体が珍しいの? リルスさん」


 「……珍しいなんてものじゃないわ。貴女、何時から私達を見ていたの?」


 「区に訪れてからずっと」


 「そう、なら話は速いわね。仕事の話をして頂戴」


 呆気ないと、面白くないと、如何にも不満げな表情を浮かべるテフィラを他所に、リルスはイブへ視線を寄越す。


 「イブ」


 「なに?」


 「貴女、知ってたの?」


 「知ってたって?」


 「見られてたことよ」


 「視線は感じてたけど、ハッキリとした気配は掴めなかったわ。これで満足?」


 「……今はそういう事にしておこうかしら」


 「疑うなんて嫌ねリルス。私達は仲間でしょう?」


 「えぇ仲間。そうよイブ、私達は仲間なの。だから」


 私が気が付かない間……もしテフィラが可笑しな行動を取ろうとしているなら、直ぐに教えて頂戴。フラフラと、幽霊のように左右に揺れる少女を見据えたリルスはイブの肩を叩き、一歩足を前に進める。


 「あぁ少し待って、えぇ、少し」


 「時間は有限なのよテフィラ。私達も暇じゃないの」


 モザイクが掛かったように少女の身体がブレ、存在が希薄化する。先程までの余裕そうな表情から一転、苦悶の表情を浮かべたテフィラは大通りに面したビルを指差し。


 「コフィンへ向かって、其処でなら話せるから……」


 それだけ言うとイブの肩に腕を回し、瞼を閉じた。


 「……どうするの? リルス」


 「……依頼人がこの状態じゃ詳しい話も聞けやしないわ。取り敢えずコフィンに行きましょ」


 テフィラの指示に従い、労働者の波を掻き分けながらコフィンの入口に立った二人の目に映ったモノは、仰々しい棺の看板が立て掛けられた安宿だ。ネット回線から情報端末の使用、電子ロック付き睡眠カプセル等の各種サービス料金を含めて一時間千クレジット。宿泊となれば一日の最大利用料金五千クレジットという破格の安さを売りにするコフィンの受付機械へ、二人分の最大料金一万クレジット支払ったリルスは暗い階段を上り、二階の個室スペースへ足を踏み入れる。


 一階が完全個室だとしたら、二階に並ぶ部屋は二人から三人用の個室スペースだ。利用料金の割引も無く、使える端末や電子ロック付き睡眠カプセルも一人分。何故同じ料金を支払い、割高だと感じられる個室スペースを利用するのか。理由は一つ、眠っていない人間に身辺警護を任せることが出来るから。


 他の区よりも治安が比較的良く、死の臭いが薄い商業区のコフィンであろうとも完全個室スペースの安全は保証されていない。部屋の電子ロックを突破する輩も居れば、眠っている状態の人間を殺して金品を略奪する者も当然居る。一階の個室スペースに泊まる人間は帰る家も無く、その日暮らしを続けている労働者だけであり、その日の宿を借りる人間は護衛を雇って二階に部屋を借りるのだ。


 受付機械に表示された開錠コードを電子ロック端末に入力し、部屋の鍵を開けたリルスはイブと共に四畳半程の黒いマットレスが敷かれた個室に入る。一人用の睡眠カプセルと情報端末の電源を入れ、座布団に腰を下ろしたリルスは電源タップにHHPC用の充電ケーブルを差し込み、緑色のランプが点灯したことを確認する。


 コフィンにて行う事はバックドア・プログラムの有無と、セキュリティの再構築。HHPCを情報端末に接続し、ICEを起動したリルスは端末内に存在する全てのコンピューター・プログラムを検疫に掛ける。


 一秒、二秒、三秒……検出されたウイルス及びハック・プログラムの数は一万件以上。HHPCを蝕もうとするプログラム類は全てICEが弾き、彼女のプログラム・ソフトが逆に情報端末を支配下に置く。


 「終わった? リルス」


 「えぇ、もう大丈夫な筈よ」


 「しかしまぁ……」


 「なに? 言いたい事があるのならハッキリ言ったらどう?」


 「随分と安っぽいと思ってね。もっとしっかりした設備があると思っていたわ」


 「無理言わないでイブ、所詮はコフィン……安宿の部類なのよ? ゲート付近の宿と比べたら失礼にも程があるわ」


 「そんなものかしら……ちょっと、テフィラ? 何時まで私の肩で寝るつもり? コフィンに着いたんだから起きて頂戴」


 テフィラの瞼がパチリと開き、欠伸を掻きながら目元を指先で擦る。電気信号模擬体なのに眠気があるのかと云う疑問が二人の間に視線を介して漂った。


 「依頼の件なんだけど」


 「……」


 「テフィラ? 話聞いてる?」


 目を開いたまま微動だにしないテフィラが、幾重にも連なるモザイクに包まれ姿を消す。そして、情報端末に繋がっているリルスのHHPCの液晶モニターに映り「居心地が良いですね、素晴らしい端末をお持ちのようで」微笑みながら白髪を手で梳いた。


 「……何でもありね、この子」


 「電気信号模擬体なんてそんなものよリルス。けど、この子は確かに異常ね。普通はICEに弾かれて脳を焼き焦がされるか、自我が崩壊するものなんだけれど」


 「異常だなんて言わないで下さいイブ。現実で不自由している分、仮想だけでも自由で居たい。そう思いませんか?」


 「さぁ? 私達と貴女は今日会ったばかりのようなもので、深い間柄でもないでしょう? 人生相談をする相手を間違えないで頂戴」


 「そう連れない反応をしないで下さいよ。ダナンさんは元気ですか? 今回の依頼に彼は居ないんですか? 彼はあの後」


 「ダナンは関係ないでしょう? あの後って何の事―――」


 「ダナンよりも貴女のお兄さん……メテリアは元気? テフィラ」


 空気が凍ったような沈黙。情報端末の排熱音だけが聞こえているような錯覚。HHPCの中で目を見開き、唇を一本にして閉じていたテフィラが「リルスさん、商業区で兄さんの名前を出すことは……感心しませんね」と、リルスの言葉を牽制するように唇を尖らせた。


 「ならダナンの話もお終いよテフィラ。彼は今回の仕事に参加しないし、別件の依頼を処理している最中なの。良いビジネスパートナーで居ましょうよ、ねぇ? テフィラ」


 「……」


 食えない女……。胸の内でそう毒を吐き、深い溜息を吐いた少女は肩を竦めると机の上に置かれたモニターを操作する。


 「そうですね、良いビジネスパートナー……そう云う関係で居たいものです。では、依頼の話に移ります。いいですね?」


 「どうぞご自由に」


 「要点を纏めてくれると助かるわ」


 「……」


 深い溜息を吐き、情報をモニターに映したテフィラは仮想の中で眼鏡を掛け、資料を取り出すのだった。




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