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映る世界 中

 剥がれた外壁から滴る水が跳ね、シンと静まり返った通路に木霊する。


 水没とまではいかないが、崩れかけた外壁の傍には幾つもの水溜まりがあった。工業廃液を連想させる水は黒く濁っているように感じられ、何故黒かと問われれば拙い非常灯が明滅する遺跡の闇を身に宿した故にとしか答えようがない。


 ヒリつき乾いた喉が痛む。水分不足を訴える身体は熱を蓄え、キンキンに冷えた水を絶えず要求していた。震える両足に喝を入れ、一定の速度で歩を進めるダナンに必死に喰らい付いていたステラは、ズレたガスマスクの位置を戻した拍子に盛大に転ぶ。


 静寂を打ち破る金属音と物体が地に着く雑音と……。しまったとばかりに息を止めたステラはダナンのドス黒い瞳を見つめ、思わず「ご、ごめんダナン……」倒れ込んだまま目を伏せた。


 遺跡で物音を立てることは死を意味する。闇の中に蠢く異形の生物が音を敏感に察知し、弱った獲物を仕留めに来る。弱者が倒れたことを知った他の遺跡発掘者が、武器を手に物資を奪いに来る。自分が仕出かした事の重大さを理解したステラは焦った様子で立ち上がり、腰に吊ったホルスターから拳銃を抜く。


 「焦るな」


 ダナンがステラの拳銃を下ろし。


 「まだ敵は居ない。移動するぞ」


 「け、けど、それじゃ……遠回りに」


 「俺達の行き先が特定されるリスクを回避する為だ。無駄じゃない」


 ゼリー・パックをバックパックから取り出し、ステラの手に握らせたダナンは彼女を抱きかかえ、通路を駆ける。右へ左へ直進と……時折足音を録音したデコイを撒き、電子ロックが施されたドアの前に立つ。


 「飯と水分を摂っておけ、セーフポイントを作る」


 「……うん」


 機械腕からハック・ケーブルを伸ばし、ロック基盤の接続ソケットに差し込んだダナンの手腕は目を見張るものだった。下層街で多く出回るハック・ツールを使わず、己の機械腕に組み込まれたハック・プログラムで瞬く間に遺跡の電子ロックを突破したダナンは、ゼリー・パックを握り締めるステラを先に部屋へ入れ、周囲を警戒しながらドアを封鎖する。


 「……ごめん、ダナン」


 「謝るな。別に大した失敗じゃない」


 「でも、アタシが居なければもっと早くに」


 「セーフポイントを探していたところだ、丁度良い」


 「……」


 「飯を食え、味は最悪だがな」


 ストローをゼリーパックに差し、フィルターと連結させたダナンは一瞬で中身を全部啜り、小さく丸めて其処らに捨てる。彼と同じように、ゼリー・パックの中身を啜ったステラは余りの不味さに顔を顰め、咽ながら無理矢理ゼリーを喉に流し込む。


 泥と工業用オイル、それを誤魔化す為に大量に混入された人工甘味料の滅茶苦茶な臭い。身体に害が無いと分かっていても、生理的に受け付けない味は少女の胃袋を刺激し、痙攣させながら腸へ下る。ハッキリ言えば、これは人間の食べるモノではない。これを食べるくらいならば、犬猫畜生の残飯を食った方がマシ。


 「不味いか?」


 「……」


 「ゼリー・パックを上手く食うコツはな、一気に飲み込むことだ。味や臭いを感じる前に、水と思い込んで飲む。どれだけ嫌だろうが、遺跡に潜っている間はこれしか食えないんだぞ? 慣れておいた方が身の為だ」


 鼻で息をして、涙目になりながらゼリーを全て飲み込んだステラは吐き気を訴える胃をどうにか落ち着かせ、深い溜息を吐く。


 遺跡発掘者という職業は過酷の一言に尽きる。常に命の心配をして、人間と怪生物に怯えて進む。遺跡の遺産を手に入れたとしても、地の底から安全に戻る術は無く、歩んで来た道を再び戻らなければならない。


 遺産の価値が危険と吊り合う保証は皆無。下らない……それこそ下層街で普遍的に目にする機械のパーツだって、ステラのような子供から見れば宝物のように見え、実際それが本当に宝物であった試しなど無いのだから。遺産の価値を知るバイヤーに正しいルートで売りつけようとも、その価値を自分自身が知らなければ二束三文で買い取られてしまう。


 リスクとリターンの釣り合いが取れていない。生と死を天秤に乗せ、秤の傾きを見れば死に振り切れる。何故ダナンが危険極まりない遺跡発掘者という職業に就き、日々命を擦り減らしているのか本気で分からない。膝を抱え、暗闇の中でポツリと灯る非常口の電灯を見つめたステラは、機械腕を弄る青年へ「ダナンは……どうして遺跡発掘者を続けてるの?」と、無意識に問う。


 「……」


 「あ、いや、答えたくないなら、別にいいけど……」


 「……何故だろうな」


 「え……?」


 「爺さんに遺跡発掘者としての生き方を教えて貰ったからなのか、爺さんが言っていた青い空が気になるからなのか……。俺にだって分からない」


 「……」


 「ステラ」


 「なに……?」


 「俺は……死にたくないんだ。絶対に、無意味な死を迎えたくない。けど、何故死にたくなくて、生きていたいのかも分からない」


 「無意味な死を迎えたくないって自分で言ってたじゃん」


 「それはあくまで理由なんだよステラ。死にたくない理由。馬鹿馬鹿しいと思うけど……きっと産まれてきた意味があるんだ。下層街の糞みたいな環境で、親の顔も知らない俺でも産まれた意味がある。それを……見つけたいんだと思う」


 死にたくないという願いに、生きていたいという祈りを重ねて呟くダナンの姿は悲哀を帯びているように感じた。機械の腕を持ち、無頼漢首領ダモクレスと正面から戦った修羅とはまた違う瞳。


 彼が抱えているものを分かち合いたいとは思わない。命を磨り潰すような生き方をして、それでも尚死にたくないと呟く彼の痛みは抱えられない。もしステラがダナンの痛みや苦悩を共にしたいと言っても、彼は拒絶の意を示す。己の中に宿した意思は自分だけのものだと叫び、獰猛な殺意の牙を剥くだろう。


 「ダナンは」


 「……」

 「強いと思ってたよ」


 「そうか」


 「ダモクレスと真面に戦って、生き残って、腕一本を斬り落とした人間なんて見た事が無かったんだもん。だから、ダナンは凄く強くて、下層街で自由に生きられるんだと思ってた」


 「俺に幻想を抱き過ぎだ」


 「多分、そうだったんだよ」


 「……」


 「けど、うん。ダナンの答えで、少しだけ分かったかもしれない。みんな……弱いんだって」


 「弱い? どういうことだ?」


 「力とかそんなんじゃなくて……えっと、心? とかそういうものだと思うよ、アタシは」


 心底意味不明だと大きく眼を見開いたダナンを他所に、ステラは一人納得したように頷く。


 みんな弱いから何かを求めて、火種が燻ぶる欲望を燃え上がらせる。欲望の炎の勢いがまだ足りないからと願望の薪を焚べ、求める何かを照らし出そうとして生きるのだ。無頼漢であれば無頼を求める余りに孤独の炎で闇を深め、肉欲の坩堝で膨れ上がった欲望で求める何かを見失う。


 分かっていれば苦労はしない。生きていれば何かの尻尾を捕まえることが出来る。努力していれば、きっと求めていた何かを見つけ出すことが出来る。だが、それらは果てし無い遠回り。最初に求めていた何かから自分から眼を逸らし、手放してしまったから見失う。


 「ダナン」


 「何だ」


 「アタシ、まだ弱いけど……強くなるよ。もしダナンがアタシの前から居なくなっても、リルスやイブが何処かに行ってしまっても、絶対に生きてみんなを見つけ出してみせる。だから……見ててねダナン。この瞬間から目を離さずに、アタシを見て」


 「……お前は俺が守る。お前の方こそ俺の視界から外れるなよ、ステラ」


 「そういう意味で言ったワケじゃないんだけど……。けど」


 追い付けなくても、アタシはアタシの生き方を見つけるから。

 そう話したステラはガスマスクの下で笑顔を浮かべ、小首を傾げるダナンへ親指を立てた。


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