ガコン―――と、身体全体に響く機械音を発しながら歯車を回すエレベーター。
下層街に漂う仄暗い闇が次第に色を失い、遺跡の深淵に飲み込まれる。エレベーターの拙い非常灯も、電子機器のランプも、遺跡で蠢く闇の中では無いに等しい星明り。発狂する人間の叫喚に身を竦ませ、銃で頭を撃ち抜いた自殺者の狂気に荒い息を吐いたステラは、ダナンの手をギュウと握り締める。
「怖いのか?」
「……」
「安心しろ、連中が全滅したとしても、お前は死なない」
どうして……? 上手く言葉を口から出す事が出来なかったステラの眼に、ブレードを機械腕から展開する男が映る。口汚く同行者を罵り、頭から血を流す自殺者の死体を蹴り飛ばした男は肩を怒らせながらダナンに近づき、ゴーグルの奥にあるドス黒い瞳を睨み付けた。
「なに見てやがるッ! 見せもんじゃ」乾いた銃声が鳴り響き、男のボディアーマーに小さな弾痕が刻まれ「黙れよ、ステラが怖がるだろ?」ダナンは超振動ブレードを機械腕から伸ばし、驚愕の色に染まる男の首を斬り落とす。
夥しい鮮血がエレベーターの金属板の上に流れ、細い隙間を通って滴り落ちる。ブレードを格納し、他の遺跡発掘者を一瞥したダナンは、フードの隙間からはみ出ていたステラの髪をそっと内側に戻すとアサルトライフルの安全装置を外す。
一歩でも動いたら殺す、近づいても殺す、話しても殺す……。冷徹な殺意を身に滾らせ、言葉ではなく行動で死を示したダナンに逆らう者は誰もいない。重苦しい駆動音と所々で鳴り響く銃声と……死が蔓延する遺跡の空気は既に遺跡発掘者達の精神を摩耗させ、狂気を孕む伝染病の如く命を狩る。
試されているのかもしれない。矮小な人間が未知の領域に踏み入れる事が出来るか否か。心身を擦り減らす恐怖に耐えられるかどうか。下層街とは比べ物にならない圧倒的な死の緊張感に、正常な判断力を保ち続けられるのか。ガスマスクのフィルターを通って流れ込んでくる生温い空気を肺一杯に吸い込んだステラは、腰に吊った拳銃のグリップを握る。
弾丸は装填済み……後は安全装置を外し、引き金を引けばいいだけ。硝煙を吐くダナンのマグナムと同じように、一度引き金を引くだけで人を殺すことが出来る。だが、今はその時ではない。殺す相手……銃口を向ける相手は此処に居ない。
「ステラ」
「……」
「準備しろ、もう少しで遺跡に着く。教えた通りに動け、いいな?」
「……うん」
その場に居た全員がバランスを崩す程の振動が響き、ダナンの身体にしがみ付いたステラは息をするのも忘れてしまう。
腐敗を通り越し、干上がってしまった死体を骨ごと食む巨大な百足。金属鑢を擦り合わせたような奇怪な鳴き声を上げた百足は、人間を発達した触覚で感じ取り、火花が散る穴に身を滑り込ませる。
今目にした存在は幻だろうか? 人間以上の体躯を持つ生物など、肉体を完全に機械に置き換えた完全機械体以外に存在する筈が無い。身を強張らせ、声にならない悲鳴を漏らしたステラは我武者羅に拳銃を抜き、引き金を引く。
「落ち着け、金喰い百足程度で焦るなステラ」
引き金を半分引いたところで甲高い金属音が木霊し、撃鉄が鋼の手指で阻まれる。何度も引き金を引き、その度に鳴り響く金属音にステラは気付かない。
「ステラ」
「―――ッ⁉」
撃鉄に指を置いたまま、ステラの瞳をジッと見つめるダナン。一度、二度……優しく肩を叩き「大丈夫だ、お前が恐れる必要は無い。安心しろ、お前には俺が居る。そうだろ? なぁ……ステラ」ガスマスク越しで不器用な微笑みを浮かべた。
「ダ、ダナン、あ、アタシは」
「あぁ無理もない。初めて遺跡に潜った奴は大抵お前みたいな反応をする。だから謝る必要も無いし、言い訳も必要無い。いいか? お前一人の力で生き延びることは不可能で、他の連中は今のお前の様子を見て鴨だと思っただろう。だが」
もしお前が殺されそうになったら、お前が傷つけられそうになったら、その前に俺が対処する。だから、信じろ。俺を、大人を。
彼の言葉は噓偽りの無い本心からのもの。鋭利で分厚い鋼の刃から染み出る硝子液のような、矛盾した反応は複雑怪奇な心の迷路。どうしたら少女の狂乱を鎮めることが出来るのか、それを必死に模索する手は不器用で不格好極まりない。
「……もう、多分、大丈夫だと、思う」
「そうか」
「ごめん……ダナン、その、迷惑かけて」
「それ以上言うな。重荷になる」
「……」
「爺さんなら、俺の育ての親ならこんな時にジョークの一つでも言うんだろうが……俺には無理だ。俺に出来るのは……お前の為に戦って、生き残る術を教えてやることだけなんだから。悪いな、ステラ」
よし――と、太腿を叩いて立ち上がったダナンはエレベーター内で銃を構える遺跡発掘者達を睨み、地獄のような光景が広がる遺跡の闇へ歩き出す。罅割れた骨を砕き、赤黒く変色した血痕を踏み締める姿は宛ら死に慣れた悪鬼修羅。生唾を飲み込み、急ぎ足でダナンの直ぐ隣を歩くステラはゴーグルの暗視機能を起動し、各種視覚情報を一瞥する。
遺跡内毒素数値は下層街と比べて三倍の数値を叩き出し、ガスマスクのフィルター劣化も速い。マップに目をやると、目的地まで随分と距離がある。ダナンと同じペースで進めば約一時間……いや、二時間は掛かるだろう。
だが、それは希望的観測であることはステラも十分理解しているつもりだった。自分はアーマーと予備フィルター、ポーチ、拳銃しか所持していないが隣を歩く彼は違う。重々しいバックパックを背負いながらアサルトライフルを構え、刀剣へレスを腰に吊ったダナンの方が辛い筈。総重量六十キロの装備を身に纏い、それでも尚歩く速度を落とさない事実に驚きを隠せない。
「止まれ」
ダナンの足が止まり、壁に耳を当てる。
「どうしたの?」
壁を指差し、己と同じ行動を取れと無言で指示するダナン。彼の行動には必ず意味がある筈だと自分自身を納得させたステラは、無機質な金属製の壁に耳を当て、中で蠢く虫の足音に怯え竦む。
ステラの急く心よりも先に、超振動ブレードの刃が壁を貫き百足の頭を突き刺し潰す。緑色の血液がブレードを伝い、ズルリと這い出た百足をダナンはへレスの刃を以て両断した。
「ど、どうして分かったの?」
「前だけを見るな」
「……」
「金喰い百足は、壁の亀裂と穴の大きさで判別出来る」
ぐるりと通路を見渡したダナンは「天井からぶら下がる死体、通路の脇に身体が半分だけ残った死体……。ステラ、死体をよく観察するんだ。あれは単に放置されてるんじゃい。マーキングの意味がある」と、静かに言う。
そう思えば……ステラの視線が無造作に転がる死体へ向けられ、その死に様に一種のひらめきを与える。
穴に引き摺り込まれるように食い散らかされた死体、天井から吊るされた死体、地面に半分ほど埋まった死体。あれらが存在するという事は、ダナンが言った通り金喰い百足が壁や天井を這い回っている目印なのだ。
「物事には必ず理由がある。死んだ理由も、殺された理由も、何でもな。ステラ、遺跡と下層街を同じ風に考えるなよ? 上じゃ意味も無く人は死ぬが、此処での死は後続の足掛けになる。無意味な死なんて……無い」
「……ダナンは」
「何だ?」
「ずっと、こんなところを一人で進んで来たの?」
「……ずっとじゃない。爺さんが生きていた頃は二人で潜っていた。そうだな……ある意味逆の立場に立ったんだ、俺は」
「逆の立場?」
「あぁ、お前は……昔の俺なんだよステラ」
遠い過去を見つめるように少しだけ頷いたダナンは、少女の頭を軽く撫でると再び足を進める。そして、ステラもまた彼の後を追うのだった。