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別行動 下

 アサルトライフルの弾薬をマガジンに込め、フルフェイス・ヘルメットとHHPCを無線ランで繋ぐ。


 ヘルメット内は蒸したような熱気が籠もり、呼吸さえままならない。分厚いタクティカル・グローブを一度外し、ヘルメットの換気装置を起動したディアナはバイザーに映る各種情報類を視認する。


 下層街全体の毒素数値、HHPCとリンク状態にあるアサルトライフルのコンディション情報、己のコードネームと所属する部隊名……。体内蓄積毒素の数値は標準以下であり、異常と云える箇所は心拍数と血圧のみ。警戒ランプの点滅を目にしたディアナは深呼吸を繰り返すとコンディション・グリーンの範囲内にまで下降させ、アドレナリン・アンプルを保護ポーチに突っ込んだ。


 人を殺した経験を問われれば勿論無いと言える。銃の取扱いから強化外骨格の操縦方法を軍学校で学んでいたとしても、新兵同然であるディアナは知識だけの雛鳥だ。経験豊富な軍人と比べれば殺人に対して抵抗感があるし、人間の血肉が無数に散乱する本物の戦場を自分自身の眼で見たことも無い。だからだろうか……これから向かう掃討作戦にディアナの心臓は緊張のあまり膨張と収縮を繰り返し、指先が震えているようにも感じてしまう。


 「……」


 掌をギュウと握り、ゆっくりと開く。


 「……」


 生唾を飲み込むと、強い苦みと粘り気が残り、口の中が乾いていると嫌でも自覚する。


 兵士としての責務を全うしろ。相手が中層民であろうとも、違法行為に及んだ人間は屑だ。下層街では人間の命など銃弾の価値よりも低く、降っては湧き出る菌糸類程度のモノ。正義は此方にあり、法も権利も全てこの手にある。だから―――


 「私は……悪くない」


 「何が悪くないって? ディアナ」


 ビクリと身体が震え、抱えていたアサルトライフルを取り落としそうになったディアナは、同型のフルフェイス・ヘルメットで素顔を隠すエデスを見上げた。


 「課長ですか……驚かさないで下さいよ」


 「新兵の様子を見るのも管理職の仕事だろ? どうした? 何か悩み事でもあるのか?」


 「……今回の作戦は、サイレンティウムからの命令ですよね?」


 「そうだな」


 「えっと……敵を殺せば、たくさん殺せば、それ相応の手当が出るのは本当ですか?」


 「本当だ、一人五万クレジットだったかな?」


 ヘルメットを脱ぎ、煙草を口に咥えたエデスは真剣な面持ちでライターのフリントを回し、火花を散らす。細い炎が揺らめき、煙草の先が真っ赤に燃えた。


 「……課長は」


 「ん?」


 「その、何人殺したんですか?」


 「数え切れない程」


 「……罪悪感とか、後悔とか、何も感じないんですか?」


 「そんなことを考える時期はとっくの昔に過ぎたよ」


 紫煙が漂い、濃い煙草の臭いが戦闘装甲車の中に充満する。


 「ディアナ」


 「……はい」


 「軍人としての務めを果たせ。俺達治安維持軍はな、文字通り治安を維持する為に銃を撃つんだ。銃口を向ける相手が下層民でも中層民でも関係ない。他人の日常を守り、明日を害する人間を殺すことが俺達の仕事。迷いがあるなら今吐き出せ、戦場に着いてからじゃ遅いからな」


 無精髭が伸びた顎を撫で、遠い目で煙を見つめたエデスの横顔は昔を思い返すような、迫る戦場の香りに牙を剥く獰猛な猟犬を思わせる複雑な表情。血から漂う鉄錆の臭いが彼を戦士に変えたのか、度重なる戦闘とは別に彼自身が持つ素質が表面化したのか、それはディアナには知り得ぬエデスの過去。


 戦場の混乱に揉まれ、戦闘の混沌に身を委ねれば己もあのような顔になるのだろうか? 徐々に近づく血の匂いを敏感に嗅ぎ取り、命令に忠実な猟犬に成り果てるのだろうか? 遠くない未来に寒気を感じたディアナは両腕を擦る。


 「……正義は、私達にあるんですよね?」


 「どうだろう」


 「私達は、正しいことをするんですよね? この戦いは、本当に意味のある戦いなんですよね? 私達は」


 「私達じゃない、お前の戦いだろ? ディアナ」


 ヒ―――と、ディアナの息が詰まり、心の奥深くに押し込んでいた焦燥感が顔を覗かせる。


 「俺達は上の命令で人を殺すんだ。今回の計画は俺が立案したものだが、そうやって責任を誰かに押し付けていたら何時かお前は自分自身を殺す。無感情に引き金を引いて、痛みを感じずに血を流す。命令が人を殺すんじゃない、兵士が人を殺すんだよディアナ」


 「なら、ならッ!! 私は、私達は自分の手で殺すことになるんですよ!? ヴァーチャル訓練でもなければ、仮想敵を想定した戦術立案でもない!! 私は」


 「だからお前の戦いなんだよ」


 煙草の灰を弾き落とし、真っ直ぐディアナを見つめたエデスは小さく頷き。


 「いいか? 意味は自分で見つけるもので、他人に押し付けられるモノじゃない。誰かを殺す手が、引き金を引く指が、血を踏む足が自分自身のモノだって自覚して初めて人は兵士に成る。慟哭に耳を塞ぐな、叫喚を恐れるな、見て聞こえるモノは現実以外の何物でも無い。ただ単に人を殺すのか、殺すことに意味を見出すか、それは……お前以外の誰でもないんだ」


 ディアナの肩を軽く叩いたエデスはフルフェイス・ヘルメットを被り直し「全隊戦闘態勢、各自作戦ナビを展開、準備急げ」とHHPCに向かって命令を下す。


 人を殺すことが正当化される筈が無い。だが、戦場という非日常に足を踏み入れた瞬間、その倫理は砂糖菓子を崩すが如く壊れ、破綻する。精神が壊れるよりも早く感情が死に、非日常が当たり前だと錯覚してしまう程に、いとも容易く。


 迷う時間など到の昔に過ぎ去ってしまったのかもしれない。バイザーに映る視覚情報が切り替わり、ディアナの意思を無視するかのように作戦ノートが展開された。青白い立体作戦図が敵の数と位置を無機質なシンボルで表し、偵察ドローンが取得した武器情報が更新される。


 「敵は中層マフィア百五十人、装備はアサルトライフルとレーザー兵器だ。人間以外の戦力は」


 「課長、質問いいっすか?」


 「ウルフ4、作戦開始時間十分前だ。コードネームで呼べ」


 「コードネームつっても」


 エデスが足を伸ばす兵士の前に歩み寄り、無言で殴り飛ばすとフルフェイス・ヘルメットを剥ぎ取り首を締め上げる。


 「貴様何だその態度は? 十分後殺し合いが始まると理解できないのか?」


 顔を赤くして、泡を吐く兵士が必死に抵抗するがエデスの手は緩むどころか更に力を込め、動脈を圧迫する。


 「今此処で殺すのと、後で死ぬのも別に変わらん。選べ、その舐め腐った態度を改めるか、死んで駄犬の糞になるか。イエスなら一度、ノーなら二度俺の腕を叩け」


 一度だけ、兵士がエデスの腕を力の限り叩いた。その瞬間に彼は首から手を離し、背を向けると何事も無かったように言葉を紡ぐ。


 「無人兵器の数は違法改造機体が六機、生体兵器は無し。連中は無頼漢構成員を雇っている為、もし完全機械体と遭遇したら一人で対処しようとするな。必ず三人一組で対処しろ。我々の任務は中層マフィアの殲滅及び壊滅。一人残らず殺せ。いいな?」


 サー、イエッサーッ!! 全員が声を張り上げ了解の意を示し、それに釣られてディアナも声を上げた。


 戦場に於いて頼りにされる人物とはどういった存在か。それは、甘い指揮官でもなければ、兵士を無意味に浪費する人間でもない。カリスマ性に溢れる人間であっても、そこに厳格さがなければ兵士は優しさに溺れてしまう。


 冷酷さと厳格さを兼ね揃え、微かな情を持つ人物こそが兵を統率するに相応しい。戦場で命を預ける立場になればこそ見える真実に瞳を濁らせたディアナは、HHPCを操作するエデスにジットリとした視線を向ける。


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