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別行動 上

 耐久スーツの上にボディアーマーを着込み、大容量バックパックを背負ったダナンはガスマスクで口元を覆う。


 重々しい金属音を奏でるアサルトライフルとポーチに詰め込まれた予備弾薬、大口径リボルバー・マグナム、刀剣へレス、各種手榴弾……。様々な装備で身を固めたダナンは、機械腕の調子を確かめるように鋼の手指を曲げ伸ばし、コネクト・ケーブルを機械腕の接続ソケットに差し込み、多機能ゴーグルと繋ぐ。


 「ダナン」


 「何だ」


 「アタシのマスク、ちゃんと嵌ってる? あと、ゴーグルのベルトが緩いかも……」


 「見せろ」


 ステラのゴーグルを弄り、留め金の不備を確認したダナンは慣れた手つきで破損箇所を直す。


 「ステラ」


 「ん?」


 「お前、遺跡に潜ったことはあるか?」


 「無いけど……あ、アタシ、ダナンの邪魔になるようなことはしないから! だから、安心して」


 「俺が何時仕事の邪魔をするなと言った。お前に期待していないし、初めての遺跡探索で大きな成果を挙げられるとも思っちゃいない」


 デスクから子供でも引き金を引ける拳銃を取り出したダナンは、空の弾倉に弾丸を詰めながらステラを一瞥する。


 「初めて、それも未経験の仕事に従事するガキに期待する奴はソイツを本気で信じているか、捨て駒にしようとしている屑の何方かだ。もしお前が俺の足を引っ張りたくないだとか、邪魔をしないように動こうなんて考えているのなら、その考えを今すぐに捨てろ。いいな?」


 「でも」


 引き金に指を掛け、最後の仕上げをするかのように銃身をシリコンオイルで磨き上げたダナンは、鈍色に輝く拳銃のグリップをステラへ向ける。


 「……迷惑を掛けていいと言ってるんだ」


 「……」


 「コイツの弾倉には十五発の弾丸が詰め込まれている。普通の人間……非機械体や一部分だけを機械義肢に置き換えている奴には効く。だが、遺跡を徘徊する実験生物や生物兵器、殺戮兵器の類には無力。本当ならお前は未だ遺跡に挑むべきじゃない。生身の四肢を持っていて、俺のように腕の一本を戦闘用機械義肢に換えていないガキが遺跡に挑むなんて馬鹿げている」


 遺跡へ潜り、五体満足で戻ってこれる人間はまず居ない。十人一組のチームを組んで潜った者達が、次の日には全滅し、腕一本と片目を犠牲にして生き残った者が発狂しながら己の蟀谷に銃口を突きつけ自殺する地の獄。魔境と云うには生易しく、文字通り地獄と云うに相応しい遺跡では、純粋な生存よりも正常な精神を保つほうが難しいのだ。


 地獄に適応した人間は人の皮を被った亡者か、情を殺した悪鬼羅刹。一瞬の油断が危険を呼び、一つの判断ミスから生じる隙が危機を招く環境では人は人のままでは居られない。自分以外の全てを敵として見据え、時には通路に転がる朽ちた死体から物資を奪ってでも生き残る意思を持たなければ、遺跡を歩むことすら困難極まるものだろう。


 「これはお前の命を救う銃じゃなければ、誰かを殺す武器でもない。ステラ、引き金を引くタイミングはお前次第だ。一発の銃声がお前を殺すかもしれない。引き金を引かなければお前が死ぬかもしれない。行動の一つ一つには結果が付き纏い、選択の意味を知れば躊躇いと迷いが生まれる。だから」


 命の危機を感じたら、情を捨てて自分だけが生き残る為に行動しろ。ダナンのドス黒い瞳が少女の瞳を見つめ、その奥に在る恐怖を射抜いた。


 拳銃のグリップを握ろうとする手が静止し、少女は無意識のうちに生唾を飲み込む。喉が干上がる感覚を覚え、グローブに包まれた指先が小刻みに震える。


 茶けたグリップが乾いた血のように見えた。くすんだ人工革が、冷たい金属が、銃を握り締めた瞬間に溶けて己の身体に染み込み、一体化してしまうような錯覚。荒い息を吐き、深呼吸を繰り返すステラは小さく頷くとダナンから銃を受け取り、引き金に指を掛ける。


 「人を殺したことはあるか?」


 「……無い」


 「他人の血を浴びた経験は?」


 「……無いよ」


 「ステラ」


 「……」


 「お前は人を殺すな。お前のような甘ちゃんが誰かを殺したら、無関係の人間を殺したら俺のように戻れなくなる。だから……お前はどんなことがあっても人を殺すな。そして、遺跡に居る間は俺と離れず、常に隣か少し後ろを歩け。いいな? ステラ」


 「ダナンは」


 「何だ」


 「それで、いいの?」


 「……」


 「アタシが何もしないで、迷ってばかりいたらダナンが誰かを殺すんでしょ? 下層街じゃ当たり前だけど……やっぱり、それは」


 「いいんだ」


 「……どうして?」


 「もう何人殺しても同じなんだよ。一人殺せば殺人者、十人殺して殺人鬼、百人殺せばテロリスト、千人殺せば英雄なんて言葉があるが……一人殺せばもう後戻りなんて出来ない。二人目からは全部同じで、最初の殺人からは何の違いも無いんだよ。ステラ、お前は下層外では珍しいタイプなんだぞ? 今まで生きていて誰も殺さなかったなんて奴は……リルス以外で見たことがないんだ」


 モニター・ディスプレイを眺めるリルスが皮肉げな笑い声を発し、ダナンとステラの会話を椅子に座りながら聞いていたイブもまた彼の言葉を鼻で笑う。


 殺人が日常的な行為と化し、死体と殺戮に濡れる下層街では命の価値は極端な程に低い。飢えを凌ぐ為に人を殺し、渇きを癒すために血を求める畜生道。餓鬼のように腹を膨らませた子供が窪んだ眼で死体を求め、虐の下に生を踏み躙られる世界がダナン達が生きる下層街。


 その街の下に存在する地獄……遺跡を進むには微かに残った人間性を捨て去り、感情を抹殺しなければならないのだ。心を鋼でコーティングし、人間を血肉が詰まった肉袋として見る狂気。酸いも甘い……否、艱難辛苦だけを眼に映し、甘さや優しさを捨てたダナンは更なる罪悪を背負う覚悟を身に刻み、ステラの往く道を血達磨になりながら指し示す。


 「……」


 ダナンに守られながら進む道は血肉で彩られた平坦な道。


 「……」


 彼の影に隠れ、その不器用で無骨な優しさに甘えるだけで、己は身の危険を知らずに生き残れる。


 「……」


 だが、それは彼だけが苦しみ、痛みを背負う別視点の修羅道に違いない。ダナンの言葉の端々に見られる優しさに縋り、硝煙と血の臭いに染まらない己は彼の思い通りの人間になるだろう。罪も知らず、苦渋も飲み下さない真の悪に成り下がる。


 それは嫌だ。自分だけが楽をする道は違う。


 何が違うと問われれば、ステラ自身もどう答えればいいのか分からない。しかし、ダナンの冷徹な心の奥底に存在する穏やかな感情を、己の身勝手な理由で潰してはならないのだ。


 「それでも」


 「……」


 「アタシは、その時が来たら自分の意思で引き金を引くよ」


 「ステラ、お前が人を殺す必要は」


 「ごちゃごちゃ五月蝿いよダナンッ!!」


 突然の怒声に気圧されたダナンをステラが睨む。


 「そうやって自分だけが苦しんで、辛いと思って、不幸だって思うのは自分勝手だよ!! ダナンはそれで良いと思ってるかも知れないけど、アタシは嫌だ!! 自分のことは自分で決めるし、自分なりにやってみるんだから!!」


 「……そうか」


 「そうだよッ!!」


 あぁ……と、呻き声に似た返事を返したダナンは満足気な笑みを浮かべ「震えは止まったな? 行くぞ、ステラ」リルスから目的までのマッピング・データを受け取る。


 「ダナン」


 「何だ? リルス」


 「依頼内容は頭に入ってるわよね?」


 「問題ない。行ってくる」


 「えぇ、行ってらっしゃい」


 ガチャガチャと重苦しい金属音を響かせるダナンと、納得していないと云った風で後を追うステラ。二人を見送ったリルスはイブを見据え。


 「イブ、仕事の話をする前に……あの二人を見てどう思う?」 


 「両方とも面倒な性格ね、全くもって」


 「同感」


 椅子を回し、肩を竦めたリルスはキーボードを叩くと一通の電子メールを呼び出して。


 「テフィラって子、知ってる?」


 静かに問うのだった。


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