眩いばかりの黄金の大ホール、管理端末から送られるコード識別粒子が金箔で覆われた薄いタイルの下を駆け巡る。半裸のバニーガールがトレイを片手に尻を揉まれ、その場に押し倒されると白い乳房を揉みしだかれる。彼女は抵抗することなく流れるままに情事に身を任せ、興奮して鼻息を荒くする男へ二粒の錠剤……合成麻薬を唾液に絡ませ舌で押し込んだ。
半ば強姦とも思える突発的な性衝動。肉が触れ合い、粘液が絡み合う。肌と肌がじっとりとした汗で濡れ、声を押し殺すことなく行為に耽るのはバニーガールと男だけではなかった。乱交に狂う多種多様な人々がホールに立ち込める淫気に精神を狂わされ、理性を溶かされながら、本能の赴くまま獣となる様は桶に滑る鰻を想像してしまう。
綺羅びやかで美麗極まる黄金の下、眼下に広がる淫欲なる狂気。吹き抜けから見える天井画の天子は奈落で藻掻く亡者達を見据え、落ちたサタンを嘲笑うかのように柔らかい微笑みを浮かべる。ヒドロ・デ・ベンゼンに生きる娼婦と男娼に意志は無く、此処を訪れる人間は罪悪の檻に囚われたことさえ知らず。娯楽施設を支配する肉欲の坩堝の名が示す通り、人は欲望と淫欲の熱に焼かれ、微かに残った倫理を炎に焚べて燃え上がる。
床を照るミラーボールの反射光を踏み締め、輝く電子の光を一瞥したダナンは目の前で繰り広げられる痴態に唾を吐く。忌々しいと、悍ましいと一蹴し、機械腕の鋼を指先で撫でたバニーガールを押し退け振り払う。
「さて、目的のバーは上にあるんだけど……エレベーターは何処かな?」
「知るか」
「ダナン、君は此処に来たことがないのかい?」
「来る必要も、意味も無い」
顎に指を当て、額から流れた汗を絹のハンカチで拭ったグローリアはジッと天井画を眺め「人に聞くのが一番だろうね、うん」と呟き。
「君」
「ハァイ、お嬢さん? それともお兄さん? 私に何かよう? もしかして混ざりたいの? いいわよ、貴方ならタダでしてあげる。オプションは別料金だけどね」
「上階に行きたいんだけど、エレベーターは何処かな? 魅力的なお姉さん」
適当なバニーガールを捕まえて顎を指先で軽く上げた。
生物的な保存本能か中性的な美青年に心を奪われたからだろうか……。身体を売る事に慣れ、男を客としか見ない女の瞳が一気に潤む。唇から熱い吐息が漏れ、紅潮した頬は少女時代に感じた初恋の色が浮かんだ。
「エレベーターはVIPしか使えないの……」
「そうか、場所を教えて欲しいんだけどいいかな?」
「壁沿いにあるわ……。けど、組織の黒服が」
「ありがとうお嬢さん。さぁダナン、行こうか」
女と頬に軽くキスをしたグローリアに舌打ちしたダナンは黄金の壁と一体化するエレベーターへ視線を向け、前に立つ黒服を観察する。
防弾アーマーと重機関銃、四肢を機械義肢に挿げ替えた黒スーツの男が二人……否、十台のエレベーターの前に二人一組で配置されていた。対角線上に位置する黒服達は機械眼のサーチ・スキャナー機能を用いて大ホールの人間を監視し、事が起こった際には直ぐに動けるよう真紅の戦闘ランプを妖しく光らせている。
彼等の装備は鎮圧目的よりも殲滅が主な用途なのだろう。重機関銃には予備弾薬を素早く交換出来る弾薬パックがオプションとして備わっており、機械腕から伸びる鋼の指は引き金に掛けられたまま微動だにしていない。使用者の意志……施設管理者の信号一つで殲滅行動に移れるよう完全制御されている機械化戦闘員はガスマスクで鼻と口を覆う。
「貴方、気持ちの良いことをしましょう? 早く……」
「すまないね、私は用事があるんだ。あまり言いたくはないんだが……私はEDなもんでね」
ED……勃起不全の単語を聞いた瞬間女の顔色が変わり、グローリアの頬を平手打ちした。乾いた小気味の良い音がダナンの鼓膜に響き、頬を叩かれて尚笑顔を浮かべるグローリアへ女は唾を吐きかけ「どっかへ行けよ!」と肩を怒らせながら立ち去った。
「……大丈夫か?」
「私の心配をしてくれるのかい? 君は気にしないと思っていたんだけど」
「心配しているワケじゃない。ただ……意外と音が大きかったから驚いただけだ」
「なんてことは無いさ。あぁEDというのは冗談だよ? 此処じゃそう言った方が都合が良いと思わないかい? ダナン」
「……行くなら早くしろ」
「そうだね」
呆気カランと笑い、綺麗な紅葉柄を生白い頬に貼り付けたグローリアは汗をハンカチでまた拭う。彼の発汗は薬物分解ナノマシンが正常に作動している証拠であり、体内に取り込まれた薬物と空気麻薬が分解された際に生じる生理反応。バニーガールから勧められる酒類や飲料水をやんわりと断り、渇きに耐えるグローリアはダナンと共にエレベーター前に立ち、懐からカードを取り出し黒服へ提示する。
「……エレベーターは只今故障中です。上階へは階段を御使い下さい」
「故障中? 起動ランプが点灯しているけれども、駄目なのかい?」
「階段を御使い下さい」
グローリアへ突き刺さる殺意を孕んだ視線。大ホールに立つ黒服達の銃口が二人へ向かれ、冷徹なる死を以て貫こうとしていた。
「階段を使うべきだ」
「ダナン、君もそう言うのかい?」
「俺一人なら連中を相手に出来る。取引を忘れちゃいないだろうな? お前に死なれたら、俺も困る」
「……分かった、なら今は友人である君の助言に従おう。困ると言われたら、もう何も言えないじゃないか」
全く……。諦めて肩を竦めたグローリアは階段へ足を踏み出す。汗でダブルスーツの生地を濡らすグローリアへダナンはバニーガールから受け取った飲料水を差し出した。
「飲め」
「……」
「少しでも飲んでおけ。毒は入っていない」
「君が大丈夫でも、私は」
「既に自分の身で試した。だから飲め」
「……なら遠慮なく」
飲料水を受け取り、喉を鳴らしながら容器を空にしたグローリアはしまったとばかりに「すまない、全部飲んでしまった」苦笑いを浮かべた。
「問題無い」
「でも」
「自分の身を心配しろ。他人に縋るなよお坊ちゃん」
「ダナン」
「何だ」
「そろそろ私の名を呼んでくれてもいいんじゃないかな? お前とかお坊ちゃんとか他人行儀に尽きるだろう?」
「必要無い。俺とお前は他人、それも信用も信頼も無いんだからな」
「君ってヤツは……」
グローリアがダナンを信じているか分からない。信用は無くても、信頼があるかも知り得ない。だが、ダナンが彼を信用や信頼を持っていない事は確かなのだ。飲料水を差し出したのだって安全に歓楽区から脱出する為で、其処に他者を想う気持ちなど一欠片も存在しないのだから。
互いに互いを利用し、目的を達成しようとする関係性。利己的で、合理的で、効率的な関係は友人とは呼べず、他人という間柄から引き伸ばされた延長線。グローリアがいくらダナンを友人と呼ぼうとも、当の本人が認めなければ意味が無い。自己満足な利己的主義。
階段を上がり、次の階に辿り着いたダナンとグローリアは仄暗い闇に目を凝らし、錆びた鉄の臭いに顔を顰めた。一つ息を吸えば喉を突く鉄の香り……それ即ち血の臭い。水滴が水溜りに落ちる音が静かに……静寂の中に木霊した瞬間、轟き響いた機械の駆動音。肉が磨り潰され、骨が砕かれる湿った音。
「……」
息を飲み、ゴーグルの暗視機能が映し出した光景は凄惨極まる血の地獄。ありとあらゆる拷問器具と処刑道具、転がった首を蹴る全裸の男女、腹を割かれた胎児の死体。覆面を被り、チェーンソーを振り翳して命乞いをする狂信者の……縛り付けられた四肢を切り落とす巨漢の狂宴。唖然とするダナンの頬に血が飛び散り、グローリアの純白のスーツに引っ付いた肉片が、サバトへの招待状が如く誘うのだった。